僕と長男と次男と三男と生活してみて
我が家では息子が3人になった、ということを以前にご報告させていただきましたが、その3名の息子たちのなかで最も言葉の数が豊富で、力強い動きができる長男を見ていて、ふと感じたことを書きます。
彼がこの世に"Hello, World"と産声をあげ、子どもとの生活が徐々に始まったわけですが、子どもとの生活って思い描いていた通りにいかないことしかありません。
ただ、別にそれを悪い様には捉えていません。養育者としての僕たち(僕と我が家の嫁)と彼はお互いに相手のことが憎いが故に、意図して相手の意思を挫こうとしている訳ではないのはわかっていますから。
しかし、です。
3人と生活する様になってから痛切に感じているのは、子どもに対するストレス度合いが軽減されているということ。
まだ生まれて間もない小さな三男は、何もできませんから泣くしかありません。最近になって少し笑顔っぽいものを見せる様になってきたし、時折、爆笑ともとれる笑い声をあげる時がありますが、基本的には泣くだけ。
そんなことしかできない姿に思わず心がホッとなりますが、長男の時にはそれがひどく辛かった印象。
いま3人目に対しての気構えと、1人目に対して抱いていた気構えとは全く異なる次元のものです。
子どもが1人の状態と2人や3人と増えていく中で"怖さ"がなくなったし、"だいたいこの程度できる"という見切り方ができるようになったからだと思うんですね。
何もかもが暗中模索の中で、ひたすら泣かれることに対し嫌気がさしていた1人目との生活と、1人2人と新生児期や乳幼児期の子どもとの生活を経て、泣くことに対し予想を立てることができるようになったことの差は歴然です。
長男と次男との経験を踏まえてきたからこそ、ただひたすらに泣くことしかできない三男くんへの対処というか当たり方が圧倒的に柔らかく優しくすることができていて、それを思うと長男と次男には感謝したりません。
おそらく、この感情というか気持ちは生活を共にする子どもが一人だけだった場合には抱けなかったでしょうし、今はその人数が増えていることに喜びを感じるばかりです。
日本は世界に類を見ない少子高齢化の只中であり、高齢者の高齢化が進み始めています。
街を歩いていると少子化なんて現実なのかというぐらいに親子の姿を目にすることが多いのですが、おそらく、昔の親子数は比にならないぐらいに多かったのでしょうね。
待機児童の問題だとか潜在待機児童の問題ってのは喧伝されて久しいですが、子どもとの生活が女性だけのものであるはずがありません。
僕は長男をはじめとした子どもたちと生活することで、充足感を強く感じていますし、それがなくなって欲しいとは微塵も思いません。
子どもとの生活を苦に感じることはありませんし、楽しいものでしかありません。そりゃ〜、時に叱るときもありますが、それはそれ。できることが増えていく過程やできたときの喜ぶ様を見ていると、希望しかありません。
あとは失敗をどうデザインしてあげられるか、というのが僕たち養育者たる保護者の役割なんだろうなぁ、なんて思うわけです。
基本的に失敗はしていいものであり、すべきものです。失敗をせずに何かを学ぶことはありませんし、上手になることもありません。自転車に乗るためには何度も転ぶしかないのです。
ただ、その失敗をする上でも"どんな失敗だったのか"や"なぜ失敗したのか"という検証はしなければなりませんし、それは親と子どもとの共同作業です。
常に自分が目を光らせ、闇雲に失敗したことを叱責したり、そもそも失敗しないように手を貸すような行動は子どものためにはなりません。
まあ、何を持って子どものためというのかという定義付けは必要かと思いますが、最終的に子どもたちは自らの足で立ち、歩いていくものです。
そのためには子どもが自ら失敗に対して対処できる術を身につけているべきだ、というのが我が家の見解です。
だから公園や子どもが多く集まる遊具のある場所で、基本的には高いところに登ろうとしているのであれば登らせるべきだし、走って転んだのであればもう一度走らせるべきです。
そこで落ちたり、転んだりすることを裂けるような環境を整備することはすべきではありません。
子どもたちの失敗を存分に受け止めてあげるべきだし、その環境を整備することに対し身魂を費やすべきだと強い意志をもって言いたい。
なぜなら、子どもたちはすでに僕たちの失敗を否が応でも受け入れてくれているから。
おっぱいが飲みたいのにうまくおっぱいが飲めないような配置をしてしまったり、眠たいのに寝かせてくれない環境に置かれたり...
彼らは僕たちがうまくできなかったことを拒否することもできず、受け入れ続けることしかできなかったのに、僕たちが失敗を受け入れない(失敗させない)なんてのはおかしな話です。
僕たちは基本的に失敗をする生き物です。
僕たちも子どもたちに対して失敗をしているんだから、子どもたちの失敗にも寛容でいるべきだし、その環境整備を真剣に遊びながらやっていきたいですね、というお話でした。