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#何気ないツイートから始まる物語 (16話)〈ある選手のもとへ届いた〉

何気ないツイートをきっかけに、スポーツビジネス界の大物と地方都市に住む一般人であるぼくがイベントを企画・実施することになり、その後の人生に大きな影響を与えることになったことを記した、ちょっとした物語。

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前回まで
Twitterのなかで、えとみほさんへ登壇をお願いし、なんとか受諾していただくことができ、これでゲストは5名となった。資金調達を目指して始めたクラウドファンディングも、決して順調とは言い難いものの、参加者が楽しめる環境にはなってきた。さらに、それを支援してもらえそうな「繋がり」がもう一つ......

早川史哉選手との繋がりもTwitterから

一方的に認知はしていた。過去にトレーナーとして仕事をしていた時期には、サッカーの現場にも顔を出していたことから、中学生年代から年代別に日本代表として活躍していた彼のことを認知しないことは、当時のぼくからしたら不可能ともいえた。

サッカーが上手であるとともに、学習面でも優秀であり、学習するだけでなく、あらゆることに対しての興味と関心を抱いて学びを深める姿勢を評価する声が新潟県内の指導者たちから発せられていたし、それを聞いていたからこそ、ぼくは一方的な認知を得ることとなっていた。

新潟に住み、育ち、サッカー選手になった彼のことを認知していないのだとしたら、それはサッカーに限らず、スポーツ全般に対して興味がなく、普段からそういった情報にアンテナが伸びない人たちだろう。

イベントの資金調達を目指したクラウドファンディングを手掛ける中で、Twitterでの発信はもとより、Facebookではサポーティングチームが立ち上がっては資金的な面でもそうだが、それ以外の活動自体を支援してくれることになっていた(13話14話)ため、周知活動はプロジェクトオープン以後、それまでのnoteを更新するだけだったものが、広く拡散されるような状態にはなっていた。

おそらく、その中から埋もれていきそうな情報だったのにも関わらず、見つけてくれた上にフォローまでしてくれた。それが早川史哉さんだった。

Jリーガー、そして白血病サバイバー

スポーツをやっていたとしても彼の認知を「誰もが」「確実に」しているのかといえば、そんなこともないだろう。だが、サッカー選手としての顔以外に、急性リンパ性白血病サバイバーでもある彼のことを、「それ」がために認知をしている人はいるかもしれない。

普段、ぼくは自らの命は「あるもの」だと思っている。さらに正確にいえば、「不当な理由や望まないタイミングで失われるものではない」とタカを括っている。それを保障するだけの根拠を持ち得てないのに、そう考えているし、そう考えてきた。

自分に家族ができ、子どもたちと触れる機会が増え、知り合える人が増え、できることとできないことの狭間が見えてきた中で、少しずつ自分なりの人生に対しての過ごし方や楽しみ方を嗜めるような実感を得られてきた。そんな過程の中で、ぼくはいつしか「死」に対して恐怖感を覚えるようになり、生きることにしがみつくようになったのを覚えているし、今でも実感してる。

想像することすら怖く、慄くものだ。それを自分に突如として、そっと、だけど確実に存在を感じられるようになった際の感情を、ぼくは知らない。過去に妻が長男の出産をした際に出血量が多くて亡くなりかけたことはあるが、それは自分ではなかった。それが良かったとか悪かったという話ではなく、自分自身で体験していないからこそ、そうなった自分を知ることがなかった。それを結果的に体験してしまった彼は、自らの生きること、選手としてプレーすることの意義や価値を見出すことができているように思う。

彼がピッチに立ってプレーする姿を見ることができた時に、スポーツとして、娯楽としてのサッカーを観戦するだけでは足りない感情を抱くことをしてしまう。

それを彼が望む・望まないに限らず、ぼくたちはしてしまう。
勝手にそう感じてしまう。
「良かった」と言ってしまう。

けど、それを動機にしてサッカー観戦に行く人が増えることも、社会とスポーツの関係を構築する一つの手段だし、彼はその責務を自信に課しているようにも思う。そして、この時期には、徐々に彼は復帰に向けて順調な回復をしている報道が多くなってきていた。

サポーティングチームへ参加

彼がTwitterで情報を広げてくれたこと、フォローされたこと、そしてサポーティングチームへの参加を打診したところ、快く受け取ってくれて、実際に入ってくれたのだが、彼がグループへ入ってきた時、ぼくは感じた。サポーティングチームの中にはあったかい空気が溢れてくるのを。

Facebookグループだから、デジタルだし、雰囲気とか感じられるわけがないと思うのかもしれないが、確かに、あのグループ内には「早川史哉」を知らない人間はいなかったし、彼の境遇を改めて調べた人間が揃っていた。その彼が加わってきてくれたこと、そして、彼とも目的を共有できていることに対して、非常に前向きで、心強い気持ちを抱いた人間が多かったのではないか。

少なくとも、ぼくはそうだ。間違いなく、ぼくは喜んだし、うれしかった。

だけど、だからと言って、クラウドファンディングの成果に直結するのかといえば、それはまた別の問題だったが、サポーティングチームの人たちがやってくれたのは情報の拡散だけじゃなかった。

次回「プロボノとして活動してくれる人たち」

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このマガジンは何気ないツイートからでも自分の人生の幸福度に大きく貢献できるだけの行動につなげることができることを実証した内容を書いてます。何もない普通の人だとしても、勇気次第で前向きでステキな人生にできるような気になります。

地方に住む「普通の人」であるぼくが、ある業界の大物に何気ないツイートで絡んだところから、イベントを企画・実施するところまでを追ったちょっと…

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