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子どもの才能を見出す大人の態度

夢をかなえるゾウ』や『LOVE理論』の水野さんがこんな風にツイートしてまして。

ほぁ、なるほどなぁ、なんて思ってたんですよね。確かに、一番近くで生活をしているはずの親が才能や、それを育む機会をみすみすと見逃していたのだとしたら、それほどまでに不幸といったら大げさかもしれないけど、悲しい事態はないのかもしれない。

そしたら、それに対して田端さんがこんな風に反応をしていてね。

ああ、確かにね、そうだよねぇ...なんて。

親が既知の内容でしかない才能を子どもが保有しているって状態が、子どもを一人の人格保持者として悲しいし、自分に置き換えて観たときに寂しい気もします。

親が「お前がやろうとしているのはよくわからん。すごいのかどうかも判断がつかん。」なんて風に言える内容だったら、古い価値観に縛られる内容ではなく、これからの時代に即した内容になっているのかもしれないよねぇ、なんて思う次第。

皆さんはどんな感想持ちましたでしょうね。

三男の寝かしつけ担当は僕

あ、そうそう、そういえば。

我が家の三男の寝かしつけ役は僕なんですがね。乳幼児であるのに変わりはないので、母親からの授乳は受けているものの、1歳を迎える前から寝るときには僕とともに布団へ入るようにしていましてね。

最初の頃は泣きましたよ、もちろん。普段、授乳してるんだから、寝るときにだって授乳しているわけで、それまでは飲みながら寝てて、寝たら口をチュパって鳴らしながら離されて置かれるような流れだったんですよね。

そんな彼でしたが、1週間も僕と寝るようになってからは別に何の問題もなく。クフフ...。

ゴロゴロと僕の周りを転がりながら、どこかちょうどいいポジションを探し続け、最終的には股間の位置で寝たり、脇の位置で寝たり。時として、場所が悪くて僕の血流が淀み、痺れてくる機会もあったりしますが、それにしたって今となってはスヤスヤと寝てくれるように!

相対的な残り時間

...いや、特にどうだ、という話ではないのですが、成長を実感する機会は子どもと生活をともにしていれば、それはもう腐る程に出てきます。

それは自分と血の繋がりのある家族以外の子どもたちに対しても同じ感想を抱くもので、子どもは存在しているだけでプレミアムな成長を常にできる、言ってしまえばずるい存在なわけで。

ただ、みんながみんな同じようにグングンとタイミングを揃えて伸びていくのかといえば、決してそんなわけがなく、早熟的に早めに活躍を見せてくれる子もいれば、早熟な子たちの陰で地味ながらも着実に伸ばし続けてくる遅熟の子もいます。

ちょっとだけ問題というか、大人たちの課題になるのは、遅熟の子たちに対して、ついつい焦るような気持ちから「早く早く」って急かしてしまう人が少なくないよね、とは思っていて、その態度はどうにか改善をしたほうがいいような気もしたり。

その意味で言えば、子どもの様子をじっくりと見守れるだけの余裕を持った大人が増えたらいいのになぁ、なんて思うのと同時に、自分の幸福度を高めるような生活をできる人が増えるだけでも、子どもたちをみる目も変わってくるんじゃないだろうかとも思うわけです。

「時間がない」ってのは物凄くストレスのかかる表現なのですが、なぜにストレスを感じるのかと言えば、時間がないからです。人の生死は時間の動静によりますし、いずれ「死を迎える」ってのは「時間が止まる」って意味だし、誰もが見えはしないけれど、その時間が止まる瞬間に向かって生活をしてます。

大人の態度

相対的に子どもは時間が多く残っていて、大人は残り時間が少ないわけだから、必然的に余裕がないのは大人な訳で、子どもには猶予があります。

大人たちは自分の時間が限られているのを実感しているから、自分が把握できる内容だったり、知っている内容の中で埋まろうと保守的になりがちですが、子どもたちはいろんな刺激に触れる機会も多く、時代もドンドン新しいものが生まれてくるから、伸びる素地はそこら中に転がっていて伸び放題の伸ばし放題。

そこで保守的に接するのか、革新的なっていったら大雑把な気がしますが、新しいモノやコトにドンドンと一緒になって埋没できるような関係を構築できていたら、共に伸びる機会を得れるような気もします。

何れにしても、僕が現時点で子どもと生活をする一人の親として、はたまた、世の中にたくさんいる子どもたちと接する機会のある大人として大切にしたいと思っているのは、能動的な態度を見せられるのかです。

子どもの才能を見出すにも、自分自身が狭い了見の中でしか生きていなければ何がすごいのか、楽しいのか、嬉しいのか、辛いのかといった感情の揺らぎ想像すらできません。

想像力は創造力なので、何かを生み出すのに想像力が大きく寄与するのだとしたら、反対破壊するのは実際をあまりにも大切にする保守的な態度。つまりは過去踏襲のみを踏まえた態度だと言えます。

実際に起こった事実のみを扱っていれば、確かに起こったのだし、起こるのだから予測を立てやすいため、行動を規定しやすくなりますから、心配な事柄が減るでしょう。

実際をないがしろにしろといっているのではありません。

ただ、あまりにも想像を欠いた態度ばかり取っていては、子どもたちの未来に対する投資をするにも、過去踏襲の態度になってしまいかねないと思うのです。

結論としては、大人が自身の可能性を広げましょ、となります。

大人と子どもの間でせめぎ合いじゃないけども、お互いに楽しみながらお互いのやる内容を探り合える関係を構築できたら、すごく楽しそうですよね、なんて。

だから大人も、相対的には時間がないかもしれないけど、毎日の生活で余裕はないのかもしれないけど、子どもの可能性を広げるためには自分自身の可能性を広げていかないと、子どもにおいていかれてしまうよ、と。

僕はそんな風に考えたのです。あなたはどうですか。ご意見ください。


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#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中。現在は会社員をしているものの...


今回の文章に関連するオススメ書籍は、上でも紹介していますが、水野敬也さんのLOVE理論。ドラマ化されたりもしたのでご存知の方もいるでしょうが、本文中に書かれているいくつもの理論は男女関係を基軸書かれているのですが、関係を深めるのはコミュニケーションの応酬ですから、対人関係の指南書とも言えます。



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