自分を知りたい
昭和のドラマではよく、体を壊しているお父さんが呑もうとする酒を家族に止められる……なんてシーンがよくありました。
そんな時、お父さんは、
「俺の体のことは俺が一番わかってるんだ!」
とセリフを言うのがお決まりのパターンでした。
一般的に観ている人がどう思うかはわからないのですが、
子どもながらに私は『このお父さんスゴい!』と思っていました。
私は子どもの頃からあまり運動神経が良くなかったので、
自分の体が思うように動かない、動かし方が分からないと感じていました。
父親は運動できる人だったので子どもの頃からいろいろと教えてくれたのですが、自分の言ったとおりにできない私に対して「なんでできないんだよ!」といら立つこともよくありました。
なんでできないのかは自分でもわからないので、説明することもできないし、説明できるほど理解も分析も言語力もなかったので黙ることしかできませんでした。
後にわかったのは、"できる人にはできない人の気持ちはわからない"ということ。
できる人は、意識せずに感覚やなんとなくでできてしまうので、できない理由を考える必要がありません。
できないことがわからないので、理解も分析もする要素が足りていない。
そんな経験もあって、「自分の体のことは自分が一番わかっている」というセリフを言えるお父さんに対してリスペクトを私は感じていました。
今では「そんなこと言って、絶対わかっていないだろw」とツッコミを入れられる程度には、状況や心情を理解できるようにはなりましたが……。
『あそび人』になる前後で、一番多く時間を使ったのが「自分を理解する」ということだったように思います。
未だに理解しきれていないと思うことばかりですが、「自分を知る・理解する」という作業は、とても必要なのにやることがほとんどないのではないか?と常日頃感じています。
それは、自分で自分を知っている・理解していると思い込んでいるのが、一番の要因だと思われます。
自分で自分を知っているのが当たり前、自分で自分を理解しているのが当たり前と、誰もが思っているように思います。
それに対して疑問に思う人もいないし、自分を自分で知らない・理解していないなんてことはないと、多くの人が思っているのでしょう。
ずっと自分として生きて成長して生きているので当然なのかもしれません。
もしそうだとするのであれば、悩むことも選択に不安を感じることもないのではないでしょうか?
自分の全てを知っていて理解できているのであれば、自分の行動も予測できるし、将来設計ももっと簡単にできるのではないでしょうか?
未来には不特定要素も多く含まれてはいますが、自分を理解できてさえいれば、何かが起きた時の対処法もある程度理解できるはず。
不測の事態に直面した自分がどうのような考えをし、どのような行動をとるのかもわかるはず。
何かの選択を迫られた場合でも、自分にとって何が良いのか?も理解し得るのではないか?と思うのです。
物事はそこまで単純ではないかもしれませんが、少なくとも自分にとっての良い選択は理解できるはずだと思うのです。
その選択や将来に対して思い悩むのであれば、自分をまだ知らない・理解できていないからなのではないでしょうか?
自分を知る・理解するためには、自分と向き合わないといけません。
なぜなら、自分を知る・理解するためには、自分をよく観察しないといけないから。
自分よりも他人のほうが、自分を理解しているということがよくあります。
それは、客観的に観察していることがあるからです。
出来事には、事実と真実があります。
事実は、出来事の内容。客観的に誰が見ても同じように見える事柄。
真実は、その事実に個人的な感情が入り、自分に対して起きた影響。
という理解を私はしています。
某有名な探偵は「真実はいつも一つ!」と毎週のように叫んでいますが、もじゃもじゃの大学生が事件を推理する物語では「真実は人の数だけ存在する。」と言っています。
どちらが正しいを論じるのは言葉のあや取りな感じなので、別の哲学対話などで話したいと思います。
大事なのは、出来事の事実と、その事実に自分はどんな感情を抱いたのかを知ること。
良い記憶も悪い記憶も事実は同じで、それに対しての感情が良し悪しを分けています。
事実と感情を切り離して、冷静に客観的に自分と向き合うことが大事です。
とは言っても、それはとても難しいことなのだそうです。
誰でも自分の嫌な面は見たくないし、嫌な記憶は思い出したくないものらしい。
忘れてしまっているのは、忘れることによって生きていけるために必要なこととも言われます。
ムリして向き合う必要もないと思います。
が、
自分を知る・理解するためには、必要なのかもしれません。
アニメや漫画の主人公も、自分の弱さ・下手さを知って克服することでパワーアップをすることが良く描かれます。
スラムダンクで安西先生が「己の下手さを知りて第一歩」と言ったように、上手くなろうと思うのであればまず、自分が下手なことを自覚することが必要なのかもしれません。
しかし、
自分と向き合うというのは、個人で勝手にやるのはオススメできないらしい。
精神的な傷に直面すると、そちらに引きずられてしまうこともよくあるそうで。
一般的には『内省』という行為らしく、医師の立ち合いの下で正しく行うことが必要らしい。
自分を知る・理解するというのは、自分をうまくコントロールするために必要な知識を持つということ。
ちょうど車の運転などに似ています。
ある程度車の構造や仕組みを理解していないと、うまく運転できないのと同じです。
『あそび人』になって自分をうまくコントロールするために「あそび」が必要という考えも、ここに繋がっています。
自分を知る・理解するというのは、自分のコントロール方法を知る・理解するに繋がります。
自分はうまく運転していても、たまには擦ったり事故に合うこともあります。
それも人生に似ています。