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面倒くさいの中にある、シンクロニシティという奇跡。
映画関係が続きますが…
最近見た『ハケンアニメ!』について。
私はあまりアニメには詳しくはないのですが、
『制作系』や『仕事系』のドラマや映画が
好きなんです
『重版出来!』『働きマン』
『プラダを着た悪魔』『アンナチュラル』
『マイ・インターン』『最強のふたり』
『ハッピーフライト』
『船を編む』『フラガール』
『はちみつとクローバー』
他にたくさんあるのですが、
特に、私は本やアニメ、漫画などの
制作現場がとても好きなようです
以前、宮崎駿監督のドキュメントを見たとき
その、めんどくさそうに
でも、自分の描いている世界を
どうにか生み出そうしながら
悪態をついてる姿に
ものすごく勇気をもらった
『勇気をもらう』、
本当にこの気持ちが一番しっくり来る
感動した、と言うより
私は勇気をもらったのだ
生み出すことは
めんどくさい
そして、それで良いのだと
私は世界で活躍する宮崎監督の姿を見て
感じたのだ
そして、最近観た
『ハケンアニメ!』。
この映画で描かれているのは
新人の監督と天才と言われる監督の
本人達の葛藤や描き続ける意味、
そしてその二人を囲み、支える現場の人の話。
そこにはめんどくさい人間関係や
社会の構図、そして思惑がある。
その中で監督である二人と
その二人を支えるプロデューサー
現場の人たちの思いや、
その人たちの仕事に対する姿勢が描かれている
私は最後の主人公の
『刺され』
と言う言葉になぜかすごく共鳴した
先日、私は
『私たちは受信機である』という
話をしたけれど
私たちは常にアンテナを張り
そして『何か』を受信してるのだ
そして
その受信している『世界』を
バチンと切り替えてくれるのが
主人公が望んでいる
『刺され』なのだと思う
そして、
誰か一人の世界が変わるとき
それを変えた本人の世界も変わるのだ
主人公の隣に住む
小学生の太陽くんの世界が変わったとき
主人公の世界も変わったのだ
それは、主人公が
誰かに影響を与えることを受け入れ
そして、
自分の世界が変わることも
受け入れた瞬間なのだと思う
その『刺さる』までの過程を
きちんと見せてくれたことも
私にはとても『刺さった』。
プロデューサーが
誰かの心に『刺さる』ところまで、
そこに辿りつくまでに
ブレずに、行動をするように
主人公を誘導する
それはそれは、主人公には
面倒で嫌なことだった。
それでも、プロデューサーは主人公を導く
私たちはどこで、誰が
どんな風に、何が刺さってくれるのか
それをコントロールすることはできない
だからこそ私たちは
常に『私は何を伝えたいのだろうか』と
いうことを感じて
そして、その際に出てきたアイデアを
ひとつひとつ、行動していかないといけない
その道は楽ではないし
面倒なこともたくさんある
でも、その過程には
たくさんの『宝物』がある
私たちは望んで
この物質化するまでに時間のかかる、
この世界に生まれてきた
物質化するまでに感じる感情や
経験をするために、
私たちは生まれてきたのだ
今の風潮である
『無理はしない』ということと
反対のことのように見えるけれど、
これは全く反対のことではないと思う
なぜなら、
私たちが『心地よい』と思うことは
実は、その過程にあるからだ
私たちは本当は
『時間』という空間の中にいる存在ではないので
のんびりすれば、幸せであるわけではないのだ
どちらかというと、
『行動』して動いている時の方が
私たちは幸せを感じやすいのだと思う
(その過程で休息があると
もっと幸せを感じやすいのだと思う)
私たちは望んで
『思えばすぐに叶う』世界ではなく
この物質化するまでに時間のかかる、
この世界に生まれてきた。
物質化するまでに
感じる感情や、そこで得る経験をするために、
私たちは生まれてきたのだ
そして私たちは
その経験を、その感情を感じ切って初めて
そこにあるプレゼントを受け入れることができる
そして、その奇跡を受け入れることが
私たちの『日常』になった時
シンクロニシティという奇跡も
私たちは受け入れることができるのだと思う