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見据える方向性、というお話

我が家には三名の息子がいます。長男が(数え年で)5歳、次男が3歳、三男が6ヶ月という具合に三者三様の性格というか性質というか、それぞれに味を出しながら日々、楽しみを提供してくれています。

彼らとの時間が貴重だ、というのはよくわかります。

例えば、現在は #我が家の嫁 を含めた五名で寝室を共にしているのですが、もう10年後にも同一の部屋で五名で寝るなんてことは正直考えづらい。

5年という月日があっという間に過ぎたのだから、10年という月日もあっという間に過ぎてしまうことでしょう。

それなだけに、彼らとの時間は貴重だ、ということを日々実感しています。

ただ、それ以上に、僕たち夫婦の人生に対する充実度みたいなものがすごく重要な気がしていて、子供たちは良くも悪くも僕たちの顔と雰囲気をよく見て、感じ取っています。

僕たちが少し険悪なムードを出そうものなら我が家の長男は、即座にその雰囲気を改善すべく、僕たち二人に対して笑顔を見せながらこう言います。

「みんなで笑って生きていこうよ!」

それを聞くと、僕たちの起こしてしまった喧嘩なんぞ、どうでもいいことであり、むしろそんなことに時間を使ってしまうのであれば、彼らと真剣に虫を追いかけ回していた方がいいのかもしれない、という気づきを与えてくれます。

これは別に「奥さんとの時間を削って」と言っているのではありません。

喧嘩というのは、お互いの認識や意識の違いと言った差異を相互に認められなかった時に起こるものだと僕は思っています。

そうなると、交通事故みたいなもので、自動車と歩行者の双方が気をつけて行動することで未然に防ぐことが十分可能なのではないか、と。

そして、何かことが起こってしまった際にも、許容できるような関係を築いておくことができれば、夫婦間での喧嘩という、正直に言って生産性も何もない時間によって子供たちとの有益な時間を削るなんてことは避けられるんではないだろうかと思うわけです。

理想論ですけどね。理想がなければ目指すべき未来もないじゃないですか

彼らの人生は彼らが最終的には決めていくものであり、僕たち夫婦ができることなんてたかが知れているものだと思っています。

けど、その中でも出来ることがあるとすれば、彼らが義務教育を終えた段階で、むしろもっと前からでも構いませんが、「リスクとって行動する」ことを自然と受け入れられるような気構えを作っていければな...なんて。

彼らのみたいには果てしないほどの可能性がありますが、その可能性を広げることができるのか狭めてしまうのか、というのは一緒に生活する一番身近な大人である僕たちの存在がかなり大きな影響を与えるのだと実感しています。

ただ、大きな影響を与えるだけで、決定的な要因になるかといえば、それはなんだか別の問題なような気もしていますので、子供と生活を共にするというのは決して簡単なことではないなぁ...なんて考えたり。

そんなことを言いながら最終的には、僕たち夫婦がお互いにリスクに対して「やってみれば」とか「やってみようか」、「いいよ」と言えるだけの許容度を高めていければなぁ、なんて思う次第です。

結果、「新潟というエリアを失敗に対する許容度の高いエリアにする」ということを目指すのであれば、もっとも身近にいる未来を担うであろう存在に対する態度を改めて大切にしていこう、というお話でした。


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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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