Listen to the cry from Australia
80年代から90年代まで僕は「生物学の哲学化」というテーマを追っていました。ちょうど百年前の19世紀末に「物理学の哲学化」がありました。「絶対確実な知としての科学」という信憑がそこから揺らぎ始めました。その懐疑的哲学はマッハに始まり、ウィトゲンシュタインに至って頂点に達し、その後科学哲学として展開していきました。ところが20世紀中葉に「遺伝子」という概念が DNA として物質化されると、かつての哲学化以前の物理学はあらたに分子生物学に装いを替えて、その機械論的世界観を凄まじいスピードで拡大していきました。なんか変だと感じたので、もう一回これは「哲学化」が必要だなと、思ったのです。
しかし当時はまだ学生でしたし、その「変な感じ」はもしかして錯覚なのかもしれず、自信なんかありませんでした。その感覚を明確に言語化してくれる本に、卒業間際の頃、偶然出会ったんです。柴谷篤弘『発生現象の細胞社会学』。細胞を分子にまで分解していくベクトルとは逆に、細胞間のコミュニケーションに着目し、細胞集団の「社会性」を考える。衝撃でした。しかも日本の分子生物学の黎明期をリードした一人である柴谷博士その人が、もはや分子生物学から離れようとしている。僕は居ても立ってもいられず、CSIRO(オーストラリア国立研究機構)の上級研究員であった柴谷博士に長い手紙を書きました。
返事はまったく期待していませんでした。世界的な研究者が、一介の医学生のわけのわからない手紙を、一瞥してくれたらそれで上々の首尾と思っていました。CSIRO の文字のプリントされた封書が僕宛に届いたのは、それから3週間後でした。「シドニーの秋はジャカランダの花が咲き誇り...」え?もしかして、それを見に来れば?ってこと???
誤解なら誤解でいいじゃん。どうせならでっかい誤解して後で皆に笑ってもらおうと、僕は小遣いを貯め、1980年11月19日、生まれて初めて日本の外の地を踏みました。それは誤解ではなく、柴谷博士は僕を対等の科学者であるかのように、ハーバー・ブリッヂを望む素敵なカフェで待っていてくださいました。そこでどんな話をしたか、翌日 CSIRO のすばらしい研究環境を見学して何を感じたか、それはそれはたくさん書くことがありはするのですが、今、この note を書き始めた理由は、それじゃないんです。3週間シドニーに滞在して、体で感じたこと。それを一言で言うと、「解放感」でした。当時の日本で当たり前と思って受け入れていたいろんな束縛が、無かったんです。学問もそう。運動もそう(僕は野球少年でした)。日常生活全般が、そう。自由にやっていいんだ。変なのでも、ていうか変なほうがいい。変をきわめればいい。そんな雰囲気がどこにも感じられました。
ところがさっき... これを見ました。オーストラリアが SOS を出している。40年前、日本の一医学生に「自由」を教えてくれた大地が、その自由を求めて助けを求めている。この声を拡散することしか、とりあえずできない。
削除されてしまったようです(11月10日確認)。内容は、「感染拡大防止」の名のもとに異常なまでに行動制限を課せられている人々からの叫びです。日本で行われている「自粛」も程度こそ違え、本質は同じものと思います。