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やりたいことがない、は別にいいと思う

Twitterのタイムラインから

Twitterのタイムラインに以下の内容でsem_master(@semlabo)さんのTweetが流れてきたもので、ちょっと引っかかりましたので、意見を投下しました。

僕は過去に専門学校で勤務していたことがありましたし、かくいう僕も専門学校の卒業生でもありますから、こういうのってよくわかるというか、あるあるの話なんですよ。

さすがに、sem_masterさんみたいに、数値的な後ろ盾をもって説明することはできませんが、専門学校の場合は「やりたい」と思えることがあったから学校を選んで進学するんですね。

しかし、その「やりたいことの方向性」が漠然としているがために、当時やりたいと思っていたことと自分の(あらゆる面での)能力との差に気づいた瞬間から、やりたいと思えなくなる、なんて人も出てくるんけで。

自然競争選抜というか、適応種選抜みたいになっていく、ということも言えますが、力があるものが生き残る、ということではなくて、如何に業界や慣習に適応できる人間が生き残れるのか、という状態に陥ることにより、結果的に気に入られた人間だけが旨味を享受できる、といった具合。

そこからあぶれてしまった場合、そんな適応した人に嫉妬を感じながらも、自分にはできないものだということで諦めてしまい、大してやりたいと思ってもないことにシフトチェンジしていく…

やりたいことがあるのは「恵まれた状態」

そんな姿を見てきたし、自分自身もたった数年ながらも「やりたいこと」「やりたいと思えること」を商材に生活をしてきた経験から出たのが、以下のTweet。

やりたいことが「ある」というのと「ない」というのは、大して差があるとは思えない、というよりも差はない、というのが本意。

やりたいと思えることがある人が偉いとかすごいとか、そんな話になるべきでもないし、なることもないと思ってます。

もし、それを分けるのであれば、Aということに対して、やりたいと思える気持ちが「ある」人はやっていいけど、「ない」という人はやってはいけない、というような言い方にもなりかねないのではないか、と思うわけです。

現実はそうなっておらず、生活のために「割り切って仕事をする」という認識もたしかに存在することはしていますので、そんな風に「やりたくないならやるな」という人は多くはないと思います。

ただ、「やりたいって思えない」ということが、いけないことではないという認識は持っておいてもいいのだと思います。

僕がこんな風に感じるのも、子どもと生活を始めたというのが大きいんですね。

彼らと生活を共にする中で日々痛感しているのは、大人は「選択肢を揃えられるだけのものを揃えることしかできない」なんていう事実。

介入できるようで介入ができない、とでもいえそうです。

興味関心を引くようなことを提示できれば、それはそれで「よかったね」になるのかもしれませんが、その興味関心を提供できるのも、養育者たる親が広い認識と知識と見識を持っていないと提供できません

「ひらがな」を、「あ行」から「さ行」までしか知らないのに、「ま行」のことは教えられないのと一緒で、まったく自分の生活をしていない世界があるということを自覚し、その可能性すら選択肢として提供できないといけないような気がしているのです。

もちろん「それは考えすぎで、現実的ではないだろう」なんてことも言われるのですが、そう思うからこそ、僕はやりたいと思えることがない状態というのは、否定できないだろうと言いたいんですね。

やりたいことがある=スターを獲得した状態

やりたいと思えることがある、というのは、その前提からすると、すごく恵まれた状態だといえますし、キラキラしている状態。眩しい。

スーパーマリオでいうアイテムのスターを獲得した状態。こう、やる気に満ち溢れているのと同時に、何がぶつかってきても平気で、速度感も増します。そう考えるとよく考えられているなぁ、なんて感心します。

だけど、スターの無敵状態も長くは継続できませんし、穴に落ちてしまえば、そもそもステージを継続することすら敵いません。そして、スターを獲得できるのはスターが出てくる箱を叩いた時だけなのです。

場面と条件が揃ったときに、はじめてその姿を確認することができるのがスターというアイテムですが、スターは移動します。アイテムボックスを叩いたからといって、確実に入手できるわけではありません。

箱を叩いたら、そこから出てきて動いているスターを取らなければいけないわけです。

僕は、やりたいことがある状態というのは、そんないくつかのハードルを乗り越えた先にあるものだと思っていて、ふとした瞬間に手に入ることもあれば、条件がいくつか揃ったからこそ入手できることもあります。

だから、やりたいと思えることがなくたって構わないと思うのです。やりたいとも思える気持ちを持つことだって、特別なことで、乗り越えなければいけないことがあるのだから、というのが僕の考えです。

どうでしょう。

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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