生きてることが辛いなら

こちら歌ってみました。
特別歌が美味いわけではないのですが、上手い人はこの世にたくさんいるなあとおもってます🧐

大切なのは自分の想いと伝えたいことを音楽や創作物にのせて表現することだと思っています☺️

生きてることが辛いならはリリース当時からよく聞いています。基本的に生きてることってしんどくて辛いことなんだなと私は思います…仏教だと修行というような概念を持つことが多いですが、まさに生きるとは修行のような行為だと思っています。

それは辛いことがたくさん降り掛かってくることだけでなく、生かされて、生きていかなければいけない、いつかは向かっていく死があるにも関わらずです🧐

しかし私はその無意味でぐるぐると回るような思考から抜け出したい時森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」を聴いてきました。

この曲は大変物議を醸した曲でした。しっかりみんな批判をする前に、ゆっくり、しっかり見て欲しいなあと感じました。

これはみんな見てるよ!とか味方はいるよ!とかいいことあるよ!とか絶望的な言葉が並べなれているような曲よりも希望に満ち溢れた曲であると感じています。

生きてることが辛いならならいっそ「小さく」死ねばいい

と冒頭で突き放してきます。そうです、他の人が悲しむとか…迷惑とか…そんなことは考えなくていい、死ねばいいんです。

身内に自死者がたくさんいる私でもそう思います。それはそれはわたしにとって辛い出来事でした。

しかし生死に関して私は…

その人に任せられる権利だと思うのです…。重い肉体から離れて楽になれたかな。そんな風におもうんです。

でも死ぬ前に

「生きてることが辛いなら」

を聴いて欲しかった。どうせ死にたいなら、その喜びを死ぬまでにとっておけ

と最後には自死を否定します。私たちや私ひとりの命、大きな成功を残したひとの命でさえ、まるでとっても小さな…他人にとっては本当に取るに足らないことであることが多いと思っています。

そんなことないよ、あなたが死んだら悲しい

といってくれる人もいるだろうけど…
きっと私の大切な人でさえ、私が死んでもなんだかんだ生きていくと思っています。

だから

死は長い長い永遠の宇宙のなかで小さく通り過ぎるものだから

死という楽しみが来るまでは触れるもの感情、自然を楽しみながら嫌になりながらも生きていけ

と、そういう曲だと思います。

シーユー!


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