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なくなって困らないものの価値が高い、というお話

唐突ですが、Facebookを嗜んでらっしゃいますでしょうか。

調べてみるとぼくは2011年1月からはじめていたそうで、当時の記事を検索していたら、こんな過去記事に出会いました。懐かしいですね。

Facebookの時価総額ってどのぐらいかと、調べてみると65兆円ぐらいだそうです。

まったくもって想像もできないような数字ですが、日本の最大企業であるトヨタ自動車の時価総額が20兆円ぐらいなので、3倍以上です。

ちなみに、日本のスーパー産業って『売上規模』がどのぐらいかというと17兆円で、コンビニ業界は7兆円だそう。

つまり、トヨタという会社の価値にスーパー業界とコンビニ業界の売上をくっつけてもFacebookの時価総額には敵わないってことです。(くっつけることの意義よりも、金額の大きさをイメージするため)

もう一つ例としてあげれば、自動車メーカーとしては世界で一番時価総額が高いのはトヨタで、ここに日本の他メーカーを足したとしてもFacebookの時価総額には届きません。

車に乗ってでかけて、食事をするための材料を買ったり、ちょっとした買い物をしたりするインフラであるスーパーとコンビニですよ。

ちなみに、みなさん、なくなったときに困るのってどっちでしょうか。

そもそも食品を買えなくなったら困りますし、ぼくみたいに地方都市在住者はに車に生活を依存していますから、自動車がなくなったら苦しいですよね。

何がいいたいのかといえば、ぼくたちはなくなっても困らないものに価値を見出しやすく、なくなってしまったら困ることに価値を見出しづらくなっているということです。

ついつい、自分の価値は『なくなっては困るものに働きかけているもの』だと考え、時間を費やし、スキルを高めながら仕事をしていくイメージがあります。

しかし現実は、そこには価値がなくなっているわけではありませんが、無くなっても困るものが持っている情報に価値があるということ。

既存のメーカー各社が持っている情報よりも精度の高い情報を持っているから、FacebookやGoogleは価値が高いと評価されるんですね。そんな中で、ぼくたちは何をして働けばいいのでしょうか。

いずれにせよ、記憶と記録、そして正確性が求められ、感情を抜きにした仕事が拡張知能に代替されるとしたら、残るのは人間の感情に訴えかけるというか感情が振れる機会を設ける場所や機会ということになります。

人が働く働かないということを述べる人もいますが、そこは個々人が判断することなので、ひとまず置いておきましょう。

つまり、SNSサービスは自己承認欲求を満たす装置としてすっかり市民権を得て、ぼくたちの生活に思い切り馴染んでいるわけですが、なくなって困る人はいません。

「明日からTwitter が使えなくなる」と言われ、発狂するツイッタラーは多そうですが、だからといって実生活における生活必需品(いや、中にはそれだけの価値を求めている人もいるでしょうが...)というわけではありません。

それはInstagramになればその様相も一層強くなるでしょう。自分のキラキラした写真を投稿できなくなって死にかける人など存在しません。

上でも触れましたが、FacebookやGoogleの持っている価値は個人の情報です。例えばGoogleに情報を提供する人が多ければ多いほど、Google Mapの渋滞情報は精度が高くなりますし、現状は道がない場所でも人の通る数が多ければ道として表示されます。

もちろん、そういった技術も素晴らしいのですが、彼らの持っているユーザー数分の個人情報を獲得することがいくらトヨタといえどもできません。

トヨタで新車を購入しようとした際に家族構成を聞かれたとして、トヨタは新車購入した家族の情報を取得したとしましょう。ですが、再度、買い換える際には家族構成が変わっているかも知れません。

それがFacebookやGoogleではアップロードした写真の内容、投稿文章の内容、シェアした投稿内容、「いいね」した内容、など、それぞれ自分がネット上にどんな風に行動しているのかを逐一取得できます。

ちなみに、知らない人もいるかも知れませんが、Instagramは2012年にFacebook社が買収しており、当時(8,000万人)の10倍のアクティブユーザー数を得ており、今年、10億人に達しました。

※アクティブユーザー数:インストールだけで終わるのではなく、投稿したり、閲覧したりといったログインして活動をしているユーザー数。

当時の買収価格は7億1500万ドルで、現在の価値でいうと80億円弱というところ。安いですよね。当時のぼくですら、Facebookは相当に良い買い物をしたと思えましたから。

どういうことかといえば、Instagramへキラキラした写真を投稿するユーザーの特徴も把握できているということです。

繰り返しますが、なくなっても困らないものが時価総額で60兆円を超えているというのは厳然たる事実ですし、今後の世界というか現状の世界において前提条件となる事柄です。

しかし、それを受け入れないことには、これからの時代を過ごすうえでスゴく苦しくなっていくのではないでしょうか。

価値がある、というのは一定数の人たちがそれを認めているということで、当たり前の話ですが、その人数が増えれば増えるほどに価値を認める人たちが多くなることを意味します。

古い価値観で「トヨタは日本が誇る大企業であり、世界の中でも抜群の存在感を放っているんだ!」と日本バンザイ的な世界観だと、Facebookがトヨタに(現時点での価値として)3倍もの差をつけていることは受け止めがたいのではないでしょうか。

しかし、現在の評価として、人々は自動車よりもSNSに価値を見出し、その価値を認め、そこに投資しているからドンドンと成長を繰り返しています。

ハードが主体ではない企業としては、アリババやテンセントグループもTop10に入っています。

なくなっても困らないサービスを提供している企業の価値は、すでに航空や食品などを置いてけぼりにしながら高めています。その中で、ぼくたちは生活し、仕事をしているわけです。

この意味をわかってもらえるでしょうか。

ぼくたちは自分がやること自体に大小なりとも価値を感じていて、無くなっては困るものに関わっていると考えているから、自分のやっていることには価値があると考えているものです。

当人の中で、腹落ちするまで価値をきちんと認識し、それによって解決をしているのであればまったく問題はないと思います。

しかし、そうではなくて、これまでの価値観を引きずったままでいる場合には苦しいのではないでしょうか。

なぜなら、ビジネスゲーム上はなくなっても困らないものに価値が認められ、その方向性自体は今後もっと強くなるであろうことが考えられるから。

それが嫌だからという理由でFacebookをやめたところで何の効果もありません。なぜなら、Facebookのユーザー数は世界中で20億人以上で、(公表されている)中国の人口よりも多いのです。

もうFacebookやGoogleは一つの企業ではなく、国と比肩する位置にいるので、バカにできないどころではありません。バカにするためには、同様の個人情報を取得できるシステム(ビジネスモデル)を構築できない限り太刀打ちできません。

まぁ、いちユーザーとしては、そうやって情報が集まることで使うサービス品質が高くなるので別に不満はありません。日本ではできませんが、すでにFacebook内で商品の売買や金銭の受け渡しも可能です。そう、便利になってるんです。

だから、なくなっても困らないと思っているけど、実は、なくなったら便利なサービスがなくなってしまうから困るという矛盾をはらんでいるんですね。

さて、それでもあなたはFacebookを使い続けますか?

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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