#ディープインパクト に惹かれて
特別に好きだったのかと言われたら、そんなことはない。
だけど、彼の走るレースがすごく気になっていたし、勝ち負けはもちろんなんだけど、彼の走る姿が気になっていた。
彼の遺伝子を引き継いだ子どもたちが走るたびに、彼の面影を見たし、彼の走る幻影を常に先行させてしまっていた。
そんな速くて、強くて、何よりもかっこいい競走馬だったディープインパクトが頸椎骨折を理由に投薬による安楽死を選択され、この世を去った。
日本競馬史上二頭目の「無敗の三冠馬」
三冠馬というのは、馬年齢で3歳の時期に限定される、春の皐月賞(2000m)、初夏の日本ダービー(日本優駿;2400m)、秋の菊花賞(3000m)といった距離の異なるレースをすべて勝った馬にのみ与えられる呼称だ。
日本競馬は東京競馬会の発足を元年(1906年)とした場合、ゆうに100年を超える。その中で三冠馬の呼称を頂ける競走馬は7頭しかおらず、数は減っているものの、毎年5,000頭以上(ディープインパクトの年は6,600頭を超える馬)が競走馬登録をする中で、気象条件や距離といった条件が異なるレースを世代の中とはいえ、勝つのは非常にハードルが高い。
ましてや、それを無敗、つまり一度もレースで負けることなく制したことがあるのは、1984年のシンボリルドルフと2005年のディープインパクトのただ二頭のみだ。
負けても揺らがない魅力
ディープインパクトの魅力は競走馬としては小柄な体格だったものの、その躍動感のあるバネでも入っているのではないかと感じさせるような疾走感あふれる走り方だし、その素人目にもハッキリと『速くて強い』と認識できるレースっぷりだ。
デビューレースから引退レースまですべて騎乗した武豊にして『まるで飛んでいるよう』と評した走りは、武豊の存在も相まって、大きなワクワクを提供してくれるものだった。
僕たちはディープインパクトに乗れない。だけど、代わりに乗ってくれる武豊が飛んでいるようだと言うのだから飛んでいるのだろう。
そして、我々の代役である武豊の表情に僕たちはコメントを期待してしまっていた。ディープインパクトが初めて負けた有馬記念後のコメントに、一ファンである僕たちも固唾を飲んで「何が起きたのか」を知りたがった。
しかし、その期待に武は応えられない。
「何が起こったのかわからない。飛べなかった。」
絶望するほかない。我々の代わりにディープインパクトの背中になる彼が「わからない」というのだから、我々には知る由も、術もない。ただそこにあるのは、ディープインパクトが負けた事実のみ。
こんなにも感情が引っ張られるものなのか。引っ張ってくれる魅力がディープインパクトにはあるのか。そう痛感した2005年の年末だった。
ごめん、やっぱり…
冒頭で『特別に好きだったわけではない』とか書いておいて、大変恐縮なのだが、やっぱり好きだ。大好きだ。
この文章を書いていて、ここまで、ここまで思い返すあるのか…と驚きにも似た、そして哀しみが僕の感情を覆ってくるのを感じた。
それだけ、彼のレースに、走る様子に大きな魅力を感じていたのだと実感したし、その実感こそ、何よりも彼の魅力なのだと気づく機会になっている。
改めて、何度も見返したディープインパクトのレースを見たが、衝撃的なデビュー戦と第2戦、無敗で勝ち得た三冠に安堵したのと同時に益々の活躍を期待を抱いた菊花賞、絶望を味わった初めての敗戦。そして、国内での負けを払拭し飛び立った世界の舞台。名残惜しい気持ちでありながらも、感謝の気持ちを抱いていた最終レース…沢山の思いが詰まってるし、呼び起こしてくれる。
それだけでも、彼が特別な存在なのだと認識するに足るのだと理解でき、それがまた嬉しいと思う。
ありがとう、ディープインパクト。
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