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#スポーツの未来に僕たちができること (#スポみら)第四弾の当日です

"新潟を許容度の高いエリアに"を胸に

#スポーツの未来に僕たちができること (#スポみら)と題して活動をしていることの根幹は、ぼくが認められない人間だったから、というなんともネガティブっぽい原体験が理由だ。

以前書いた記事の中で、2018年2月からの1年間は、ぼくが許容されるだけされてきた一年だった、ということを書いたけれど、「許容される」というのは誰にとっても嬉しいものではないのかもしれない。

確かにいえるのは、ぼくにとっては生きがいにつながったし、充実した生活を送るためには不可欠なものだったということだ。

なぜなら、ぼくにとって「許容されるか否か」というのは、「自分が存在していていいのかどうか」という点と相似だから。

ぼくがぼく足り得るためには、「ぼく自身を認めてくれる人」や「ぼくがやることを許容してくれる人」が必要なわけだが、それに気づいている人、もしくは過去に痛みを伴い、それが人にはそれが必要なんだと気づいた人は、自然と行動がそのように赴くのだと、主観ではあるが感じている部分だ。

こんなにもぼくが許容に対して強く達成したいと考える背景には、子どもたちの存在がある。


子どもたちが絶望する未来にしたくない

ぼく自身が体験した「居場所をなくされた空虚感」もそうだが、それに輪をかけて、子どもたちと生活をともにし、彼らの発する言葉や態度を見るに連れて、頭ごなしに否定することは何の意味を持たない態度なのだと気づくことになった。

そして、その態度は、僕と同じ屋根の下に暮らす子どもたちだけではなく、他にも僕と同じように生活している人たち、つまり大人の人たちにだって、"しなければならない態度"なのだと思い至った。

ぼくが「尊敬はされなくても尊重をされるような態度や行動を取れるようになりたい」と考えている一番の理由だ。

得意・不得意というのは誰にでもあるものだが、それを認識することは容易ではない。

「自分が〇〇ができるけれど、■■が苦手。だから、■■を改善すれば、もっと仕事ができるようになる(はず)!」と抱きがちなのだけれど、ぼくはそれをすんなりと受け入れ、肯定することができない。

社会人なのだから苦手なことを克服することは当然だ、のような説教じみた言説はまったくもって耳に入らないことを通告した上で話を進める。

子どもたちは何が得意で何が苦手なのかを様々な経験を通じて把握する。

我が家の息子達も多分に漏れず、その過程を経ることになると思っているが、ぼくはありがたいことに彼らの親たる立場として接することができるが、彼らがその過程で得たどちらに(得意・不得意)対して注力したほうがいいのか、ということを考える。

有無を言わさず得意な方だ。

"得意ではない方"というのは、まず気乗りしないし、前向きに取り組むことができない上に、いわゆる"最大努力"を発揮できない。

もちろん、いくら子どもだからといって、何でもかんでも避けるべきだとはまったくもって思わない。

そこ(得意ではないもの)に向き合うことは必要だとは思う。自分が■■が不得意だということを踏まえた上での行動を身につけるためには、どうしても不得意なものに触れていないと身につかない。

ただ、だからといって、不得意なことに注力すべきだとは思わない。

そこに注力するには条件がいるからだ。

その条件は「他人が認めること」と、「当人が認めること」。ここでいう「認める」というのは不得意なことを、だ。不得意なことを認める、というのは簡単ではない。も一度いう、簡単ではない。

なぜなら、他人の失敗や不得手な内容は、「格好の攻撃材料」だからだ。

過去のぼくも自分でできないくせに人の失敗や不得手に対して、ひどく不寛容な態度をとっていたからよく分かる。人を認める、というのは決して安穏としてできることではないのだ。

不得意なことはできないことが多いし、それに伴う失敗も多くなる。そこに対して、嬉々として攻撃してくる人(顔は怖い)がいる、ということも含めて、理解はする必要がある。

だけど、そんなことばかりする大人ばかりだと、流石に絶望する。ぼくはそんな風に絶望するからやめよう、となる世界を望んでいないし、子どもたちが生きる世界がそんな冷たい世界なのはごめんだ。


許容して信頼する・できる空気をつくりたい

そんな風に考えているから、ぼくはとにかくポジティブな空気をつくりたい。「いいね」「やってみなよ」という雰囲気をつくっていきたい。

一歩を踏み出そうとする人がいたら、「あ、何かやるの?内容は?教えて教えて!」みたいな空気だ。

もちろん、やるとなったら、きちんと議論して、見通しが大甘なのであれば、そこ修正するべきだし、仕組みとして整えていくべきだ、というのは大いに賛成。

ただ、はじめの一歩を踏み出そうとする誰かは、その一歩を踏み出そうとするだけでもいっぱいいっぱいな状態になっていることがほとんどだ。

前に進もうと考えたけど、やめようか...いや、けど、ここで引いてしまったら自分としての誇りみたいなものが...とか。

頭から否定することではなく、一度飲み込んだ上で、問題点や課題点はこんなところにあるよね、と。

そうしたら、こんな方向性の方が活路がアリそうじゃない?という具合にポジティブなやりとりに昇華できるようになれば、生きづらさとかやりづらさみたいなものは取りはらえるんじゃないか。

そう考えてる。

「いや、そんな絵空事を...」と言われるのはよくわかるし、実際に言われてきた。いまでも言われてる。それでも、ぼくみたいな誰でもない個人が仲間を集めて行動できるんだ、ということを見せなければ、次がない。

未来のために捨て石になる、とは全く考えていない。

けれど、やり始める誰かが継続してたら、それとなく雰囲気が出てきて、活発化していくものだとも思っている。マラソンの世界記録や日本人スプリンターの100m9秒台みたいなものだ。

認知的な限界を越える人間が出てくれば、次にやる人たちにとっては普通のこととして認知されるような状態になった時、新潟、もっとワクワクできるエリアになってるはず。

小さい小さい、本当に小さい活動だし、経済的な「つよさ」なんて微塵もないのだけれど、活発に動く人が多いよね、というエリアにするために継続していく。

どうか、みなさんも一緒にやっていきましょう。


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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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