夫婦が共に働くということは子どもとの時間が貴重になる
先日、フローレンス代表の駒崎さんのインタビュー記事が出ていまして、それにコメントつけてTweetしたのです。
インタビューの内容としては、育休の取得について現状認識を改めましょうという提言というか警鐘というか...といったもの。
@typeは求人情報サイトであるので、時代に即した求人情報を掲載している、ということに結びつけることが目的だと考えられるのは当然で、このインタビュー記事の本質はもう少し先にあります。
今回、槍玉に上がっているのは「時代遅れのバカ上司」と言われる人で、具体的にいうと、文中の表現を借りれば「育児を妻にアウトソースし、自分は仕事だけをやってきた人」です。
記事の入り口として、自民党の萩生田議員の「ママがいいに決まっている」という発言に対する意見を述べることから始まっています。
上記の引用した時代遅れのバカ上司というのは萩生田議員の発言を、なんの考察もなしに受け取れてしまう会社に所属するオヤジたち、という言い方ができます。
ちなみに僕が使うオヤジというのは"中年以上の男性"を対象としているわけではなく、アナクロニズム(時代錯誤な認識)に陥っている上に、それを改善しようとしない諦める人を指す意味で使用しています。
これは男性だけの問題ではなく、女性側にも同じ認識を持っている人は少なからずいて、社会全体的にそれを享受してきたからこそ成立してしまっている状況であるということです。
ただ、こう書くことによって勘違いされてもらいたくないのが、女性側に問題があるといっているのではなく、その状況を"仕方ない"と諦めてきた人たちの意思が呪縛霊のように引き継がれてきたということです。
つまり、男性は外に働きに行くものであり、女性は自宅で子どもの世話をするというのがデフォルト認識のまま変容させずにいる人もいるからこそ、現状の働く女性だけが苦しい状況になってしまっているということです。
これは橘玲さんの著書『専業主婦は2億円損をする』の中で触れられていますが、これから日本を担う若い世代は専業主婦というポジションを選択することで働くことで得られる賃金である2億円を得られないのは事実。
ここでは「あえて働かずに子どものための時間を持っているのだ」といった感情論をしたいとは思いませんので、悪しからずです。
僕は「女性が生涯賃金の2億円を得るために働くことを選ぶ」ということではなく、高次の欲求である承認欲求を満たすための行為として働くことが前提になっているというのが実情だと考えています。
つまり、自らのやりがいや生きがいを社会に還元したいと思った結果、自らの持っているスキルとそれを高めたいという意欲、そして、その対価として金銭を得ることが結果的に目的とする活動が"働く"という行為でしょう。
そして現状、夫婦共働きはデフォルト、つまり標準となっています。
我が家でも僕と奥さんは仕事をしており、子どもたちを保育園に預けた上で日々の生活を送っており、3人の子どもと僕たち夫婦の5名でなんとかやりくりしている状態。
子どもが一人、二人、そして三人と増えてきた中で感じていることは、嬉しさや楽しさというポジティブな感情が大きく跳ね上がることと、より時間の制約を受けることになるということです。
夫婦二人の時の時間の使い方と子どもが3名に増えた中で、生活をするための時間の使い方には雲泥の差があり、それを夫婦でどう分担するのかを決めるのは非常に重要というのが大きな実感を伴った僕の意見。
お互いの実家に助けを求めることは現実的ではなく、僕の実家は自営業でそば屋を営んでいるし、彼女の実家はそんなにバカみたいに遠いわけではないのですが、遠方にあります。
まぁ、別にそれは折り込み済みで僕と奥さんは生活しているので、子供が体調を崩したところで慌てふためくこともなく対応をしてきましたし、これからもしていくでしょう。
けど、圧倒的に自分の時間という形で満足に時間を作ることはかないません。もしかしたらどうしようもない状況になるかもしれませんが、会社に僕の代わりはいますが、僕の代わりに父親になる存在はいませんから、いざとなったら家族を優先させればいいだけの話です。
我が家はそれでいいかもしれませんが、他の家族はそうはいかないのかもしれませんし、そう考えると育児休暇を取得することを男性であろうが女性であろうが取得する/できることが今後はもっともっと常態化していくことでしょう。
そうなることが当然というか、いわゆる「普通」とか「常識」みたいな認識になればうるさくいう人も少なくなっていくでしょうね。
しかし、それ以上に大きな問題はその認識を受け入れられない人たちが一定数存在し、夫婦共働きが前提認識となる人たちとは埋められない感情的な溝を生じさせていることです。
これはいわゆる「普通」だとか「常識」という認識が好きな人たちというのは存在します。また、それが変わるためには世代が変わることを待つことが条件ですので、それなりに時間が必要なことです。
けど、それを待っている暇はありません。
結局、この認識を受け入れられない人たちの問題は、別に否定もされていないにも関わらず、自らが生活してきた中で抱いていた認識を受け入れることは自らを否定されると思っている節があることです。
その人たちが、ただ受け入れれば済むだけの話なのですが、上記したように彼らは自らのこれまでを否定されることを許容するわけにはいきませんので、受け入れるわけにはいきません。
だから上記の萩生田議員のような発言が出てくるのでしょうし、新聞やメディアが批判してるから批判するという人はよくよく考えた方がいいと思います。根本的に「いや、確かにママがいいでしょ」って思ってるのかもしれませんよ。
子どもに対して「ママとパパ、どっちが好き?」みたいな質問はひたすら子どもを苦しめるだけの愚問です。子どもが二人いたとして、「どっちが好き?」と聞かれる状況を考えればすぐにわかります。
答える必要のない質問ですから。
どっちが好きだなんてのはきちんと相互に向き合い、一定以上の時間を共有してきた上で安心感を抱ける関係性が構築されているのであれば、どうでもいい話なんです。それができていないから質問をするのでしょう。
それが前提とした上で僕が主張したいのは、共働きの場合、子どもとの時間がすごく貴重な時間だと認識することができます。
「べつに専業主婦だって感じることができるし...」みたいな言い分はわかります。
けど、僕がいいたいのはそういうことではなくて、共働きの場合には時間的な制約が大きく増えることについては上で述べましたが、そうなると夫婦間で時間配分を明確に切り分ける必要があります。
役割分担という言い方になるかもしれませんが、どっちが何をするというのをガッチリと決める必要はないと思いますが、お互いにできることをやるようにすること、つまり家族の一員としての役割を全うするように行動することは非常に重要です。
なにせ時間は限られていますから、子どもの生活リズムを整えてあげたいと考えるのであればあるほど、家事については効率的に行う必要がありますし、一分一秒でも無駄を省く必要があります。
半ば強制的に子どもに対して行動するように求めることすら出てきます。
それが常態化すると、子どももそれを踏まえた上で行動するようになってくるのですが、押し付けがましくするのではなく、ほどよい加減で行えるかどうかは常に課題です。
我が家では子どもたちの生活リズムを整えてあげることを第一優先としています。要は睡眠時間をきちんと確保してあげたいと思っていて、それは休日でも昼寝の時間を確保したり、就寝時間が可能な限り早めるようにしています。
そうなると、平日の保育園終了後から就寝するまでの時間、そして起床後から保育園へ登園するまでの時間、そして休日。
日々、子どもたちを過ごせる時間を計算すると、ものの数時間しかありません。休日でもどこかに出かける日以外は昼寝を前提にしているので、1日の中でも10時間過ごせればいい方です。
だからこそ、僕たち夫婦は彼らとの時間を量を確保することはもちろん、その質を高めるために日々の生活時間の短縮や効率化を進めたいと思っています。
それは上でも書いたように、子どもたちとの時間は貴重なものだという認識を持っているからであり、どちらかに押し付けるようなことはありません。
もちろんお互いに仕事をしながらでもあるので、非常に負荷が高いのは否めません。それでも、僕たちは共働きを選んでいますし、これからも変わることはないでしょう。
その前提は子どもたちの幸せを願うので以上、自分たちがイキイキと生活していることを見せることが第一だと考えているから。
共働きであるということは、子どもとの時間を大切に考え、その貴重な時間を確保するために行動をすることにつながりますよ、というお話でした。
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