どんな大人で、どんな背中を見せたいか、というお話
僕と我が家の嫁は(我が家の嫁というだけあって)夫婦をやってます。いわゆる家族ということですね。
そして、その間には4歳と2歳と0歳の息子たちが、なんていうか彩りを出してくれています。今回はそんな彼らに対して、というのもそうだし、自分がどういたいんだろな、ということを。
まず、僕は子どもが好きではありませんでしたが、息子たちとの生活をし始めたことから、割と子どもが好きになりました。
もちろん、決して楽しいことだけではありませんし、何でもかんでも楽しいと言って済ませられたらいいな、とも思いますがそんな簡単なもんではないですよね。
色々とあるけど、それを踏まえた上で楽しいと感じることができているのは、息子たちのパーソナリティがそれぞれに出てきたことが嬉しさを感じるとともに喜びをもたらしてくれることを実感してるから。
彼らとの生活が大変ながらも充実するのは、僕と妻だけの生活では味わえなかったことを経験できるからで、未知の体験や経験を得ることが大きくて、それは出かける場所もそうだし、話す内容もそう。
それまでの価値とは大きく異なる転換を図れることになり、大変ながらも充実した生活を送ることに繋がっています。
そんな彼らに対して「大人として」接するとか「大人らしく」接するとか、年齢と立場と身長を生かしたマウントを取りたいのではなく、率直に素直な姿を見せたいと思って生活してるわけです。
どんな姿か。
失敗に向かう。他人の失敗を許容する。
挑戦する人をバカにせず、応援・支援する。
失敗する人がえらい。
失敗こそ最高の学習方法。
そんなことを当然のように言えるし、態度としてもそれが当然であることを前提にできているようにありたい。そんなことを彼らと接する上でどうにか保っていたいと考えている姿です。
失敗するかもしれないことと、成功が確実なことのどちらを選ぶのかを考えれば、失敗しそうでワクワクしてしまうような内容に向かっていくことを自然と選択してしまうような背中でありたい。
こうやって書いてしまうということは、まだできていないということの裏返しでもあります。
その自覚があります。
だから、書いてしまうことでやるべきことに。そんな父親の戯言ですが、切実な考えです。