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我が家の長男が5歳へ

我が家に長男が来てくれたのは2013年のこと。

その時にFacebookに載せた文章を改めて読んでみたら、思い返すと共に、 #我が家の妻 に感謝する気持ちを再度呼び起こさせてくれたので、加減筆と修正をしてnoteに記載することにしました。

【遠藤の息子誕生報告】
11月29日正午前から始まった「陣痛から誕生まで」の時間ですが、なんとか終わりまして、11/30の18:02に外界へ産声を上げてくれました。

その段階で、ここ(facebook上)にご報告を載せることのできなかった理由があるのですが…

私のことなので、お会いした皆さんにお話をしていくことだと思いますので、書いていきます。

まず、前提として、私の妻は非常に痛がりです、と。結構敏感な痛がりです。だから、看護師さんに「痛いかもしれないけど、もっと痛みが出てくるから!あんまり痛がり過ぎないようにね!」なんて。

まるでオオカミ少年のような扱いを受けてしまうぐらいに痛がり。

陣痛間隔が短くなってきたのが冒頭の時間。その時点で5分間隔。そこから病院へ向かいまして、出産のために控えていたわけですが、一旦、間隔が1分間隔に狭まったため分娩室へ。

しかし、子宮口が狭すぎて出てこれないよ、と。まぁまぁ仕方ないです。初産は時間がかかるって言うし。そして出てこないまま時間が過ぎていき、翌日10:20頃から再び分娩室へ。

結果的には、紆余曲折を経て18:02に「帝王切開」で出てくることに。

彼女は最後まで自分の力で出してあげたいと希望したのですが、そこに至るまでの時間経過と「痛がり」である彼女がそこまで痛みに耐えながら出産に臨んでいたことを医師も把握していましたので、これ以上は無理だと。

そう考えたので、承諾書にサインをしました。

サイズも(結果的に)3,690gと大きな我が子。当初の見立ては、「母体の疲労と胎児のサイズが大きいことで母体側から押し出せない」でした。

(後ほどわかったのですが、へその緒が85cmと割と長かったこともあり、それが袈裟懸けのような状態になっていて出れなかった、と。)

そこから手術へ移行していくわけですが、サイズの大きな子どもを腹の中で据えながら30時間戦い続けたことで、子宮の働きが非常に弱く、自ら収縮することが困難に

筋トレを目一杯やって、筋肉が縮なくなる感じ...ですかね。そんな折、実家へ「帝王切開で生まれた」と報告の電話を入れ終えた僕に担当医から話がありまして...

「手術中の失血量が2.0リットル。術後の検診で出てきていることが確認できた血液が0.5リットル。正直、安全な状態ではありません。

あぁ、何を言ってるのかわからない状態、というのはこういう状態のことを言うんだ、と妙に納得をした気がしました。

これって、受け止めきれない現実を突きつけられた時に起こる一種の拒否反応みたいなもので、あるわけがないことや起こってほしくないこと、つまり想定をしていたけどしたくなかったことを目の前にすると起こる反応なんですね。

そう思えば、手術中から彼女がずっと震えていたのを思い出す。術後にも震えが止まることはありませんでした。今にして思えば、血液の絶対量が不足しているがために、体温を上げることが出来なかったわけですね。

「2.5リットルの血液を損なう」なんて「致死量じゃないの??」と率直に思ったわけですが、よくよくググってみたら、人間のカラダの中に存在する血液は"0.56リットル/キロ"でした。

...ってので、それで彼女の体重を考えて計算しても、絶対に失ってはいけない量なはず、だよなぁ...。

そこからですね、彼女の状態を把握してしまった僕と、状態を把握してない彼女の間に明らかな認識的な齟齬が生じている状態が始まりました。

そして、彼女の顔はドンドンと青くなり、喋っている意識も言葉も朦朧としてました。血圧は図るたびに下降線。唇も真っ青。

「輸血が必要です」と告げられ、いよいよ現実味を帯びてきた考えたくもなかったことがどうしても頭のなかに浮かんできます。

明らかに状態が悪くなっていく彼女をみている僕に、そんなこと言われたら「子供と二人になるの…か」なんて考えざるをえません。

彼女の術後から寝ていたベッドには彼女の下半身から流れでた多くの血液で満たされていて、本当に嫌で嫌で仕方なかったけど、覚悟せざるを得ない状況...。

大きなサイズの子どもを抱えた状態で30時間も収縮をし続けた子宮が収縮できなくなり、血液を子宮内へ送り続けたことが大きな要因なんですって。

ただ、ここ(病院)まで血液が届くのが、田舎なもんで、割とインフラ整備されてるようで不便な地域なこともあり、最短で考えても60分。

そこから血液の適合性をみるパッチテストなどを経て、輸血できる状態になるまでには具体的にはわかりませんが、もっと時間が必要な訳で。

そこまで彼女が維持できるとは全然思えません。

時間を追うごとに動かしづらくなっていく彼女のカラダと表情を見ていると切なくなり、涙が出てきました。

ただ、彼女にそんなの見せるわけにも行かないじゃないですか。

トイレに行って、拭って、「よし」って言って戻る自分。

そんなことを繰り返しながら、なんとか彼女の状態をせめて維持するように声かけながら、看護師さん達の邪魔にならないようにしながら、長いようで短い、短いようで長い時間感覚と向き合いながら過ごしてました。



その結果…



無事でした。

病院側の考えたストーリー通りに彼女のカラダが反応してくれた結果、踏ん張ってくれました。ホントに良かった…。

生まれ出てきた子どもを見た時には、数時間後にこんな恐怖感を味わうことになるなんて思っても見ませんでしたが、今振り返ると、こんな経験もありかな、と。

妻の妊娠出産を間近で見てきた身として、切実に感じたのは「とんでもないこと」だということ。あんなに痛がってる姿を近くで見てると「途中でやめてほしい」とすら思ったもんです。

痛がりの彼女を知ってるから余計に感じたことなのかもしれないけど。

とりあえず、うちの奥さん、今はベッドの上でいびきかいて寝てます。


それから5年経ち、そんな状況で生まれた彼も、いまでは2人の弟を抱えるお兄さんになり、自分の誕生日を祝ってくれる人たち相手に顔と目を見ながら「ありがとう」と言えるように。

なんだか正義感というか、オカシイと思ったことが嫌いで、昆虫や生き物が大好きで、恐竜のマネをしてるかと思ったらドラゴンボールのCHA-LA HEAD-CHA-LAを歌い出すという、そんな彼です。

彼との生活も、当時、彼女が命張ってくれたからなんだよな...と、イロイロとヤキモキさせるような行動をとってきたことを申し訳ないとも思い...

同時に、それでも一緒に生活をするという選択をしてくれていることに感謝しています。

彼の誕生日は、彼女が母親になった日でもあり、僕が父親になった日でもあるわけで。彼の弟が生まれた日は、彼が兄になった日なんですよね。

誰かの誕生日を祝えるというのは、その母親や父親にもおめでとうといえるステキな日。あと一ヶ月もしたら僕も誕生日を迎えます。

自分の誕生日って、年々、楽しみではなくなってくるのですが、唯一、共に生活をする子どもたちから「おめでとう」と言われるのを思い出すと、悪いもんではないな、なんて天の邪鬼化してしまいます。

やっぱり楽しみです。

そんな事を考えた、長男の誕生日でした。

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