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この私の中の熱さを。

ずっと、私が思っていたこと。
私の中には、レディ・ガガがいる。
私の中には、ちゃんみながいる。
私の中には、エレカシの宮本浩次がいる
私の中には、岡本太郎がいる
私の中には、どうしても抑えられない、
私の中の熱い塊がある。

なんのこっちゃだと思うのですが、
私はずっと、私の中の熱さに
ずっと翻弄されている人生だった。
今でさえ、私は私の熱さを
扱えていないところもあるだけど…

この熱さを30代になった時、私は抑えようとした。
扱えないものだから、蓋をしてなかったことにしよう。
そしてなんとか遡行錯誤しながら抑えたら、
なんとも言えず人生が生きやすかった。

そうか、みんな、抑えて生きているんだ。
そう思った。

そうか、感情というものは、
人生を破壊へと導くものだったのだ。
だからみんな、
感情を押し殺して生きているのだ。
そんな中、
私はその感情を押し殺すことをしてなかったから、
あんなにも人生が生きにくかったんだ。

そして私は水面下に、
潜るような生き方になった。
自分から、あえてあまり話さなくなった。
水面下で、上を見上げて、
みんなの光を見ているような
そんな生き方になった。

私の熱さについて話そうと思う。
いつだったか、
私の中に私のモンスターがいることに気がついた。
多分、小学校に上がる前の年齢だったと思う。
自分の中に、抑えられない感情があることに
苦しさを覚えるようになった。

その感情は、両親を
『この子には何を言ってもダメだ』と言わせ、
言うことの聞かない私の身代わりのように、
私の姉が両親に従順になるようになった。

その頃(小学生くらいから)
いつだって、私は自分のことしか考えていなかった。
他の人間が生きていることなど、私には関係なかった。
私の世界の中心は、私だった。
私の世界には、私しかいなかった。

私は、私が最高だと思っていた。
誰かからの嫉妬を感じることもあった。
なぜだか、注目をされてしまう瞬間があるからだ。
小学生の時は、それで取っ組み合いの喧嘩になった。
男子三人 VS 私、のどう見ても負けそうな状況でも、
私は引かなかった。
そして、注目される理由は分からなくても、
注目されること、
それ自体は自分でもわかっていた。
そして、わかって利用していた。
相手のその感情を、自分の優越感にさえ使っていた。
それとは裏腹に、
世界が私の思う通りに動かないことに
私は怒りと憤り、そして絶望を感じていた。

この私の熱は、
小学生のような分かりやすい形で世界に現れなくても
姿形を頻繁に変えながら、
音楽をやめるときまで私の世界で続いた。
私は30歳まで、
この自分の内側から出てくる灼熱の炎に
いつでも燃やされていた。

今、思えば。
私は全然私を、
最高だと思ってなかったことを知る。
嫉妬されていたのは、
自分が嫉妬していたからだと知る。
利用していたのではなく、
いつでも利用されていると感じていたことに、
今の私は、あの頃の私をただただ抱きしめたくなる。

私の中の灼熱は、
私を隅々まで焼け焦がしていた。
精神的に病むまで、
私はこのことに、一切気づけなかった。

精神的に病むこと、
それは側から見たら、マイナスなことに感じると思う
最悪の方向に向いているように見えると思う
でも、今の私には、
あの頃、心を病んだこと、
そして、全てがストップして
私が私と真っ向から対面しないといけない
状況になったことは、
私を愛し、そして支えてくれている
神様からのメッセージだと思える。

それから
私の中の灼熱は無くなったのか。

その答えは、全く無くなっていない。
私の中には、鬱陶しくも
神々しい熱い塊が、今も存在している。

私は、その灼熱を愛の道具として使うことを
いつしか、ゆっくり時間をかけて決めていきたのだと思う

私の中の
熱い塊は、私の中の
エネルギーだった
それ自体には良いも悪いもない
それは、ただのエネルギーだった
そしてそれは
命と呼ばれるものだった

私はそのエネルギーの
道筋を時間をかけて描いていたのだ

私は最近、
私の中にある長年のこの灼熱を
理解し、受け止める機会を頂けた
そのことについても、
またお話しができたら嬉しいなと思っています



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