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#何気ないツイートから始まる物語 (4話)〈コアメンバーの選出〉

何気ないツイートをきっかけに、スポーツビジネス界の大物と地方都市に住む一般人であるぼくがイベントを企画・実施することになり、その後の人生に大きな影響を与えることになったことを記した、ちょっとした物語。

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前回まで

何気ないツイートから、岡部さんへTwitterの手ほどきが始まり、そこから「関係」を築けたことで、イベントの開催に向けて走り出すことに。会場選びに悩んでいたぼくのもとへ、福田拓哉さんから連絡が入り「田舎からでも世界とつながれる」というメッセージを携えて実施することに決定。

会場担当の本間さんとの"接続"

これで企画のコアとなるメンバーに、ぼくと福田さん、そして、会場担当である新潟経営大学の准教授である本間崇教さんに入ってもらうことに。

本間さんは、新潟明訓高校の野球部出身(投手)で、早稲田大学のスポーツマーケティングで博士過程を修了後、福田 拓哉さんの後釜として新潟経営大学へ着任された方だ。

福田さんが新潟を去り、福岡へ行かれたのは2017年の春。

少数ながらも福田拓哉を囲む会『Fun(Fukuda Unlimited Night) Meeting』を主催していた身(ただの飲み会の幹事)としては『送別会を実施せねばならぬ!』と思い立ち、福田さんに声をかけて送別会を開いた。決して大人数で華やかな場にはならなかったものの、参加してくれたみなさんには随分と満足してもらったような印象を抱いてる。

その際に福田さんが「後釜をよろしく!」って述べていたが、福田さんがいなくなった後に同様の会を開くまでの気力が湧いてこず、本間さんにはお声がけできずにいた。

そして、たまたま時期的にもよく、福田さんが新潟に来る機会があったので3名で話すことに。

ぼくは過去にスポーツトレーナーとして活動をしていた際に、高校野球の現場を頂戴していたが、本間さんは当時、新潟県内でも強豪校だった新潟明訓高校に在籍していた投手だったのもあり、懐かしい思い出を共有できたことで、まったく面識がないと思っていた本間さんとも、それとなく共通項があったことが嬉しくもあり、「はじめまして」のつもりが、それだけではない関係だったと知れたのは安心にもつながった。

だが、会場を担当してくれる心強い仲間は決まったものの、今回の企画(プロジェクト)を走らせる上で、ぼくだけではまったくもって力不足なのはいうまでもなく、それを誰よりもぼくが認識していたため、不安感が拭えなかった。

イベントの開催に向け、核となってくれる上に、ある程度柔軟に動いてくれそうな人。そして、訳のわからないしがらみで雁字搦(がんじがら)めになりながら動けなくなる人ではなく、それを承知の上で、ぼく個人が主催するって流れに同調して乗ってくれる人。そんな人が集まった状態でなければできないし、Twitterから派生した今回の企画をやる意義が薄れてしまうな、と感じていたため、その人選は慎重、かつ大胆にやらなければならない。

コアメンバーの選出どうする...

再び、福田さんに相談した。

ぼく
「一緒にやってくれる人を募りたいんですけど......」

福田さん
「遠藤さんさ、飲み会の幹事をやってくれてたじゃない。そこに参加してくれてた人でやるのがいいんじゃないかな。面も割れてるし、お互いにどんな人柄なのかを把握した上で取り組めるわけだからさ。」

ここで福田さんが触れている「飲み会の幹事」とは、上で触れているFun Meetingのことだ。

当時、新潟にAKBグループのNGT48が立ち上がるだなんだと騒いでいたのもあり、新年会をSNKとか忘年会をBNKと称しながら、ワイワイと楽しみながら開催していた。

福田さん
「そこに参加してくれてたメンバーで、それこそ組織の論理でなく、今回の個人発の企画に同調してくれて、フットワーク軽く乗ってくれそうな人たちに、素直な気持ちで"お願い"したらいいんじゃない?きっと大丈夫だよ。」

今後も都度都度出てくるのだが、福田さんは常に「大丈夫」と繰り返してくれて、不安に駆られるぼくを安心させてくれた。なんだかんだと言って、彼がいなければ今回の企画自体も進捗するどころか、抱えきれなくなったぼくがダメにする可能性が大いに高かっただろう。

そう考えると、彼の存在が企画を遂行する上で不可欠なものだった、と強く感じている。

コアメンバーの選出=任意団体の創設メンバー

福田さんに言われたのもあり、二人で相談しながら、コアメンバー候補の選出と、依頼をすることにしたが、あまり増えすぎても管理が大変になる。また、情報が煩雑になりすぎるだろうと思い上限を「5名」までにした。

5名にしたのはそれ以外にも理由があり、お金のやり取りを、ぼく「個人の口座」でやり取りをするよりも、「任意団体として口座」を持った上で行った方がいいとの判断をしたのも一つ。

ここで一応の体裁として、ぼくの個人主催であるけれど、任意団体の代表が取り組むことを対外的に触れ回ること、そして、その任意団体が今後も継続的に活動をしていくためのキックオフ企画として、今回の岡部さんを絡めた企画を執り行うことが決まった。

とはいえ、ぼくは既にスポーツ業界から離れているため、可能な限りスポーツ業界のなかにしっかりと腰を据えながら、それなりの人脈を使いつつ、触れ回ってくれる人たちに任意団体のメンバーとして入ってもらうことにした。

ぼくと福田拓哉さん、そして、新潟経営大学に福田さんの後釜であり、イベント当日の会場を担当する本間崇教さんで、既に3名が決まったため、残りは2名。

生き様に魅力がある二人

ぼくと福田さんがよく知っており、当時、ルートインBCリーグの事業部長を務めていた梶原 駿さん。

そして、NewsPicksで「タックル高橋」として名を馳せている高橋 孝輔さんに加わってもらい(加わってもらったと書くと交渉ごとがあったかのような言い回しなんだけれど、実際には勝手に巻き込んだという方が正しい...)、Facebookメッセンジャーでグループを作成し、徐々に熱を高めていくことと相成った。

この2名を選んだ理由は単純で、ぼくの主催する飲み会にも参加してくれていたのもそうだが、ぼくと福田さんの中で「人生のバンジージャンパー」としての認識における共通項もあったため、生き様自体に大変魅力のあるのも理由の一つだった。

また、梶原さんはルートインBCリーグの事業部長として、全国を駆けずり回りながらリーグの成長を加速するために動き回っており、その根底にあるのは野球に対する愛情を感じていたからだ。

高橋さんにおいても同様で、NewsPicksでのファン数はもちろん、アメリカンフットボールを心から愛する気持ちを強く強く抱いているからこそ、その熱量を行動に活かしつつ行動を繰り返してきた人だから。

結局、二人ともスポーツが大好きだからだ。二人にことの経緯を話すまでもなく、ぼくが書いたnoteを読んでくれていたし、福田さんがシェアした投稿に反応してくれていたので、改まって説明することもなかった。

そして、今回のぼくと岡部さんとのつながりの構築をはじめ、企画自体に対しても好意的な反応をしてくれたことから、メンバーとして入ってもらうことにした。

福田さんとのつながりの道筋をつけてくれた小池さんにも加わってもらいたいと思ったのだが、この時、小池さんも就業環境が変わったばかりで、なかなか大変だろうと「忖度」し、声をかけるのを控えた。結局、最終的には、中に入ってもらうのだけど...。

他にも、加えたいと思ったメンバーはいたものの、とにかくフットワークを軽くしながら、それでいて人選にも影響を与えてくれそうなメンツとしてぼくと福田さんの間で決めたので、他の人が不足しているだとか足りてない部分があるだとかって話では一切ない。

ただ、それぞれのバックボーンがどこにあって、それなりに影響力を持ってそうな人たちがゲストとつながることによって、さらなる発展も期待できるのではないか、と欲を出したのは確かだ。

そんな中、岡部さんがNewsPicksでの連載記事にぼくとのつながりについて記事を書いてくださった。うれしかったのはいうまでもない。いうまでもないのだけど、同時に、ここまで出してもらった以上は「やり切らなくてはいけないな」そう思った。

なんだよ、世界を股に掛ける男は懐も大きくて堪らない。こんなにも魅力的な人が、本当に「普通の人」である自分とつながりを持ってくれて、それを大切な「機会」にしてくれようとしている。

これを「開催できない」だなんて状態にはしたくないし、するべきでもない。何がなんでもやらなきゃならない。うれしさ半分、そして、プレッシャー半分。ちょうどいい。やるべきことをやっていくだけだ。


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地方に住む「普通の人」であるぼくが、ある業界の大物に何気ないツイートで絡んだところから、イベントを企画・実施するところまでを追ったちょっと…

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