20181214_ゲスト_五勝出拳一(アスリートVALUE)
アスリートのVALUE発信者
ここ数ヶ月の中で、スポーツビジネス界隈の中で『アスリートが高めるべき3つのVALUE』の著者としてザワザワさせた日本に40人しか同姓がいない、という五勝出 拳一さん。
実は12/14に開催する #スポーツの未来に僕たちができること は五勝出さんの登壇が決定した段階で内容がほぼ確定していました。
アスリートのVALUEについて言及されている五勝出さんに、多様性の高いアスリートと、多様性の高いアスリートと常に向き合っている方々とを引き合わせた上で、『スポーツの価値』について考える、といった機会。
そもそも登壇に至る経緯としては岡部恭英さんが12月に豪華な面々を集めてトークイベントやるという告知をTweetしたところに参加と登壇を直接依頼をかけた五勝出さん。
しかし、五勝出さんの念願叶わず...だったところにサッと割り込んでお誘いをして受けていただきました。言い方を悪くすればかすめとるようなイメージですかね。
僕としては「棚からぼた餅」的なデキゴトことであり、同じnoteユーザーとして(コンテンツに大きな差があることは置いておきます!)、お会いしたく思っていましたし、共創する機会を設けることができ、嬉しく思います。
スポーツは個人生活を犠牲にしなければならないのか
僕はスポーツが好きです。
スポーツが好きなのは好きですが、やりがい搾取的な働き方を強いられることも、強いることもやってはいけないものだと考えています。
直接的な言い方ではないにしろ「個人生活を犠牲にしてこそ成り立つ世界」を求められることは早晩なくなってもらいたいと考えています。
これは何もスポーツに限った話ではないのだとは思いますが、個人の「自己満足を満たすことができる」状況を利用して成立させなければならない環境は、いつか無理が祟り、瓦解へと進んでいくだろうと考えてます。
本質的に本人たちが強い志のもとで多少のストレッチも苦ではない、もしくはそれを補い合える状態(相互フォローがある関係)を構築できているのであれば良いのかもしれない。
けど、だいたい「苦しみながらも頑張ってるよな!」という雰囲気を前提にしている以上、決して健全な精神状態ではないだろうし、その状態がいつまでも継続できると瞬間的には思えたとしても、積み重なれば壊れる。
スポーツにも「道」的な側面があることは否めないし、それは「体育」的にやってきたことも否めない。しかし、「体育」と「スポーツ」は異なるもので、「教育」と「ビジネス」と言い換えれば明らか。
では、関わる人達はすべて「ビジネスマン的」側面があるといえ、稼ぐための手段としてスポーツを利用できる人材がドンドンと増えてこないことには、スポーツ自体が苦しくなる。
だからこそ、『スポーツの価値』や『アスリートの価値』を考えたいし、それを大切に扱いたい。
誰でもない個人が、自らの生活を犠牲にしなければならない世界は終わりにしなければならないし、ドンドンと終わりに向かわせたい。
そのためには、扱う側の人たちが、きちんと『価値』について自然認識してもらうところまでスポーツに住まう人たちを引き上げることが必要なのだと考えます。
そのためには、有象無象の中でそれぞれに勝手な想起を形作るのではなく、まずはその価値を定義づけすることが必要。そこから発展して、いろんな流派が生まれるためにも、根底となるphilosophy(哲学)が必要なんです。
スポーツは”なくても生きていける”
スポーツの価値やアスリートの価値を明確にすることで、僕たちは何を得たいのかといえば、思いっきり私見ではありますが「奮い立つ気持ち」です。
僕が生きてきた33年という人生の中で、日本サッカーがはじめてW杯にでましたし、野球で世界一にもなりました。オリンピックでは柔道など複数の競技で金メダルを獲得しましたし、パラリンピックでは国枝選手が連覇を達成したりしました。
サッカーのプロリーグとしてJリーグが立ちあがりましたし、バスケは2つのリーグに分裂した後、強烈な稼ぐことのできるリーグとして生まれ変わりました。プロ野球でもある球団が潰れて新しい球団が生まれました。
まだまだ沢山の記憶とともに、嬉しさも悔しさも味わってきましたし、自身の姿を投影したりもしました。
僕は確かにスポーツから、時として傷つけられながらも、助けられ、勇気づけられてきました。恐らく、これからもそうなんでしょう。
けど、なくても生きていけます。
だからこそ、VALUEについて知る必要があるんです。
それができる機会を新潟に設けました。
五勝出 拳一という男とスポーツのVALUEについて共に考え、扱いはじめる機会にしましょう。
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