人間50年

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
と舞ったのは織田信長。
幸若舞の演目の一つである敦盛の一節らしい。
「人間界の50年など 天上界での時の流れと比べれば 夢や幻も同然」
といった意味になるらしい。
昨日誕生日を迎え、49歳となった。
天上界での時の流れと比べれば夢や幻のような1日まで、あと少しとなった。

35歳の頃、
『遊び人』になろうと決めた。
39歳になった時、
「齢四十にして惑わず」を目指そうと後悔しないよう目一杯楽しもうと決め、『あそび人』という生き方を考えるようになった。
それから10年、
まだ『あそび人』という生き方をしている。
『あそび人』とは何か?を日々考える10年。
節目とも思える歳を迎えた。

39歳の時には、「楽しい」と思えることを全部やろう!と決めて日々を過ごした。
その結果、着物を着るようになり、自分が楽しいと思えることが何なのか?だいたいわかった。
そして49歳となった今、新たな挑戦をしていこうと考えた。
そのきっかけになったのは、「LUCY(ルーシー)」という映画である。

通常、人間の脳は10%しか機能していない。
スカーレット・ヨハンソン演じるルーシーの脳のリミッターが外れ、脳機能を100%使えるように覚醒していくという映画である。
どんどん覚醒していく脳機能に対しどうすればいいのかと、モーガン・フリーマン演じる脳科学者ノーマン博士にルーシーは訊ねる。
博士は「今までの人類がそうしてきたように、君も伝えなさい」と答える。
映画の評価については、ここでは筋が違ってしまうので観てもらうのがいい。

アニメ・ドラマ・映画に影響されまくって生きてきたので、
やはりこの博士のセリフにも影響を受けた。
これまでアウトプットというモノを意識しなかった。
インプットをして、それに対して思考する。
そこでたどり着いたモノは、自分が納得すればそれで良かった。
他の人に確認したいとか、誰かと共有したいという気持ちは一切ない。
なので、「発信欲」みたいなモノを全く持ち合わせていない。
今でもその気持ちはないのだが、
「何考えているんだかわからない」
「伝えなさい」
と、表に出すことがジワジワと沁みてきて、
夢や幻のような1日の終わりという節目を迎えるにあたり、
何か自分だけが理解しているのではなく、
他の人が見たりできるようにするのも一興か……という思いが募り、
こうして明文化して公開してみようと思いたったワケである。

『あそび人』については、
今後書いていく内容としてまとめているので今は置いといて、
上記にも出したように、
映画やアニメ・マンガやゲームといったモノが大好きなので、
引用として多々出てくると思います。
特にアニメに関しては、自分にとってのバイブルのような存在。
影響を受けまくって、それを栄養にしてきました。
それと同時に、
学生時代の地域活動が自分を構成するのに重要なモノになっています。
今は離れてしまったのですが、
そこで学んだことやその時に考えたことなどが、
今の自分の土台となっていると感じています。
もしかしたら、
通常の学生生活とは違ったことで、
多少おかしな思考となっているのかもしれません。
そして、
もう一つ大きな影響を受けたのは、
「冒険野郎マクガイバー」というアメリカのドラマシリーズ。
私が唯一憧れた存在が、マクガイバーでした。
秘密諜報員として活動するマクガイバーの一番の武器は「知恵」
科学的知識を使いながら、その場にあるものでピンチを脱するというのがマクガイバーの持ち味。
今そこにあるモノをどう使って活路を見出すか?という考え方が、自分のベースになっています。

完璧主義者的な気質の自分は、やや考え過ぎな傾向がある。
思った通りにしたい、ならないと嫌。
といった傾向があるので、
時には、
考えない・その場の状況に委ねるといういわば「テキトー」さを常に意識しておかないといけないと肝に銘じていたりもします。
先のことは先の自分が何とかする、何とかしてくれるだろうと考えるに至ったのは、マクガイバーの影響だと言える。

「『あそび人』の割に、マジメだよね」
とはよく言われる。
が、
私の考えでは、マジメにやれなければ『あそび人』にはなれない。だ。
矛盾しているかもしれないが、
それは一般的な『遊び人』をイメージしているからだろう。
そのイメージと私の『あそび人』は、
きっと大きくかけ離れたモノなのだと思う。

それもそのはず、
この世に『あそび人』について考えてきた人は何人いるだろう?
『あそび人』とは何か?
『あそび人』とは何をする存在なのか?
そんなことを考える人は、世の中にそういるものではない。
だから、伝えてみようと思う。

いつまで続けるか、わからない。
もう書かないかもしれない。
伝わらないかもしれない。
伝わらなくてもいい。
自分の頭の中にあるものを文字にしてみたい。
これも「遊び」の一つ。
「やりたい」と思ったから、やってみる。
「やらなきゃいけない」と思ったら、やめる。
いつやめるかわからない。
やってもやらなくても、どっちでもいい。
これは実験の一つ。
成功か失敗という結果ではなく、
やってみるという実験。
結果は求めない。
夢や幻のようなものである。

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