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言えないこと

言えることと言えないことというのがあって、その区切りは話す対象によって変わるものもあり、タイミングやシチュエーションによっても変わる。そして、誰にも言えないこと、というのはきっと誰にでもある。

それはいったいどういう性質のものだろう。ここでいちばんに思いつくのは、恥だ。恥。多くの人間がこれには頷かずにはおれないのではないか。

しらこい顔をしてギンギンに勃起していたり、ウイルス陰謀論についてメガネくいくい論じつつ深夜VRでオナってるところを妻に見られたことが脳裏をよぎったり。そういう恥ずべき経験を心の奥にしまいこんでいる人間は少なくないはずだ。また、ある者は工事現場の三角コーンを頭にかぶり、「見てー、見て見てー、クークラックスクランみたいやろー」と酔って叫んだこともあるだろう。いずれも恥ずべき行為であることは否めない。

しかし私の場合は、諸氏のそれらとは少し違っている。私が恥だと思うのは、自分を図らずも偽ってしまうときだ。

ほんとうはもう帰りたいと思っていても、友人からしつこく「もう少しそばにいてくれ」と頭(泣いてどうなるのか)を垂れて乞われれば、浮かしかけた腰をつい再び落ち着かせてしまう。みっともないことだと思う。

このとき、私はひどく恥を覚える。消え入りたくなる。自分が醜く矮小だと感ずる。ズールーネーション。

気づくと私は川沿いに佇んでいる。川をわたる涼やかな風が、恥で火照った私の頬をすり抜ける。恥の多い人生。その背景には水辺がぼんやり揺らいで映る。水面は常に移り続け一瞬ごとに在り方を変えていく。しかし、私の恥は絶えずここにあり続ける。そして、そのことはきっと永遠に誰にも言えない。