生命の危機にさらしてまで働くべきか否か
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
「台風が来ているけど、出社するべきか...」
この葛藤を経験したことがある人は少なくないでしょう。以下の書籍では、台風の日に上司は出社しており、出社しないことによって上司から人事評価などで非公式な「サイレント減点」がなされることに触れられています。
2024年8月30日時点で、日本には台風10号が吸収を直撃しており、関東や東海にも激しい雨が降っています。
この影響を受け、東海道新幹線は30日始発から名古屋〜三島間で終日運休を発表するなど、少なくとも「生活に支障を与えるレベル」の状況であるといえますが、この状況でも多くの企業では「通常業務を継続する」と通達が出されていることでしょう。
この通達は、一般社員に向けて出されるものであり、役員などの管理職層は暗黙の出社が期待されていることから、これに付き従う一般従業員は評価される、とこういうわけです。
今回は、台風出社の是非という具体的な問題について考えるとともに、働き方や「成功」の定義について再考してみることにします。
人生の「成功」とは何ぞや
長年、日本社会では「出世のためには自己犠牲は当然」という価値観が支配的でしたし、未だにその空気感は残っていることでしょう。
なぜなら、社会における上位層、つまりは経営者や役員たちは、そういった危機的な状況でも出社してきたし、その状況に対応してきた経験があるからです。
経営者や役員は24時間、会社のこと、会社が成長することを考え続けなければならない立場ですから、そうやって会社の危機的な状況に備えることすらも対価に含まれています。
それを一般従業員にまで求め、残業や休日出勤を厭わず、個人の生活よりも仕事を優先することが「良い社員」の証とされてきましたし、繰り返しになりますが、そういう従業員が評価されるのは当然でしょう。
でも、ぼくはこの価値観が正しいとは思いません。
以下、厚生労働省の統計では、2023年の過労死の認定件数は247件、過労自殺の件数は212件に上ります。
これらの数字は、どう考えても仕事中心の生活が個人の健康や幸福を脅かす可能性を示していますし、健全な死とは思えないのです。
一方で、ワーク・ライフ・バランスが取れている従業員の方が生産性が高いことを示す研究もあります。
2014年にスタンフォード大学経済学部教授のJohn Pencavel氏が発表した研究では、週50時間以上働いたとしても生産性は、それ以下の労働時間の人と比べて顕著な差がないことが分かったとされています。
The Productivity of Working Hours John Pencavel
これらの事実は、「成功」の定義を見直す必要性を示唆しているといえるでしょう。
人生における成功とは、単なる昇進や高収入ではなく、健康的に生活が送れていて、その中で家族や友人と充実した時間を過ごしつつ、仕事を通して釈迦への貢献を実感できるようなことにこそあるんじゃなかろうか、と。
これは何も新しい「成功の定義」と呼べるほどのものではありません。しかし、これを守ろうとするのなら、台風時に無理して出社することの意味も変わってくるはずです。
自分や家族の安全を守ることこそ、立派な「成功」の一部なんですからね。
多様性を包括するという平等な働き方とは何か
社会生活を送ることは、自分以外の存在を認めることです。価値観や思考が多様化することを許容せざるを得なくなった現代において、一律の働き方では対応しきれない現実もあります。
たとえば、障がいのある人、育児や介護をしている人、あるいは精神的な健康上の配慮が必要な人など、本当に様々な事情を抱える人がおり、そういった人たちでも「働ける環境」や「働きやすい環境」、さらにいうならば活躍できる状況を整えることが重要になってきます。
なぜなら、日本は日本語話者が自然減少する段階だから。つまり、いわゆる健常状態の労働者がいなくなっていくわけです。
すでにテクノロジーの進歩によって、この課題に対する一つの解決策を提供してくれています。
ありきたりではありますが、リモートワークやフレックスタイム制の導入により、従来では難しかった柔軟な働き方が可能になりました。
2020年に全世界で起こったコロナ禍を機に、多くの企業がこれらの制度を導入し、その有効性が証明されてるでしょうし、それによって生産性が増加している企業もあるでしょう。
もちろん、それに沿わない、合わない企業もあることでしょうが、できる企業は継続していけばいいだけの話です。
でも、テクノロジーだけでは解決できない課題もあります。
たとえば、精神障害のあり就労支援においては、就労継続支援B型のような既存の制度が重要な役割を果たしています。この制度は、一般就労と福祉的就労の中間に位置し、個人の状況に応じた柔軟な働き方を可能にする可能性を秘めています。
ただし、これらの制度にも改善の余地があるのも事実です。
たとえば、就労継続支援B型から一般就労への移行をよりスムーズにする仕組みや、一般就労と福祉的就労の間をより細かく段階分けした制度の導入など、制度や仕組みを知れば知るほど、就労継続支援B型で大きく稼ぐことができるような人が発生した場合の対応など、です。
何がいいたいのかっていうと、多様な働き方を「特別」なものではなく、「当たり前」のものとして社会に根付かせることです。
何かしらの障壁や障がいがあるからといって労働をする機会すら損なわれてしまうことは、幸福とはかけ離れているでしょ。
個人と組織の win-winについて考える
従業員の well-being(幸福度)向上は、単に個人で達成すべき問題ではなく、実は、組織にとっても大きなメリットがあるはず。
だって、そもそも従業員が過労死するような、もしくは台風の日に出社しなければ出世ができないだなんて情報が流布するような会社に誰が望んで雇用契約を結ぼうとするでしょうか。
「いや、そんな甘いことでは...」なんて言いたくなる気持ちは理解できます。それで会社を成長させてきた自負があるのでしょうし、従業員は会社から「雇用される」存在だと思っているから当然でしょう。
もう時代は、会社も選ばれる側です。
先にも書いた通り、日本語話者の労働者は減少傾向にあり、選り好みする労働者が増えてきます。そう、選り好みするのです。
そうなってくると、今後の課題として「具体的にどのようにして個人と組織の win-win 関係を築けばよいのか」が出てきます。
評価システムを見直すとか、多様性を包括できるようにするとか、健康経営とか、いろいろとそれっぽいことを書くことはできますが、結局はこれです。
選り好みされる会社になる。
これしかありません。
でも、そうするしかないんですよね。
だって、死ぬ思いを死てまで働くなんて、どう考えても健康的じゃないですもん。
おわりに
なんだか、いろいろと書いてきましたが、自分の人生は自分で守るしか内んですから仕方ありません。
みんな、生きましょう。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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