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自分の周りには何かしらのマイノリティーが存在すると自覚した方がいいって研究結果

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 minorityマイノリティーって言葉、majorityマジョリティーと混同してしまう人、正直に手を挙げてください。「マジョリティー…って少ない方だっけ??いや、違うな。反対だ。」みたいな。

 フィリップ・K・ディックの短編小説『マイノリティ・リポート』を題材にしてトム・クルーズが主演したSF映画もありましたね。

 多様な人たちを示す意味で使われる代表的な言葉としてLGBTQがありますが、これはLesbian(レズビアン=女性同性愛者)、Gay(ゲイ=男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシャル=両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー=心と体の性が異なる人)、Queer/Questioning(クィアまたはクエスチョニング=性的指向・性自認が定まらない人)の頭文字をつなげた略語で、性的少数者(sexual minority)の総称です。

 そう、少数者のことをminorityと言うのですが、これを我々は日常的に「いないもの」であるとは言わずとも、「いない」ことを前提に生活をしている、つまり過小評価していることが新潟大学の新美亮輔准教授による研究で明らかになりました。

 この研究内容について、簡単に解説を行いつつ、無視するとは言わずとも、つい過小視してしまうことを避けるためにはどうしたらいいのかを考えてみます。

新美亮輔准教授による研究の概要

 まず、紹介した新潟大学の新美亮輔准教授による研究について。

 この研究が明らかにしたのは、数十人規模の集団内にマイノリティーが1人以上含まれる確率を過小評価する傾向があること。

 この研究は、色覚異常者や性的少数者など、人口の数%を占めるマイノリティーを題材に、30人や80人といった集団内に1人以上含まれる確率を被験者に推定してもらうといった手法で行われました。

 数学的には、人口の3%のマイノリティーなら30人中に1人以上含まれる確率は約60%で、実験では9割近くの人がこれを下回る確率を回答し、最頻値は1%でした。

【新潟大学】「集団にマイノリティが一人でもいる確率が大幅に過小視されていることを発見 -思考の誤りのパターンを認知心理学で解明-」内の図2を引用

 ここで思考停止した人、いますよね。

 逆に考えてみればわかりやすいのですが、人口の3%は何かしらのマイノリティーであるとしたら、残りの97%はマイノリティーが1人もいないって確率です。で、それを30名分かけて合わせていきます。

 0.97 × 0.97 × ... × 0.97 (30回)

 次に、少なくとも1人がマイノリティーである確率は、全員がマイノリティーでない確率の残りの部分ですから、全体の確率(100%)から、全員がマイノリティでない確率を引けば求められます。

1 - 0.97 × 0.97 × ... × 0.97 (30回)

 これの答えは、0.598…なので約59.8%となりますから、30人中に3%のマイノリティが1人以上含まれる確率は約60%です。

【新潟大学】「集団にマイノリティが一人でもいる確率が大幅に過小視されていることを発見 -思考の誤りのパターンを認知心理学で解明-」内の図1を引用

 個々の確率が小さかったとしても、集団のサイズが大きくなればマイノリティーが含まれる可能性は意外と高くなるのですが、どうやら、こういった確率的思考が苦手なために過小視してしまうのではないか、と言うのがこの研究の本旨です。

 ぼくも気をつけているのですが、大抵の場合、人口割合そのものや、人数の期待値(人口割合×集団の人数)を確率の代替として用いる思考をしてしまうがために、つい数学的に間違った方向で考えてしまうんでしょう。

 この過小評価の傾向ですが、集団の人数やマイノリティーの題材を変えても同様に見られたそうですが、数学的な確率を提示されると、マイノリティーに配慮した意見への賛同度が高まったことから、知識によって確率判断の苦手さを補える可能性も示唆されてもいます。

 この研究のすばらしいところは、人がマイノリティーの存在を過小視しがちな認知的要因を明らかにし、多様性の理解を阻む心理的障壁の解消に向けた重要な知見を提供するものと言え、これを基に過小評価のメカニズムのさらなる解明や、確率を直感的に伝える工夫の開発などが期待されます。

なぜ過小評価してしまうのか

 マイノリティーが存在することを母集団に対する比率で見てしまうために「いないもの」もしくは「いる確率は極めて小さい」と勘違いしてしまうことから過小評価してしまっている現状があり、これは人間の確率判断の苦手さにあることは既に触れた通りです。

 具体的には、問題を厳密に解く方法がわからないため、代替的な簡便法でに頼ってしまいます

 この研究で多く見られたのは、マイノリティーの人口割合そのもの(例えば3%)や、人数の期待値(集団の人数×人口割合)を確率の代替として用いるパターンでしたし、おそらく、そういった勘違いというか計算方法がわからないがために過小評価につながります。

 一方、論文の中では数学的な確率に近い高い確率を回答した人もおり、「期待値が1を超えていれば確率は高いはず」といった妥当な推測をしている例もあったそうですから、適切な思考ができれば正しい判断に近づく可能性もあるわことを示しています。

 ただ、そもそも「集団内にマイノリティが1人以上いる確率」という問題設定自体が、多くの人にとって馴染みのない難しいものであることが影響しているでしょうね。

 確率の過小評価は、単に確率計算が苦手というだけでなく、確率的思考を日常的に応用する機会が少ないことにも起因していると推察されます。

 こうした認知的バイアスは、マイノリティーへの偏見というよりは、人間に一般的な思考の癖と言え、そうした無自覚な認知的要因が、マイノリティの存在感を低く見積もる心理につながっている可能性を示したことにあります。

 確率に関する教養を身につけることって、多様性への理解を促す教育的な示唆も得られた意味では、非常に意義と意味のある研究結果だと言えるのではないでしょうかね。

どういった配慮をしていくべきか

 結果的に少数派に属することとなっている人たちは割合が小さくても高い確率で集団の中にいる可能性があることは確率の教養を身につけることで認識しやすくなることがわかりましが、そこから先の話もする必要があるでしょう。

 クラスや職場といった日常的な集団に、マイノリティーが1人以上含まれる可能性は想像以上に高いため、マイノリティーは身近に一定数存在するという前提に立つことが必要となります。

 「自分の周りにはマイノリティーがいない」という先入観は、無自覚のうちにマイノリティを排除する言動につながるかもしれませんし、そういった先入観は目を曇らせます。biasバイアスってやつです。

 あと、少数者の人が自分の周りには存在しないと思考してしまうことに影響を与える要因として、マイノリティーの当事者から経験や思いを直接聞く機会がないことも影響しているでしょう。

 その前提となっているのが無意識下の偏見。

 自分の周りに少数者がいないと考えてしまうのは、自身がそういった人を眼前に据え、対峙したことがないからではありますが、「そんな人が存在するはずがない」と無意識の下に偏見を抱いてしまっている可能性を自覚する必要があります。

 確率の過小評価も、そういった認知的なバイアスの一種であって、普段から自身の言動や行動を振り返りながら偏見に基づいて判断をしていないかどうかを丁寧に点検した方がいいはずです。

 このように、少数者が自分の周りに存在しないと思い込む背景には、メディアにおける表象の偏り、交友関係の同質性、教育での多様性の扱いの不十分さ、社会の同調圧力、無意識のバイアスなど、複合的な要因が絡み合っている事象です。

 マイノリティーの存在を正しく認識し、多様性を尊重するには、これらの課題に多角的にアプローチしていく必要があるでしょう。一人ひとりが自分の認知の歪みに気づき、意識を変えていくことが何より大切なんでしょうね。

おわりに

 と、こんなところでしょうか。

 いやー、こういう「教養って大事なのよ」って気づかせてくれる研究があるってのはいいですね。勉強が大事ってのは、こういうことに気づける機会を逃してしまう可能性を下げるために使うんですよね。

 またいい研究があれば紹介しまーす。

 ではでは。

 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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