久しぶりに実家に帰って、やることのない退屈な時間にじっと耐えながら考えた。
目と耳と口とかで現に感じていること、要はからだが置かれている場所に限定された感覚、ではないことも人間は感じられるし、感じさせられるのではないか、本来は。
そうであるなら、こうして帰省するということの意味とはなんだ。ただ無駄なだけなのか。いや、逆に(なんの逆か?)だからこそ現に会うということは意味のあることになり得るともいえないか。
霊とか魂とか呼ばれるものとして、バーチャルになにかをすることはできる。というか、ほとんどのことは実はバーチャルだ。目の前のことをしっかりと把握し実感している人間などいない。なんとなくわかった気になっているだけ。
だから、フィジカルの意味はもっと別にある。
おや、帰りのバスが来た。つづきはまた。