#何気ないツイートから始まる物語 (13話)〈サポーティングチーム発起〉
何気ないツイートをきっかけに、スポーツビジネス界の大物と地方都市に住む一般人であるぼくがイベントを企画・実施することになり、その後の人生に大きな影響を与えることになったことを記した、ちょっとした物語。
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前回まで
いよいよクラウドファンディングの支援募集を開始したものの、事前の告知が弱かったこともあり、スタートダッシュに失敗。統計的なデータからは「失敗するプロジェクト」と考えられる状態へ。そこで、クラウドファンディングの過程をさらけ出し、そこで助けを求めることにした。
すべての過程を開示した、その内容
クラウドファンディングを始めるから、とオープンにしたわけではない。イベントを開催するからこそnoteをはじめたのだと先に触れているが、ぼくはこのイベントがぼくだけで完結するべきものではないと考えていた。
ぼくみたいな、と言ったら語弊があるのかもしれないし、多数の人が否定するのかもしれないけど、地方在住で会社員で妻と子どもと暮らす...などというごく平凡な市井の人、今回でいえば、ぼくみたいな人だ。
日本だけに限らず、そんな人はたくさんいる。国境や言葉が異なって、それ以外にも商習慣が異なることもあるだろうし、それ以外にも異なる点なんてたくさんあるのだと思う。
それでも、家族構成含めて似通っている人が一定数以上いるだろう。
今回のぼくが現在進行形で進めているイベントについても、決して対岸の火事ではないだろうし、どこか遠くで起こっている夢の話でもなんでもない。ただただ、運よく、そんな役回りだっただけの話だ。
そうなると、ぼくにだけしかできないことではなく、ぼくみたいな人でもできるような状態・環境・履歴を残しておく必要があると考えたから、この過程自体をオープンにして行こう、と毎日noteを書くようにした。
書きはじめた当初は1,000文字を捻り出すことですら必死だったし、書くことが「ない」時の方がほとんどだったし、その状況を打破するために家庭内、特に子どもたちと触れ合っている中で感じたこととか、考えたことも付け加え出した。
仕事の中で感じた違和感だったり、解決に向かうための糸口を探る中での思考体験も綴るようにしたし、とにかくなんでも書いた。イベントにまつわることだけでなく、「自分」をカッコよく見せるでもなく、ダサくても、情けなくてもいい。とにかく自分を出し続けることで、今回の主催者が身近にいる人間なんだと周知したかった。
サポーティングチーム発足
スタートダッシュにつまづいていたのはコアメンバーも重々承知していた。
明らかにうまくいっている気がしない。周知できているとは到底思えない、惨憺たる現状。しかし、それをどうにかできるだけの強さを保持しているとは言い難い状況。明らかに、不足しているものがあった。
仲間だ。
何を提供してくれる・してくれない、なんて軽薄な関係ではなく、今回の趣旨である「誰でも思いと行動次第で"何か"が変容する」に賛同してくれて、その思いに乗っかってくれる、共にプロジェクトの成功を願う仲間であり、同志の存在。数は重要ではないのかもしれない。だけど、数が必要な場面だってある。今回はそれだ。
なぜ、このプロジェクトに乗っかるのか。
どんなところに引っ掛かったのか。
何がいいと思ったのか。
それらをテキストに起こし、自分以外の他者に対してソーシャルメディアや口頭などを通して伝聞してくれ、結果的に周知を共にやってくれる存在。
福田拓哉さんが中心となり声をかけてくれて、そんな人たちの集まりが形成された。それも、一人や二人ではない。クラウドファンディングで支援募集を開始して2日目から声をかけ始め、7日目となる5日間で100名もの方々が、より集いの場所であるFacebookグループ『#スポーツの未来に僕たちができること』へ参加してくれた。
加入してくれた人から自己紹介を書き込んでもらい、そこへ知人たちが声を掛け合い、旧知を懐かしんだり、誘われて入ったことによる掛け合いを見せてくれたり...
そんなお互いを認め合う同志の人たちが、自分発のプロジェクトに賛同してくれて、なんだか楽しそうに会話をしてくれる、その雰囲気がものすごく良かった。すごく嬉しかった。
もちろん、それは福田拓哉さんが、福田拓哉さんの存在自体が担保になっていることは明らかだったし、その担保があったからこそ、寄り集まってくれていることもわかっていた。それでも、ここに至るまでの過程も踏まえて「やっていて良かった」と思えた。
情報の開示から
サポーティングチーム、と名付けられたFacebookグループの中で何が行われたのか。
まずは情報開示だ。クラウドファンディングの支援状況をグラフ化し、それを共有するところから。
今回は三サイトでの募集をしていることもあり、グラフも三つ並ぶ形で表示される必要があったし、それらの総合計を示す必要もあった。
資金調達を目指す理由は一つ。イベントの開催に向けての開催費用を集めることだ。
集められないのであれば、やるべきではないと言われるのかもしれないが、そんなことは百も承知だ。ただ、やるべきとき、なんていつどこで訪れるかわからないし、やれるときにやれることをやれるだけだ。
たまたま今回は、2月のTwitterでやりとりを重ねたところから、6ヶ月でクラウドファンディングで支援を募るところまできた。100名もの方々が参加してくれたサポーティングチームも、7日目以降も参加者数が減ることはなかった。
サポーティングチームの中へ入ってくれる人たちには、「金銭的な支援をしてもらえることは嬉しいが、それをやらなければサポーティングチームにいてはいけない」などという制限はなく、あくまでも先に触れているが、趣旨に賛同してくれて、地震の背景を生かした支援をしてくれるのであれば、それで十分だという心持ちでいたが、参加する大半の方々が支援をしてくださっていた。
その一人一人にお礼を述べることは言うまでもない。
金銭的な支援もそうだが、助力となる支援を申し出てくれた人たちへ金額的な現実を共有することで何が起こったのか。
改善策や対策、やるべき施策など、具体的な方法論がドンドンと出てきた。それに対しての議論も巻き起こる。
言っても他人事だ。彼らにとって、今回の支援をしたところで、自身の仕事に好影響が出るわけでも、成果につながるわけでもない。新潟って田舎に住んで暮らすぼくが言い出したことなのだから、そこまでやる義理はない。
だけど、そこに、その思いに乗ってくれた人たちが、本当にあーでもないこーでもないと真剣に、それぞれのバックボーンを踏まえた上での意見を混じらせている姿勢と態度に対し、ぼくは感銘を受けた。
世の中、捨てたもんじゃない。
サポーティングチーム内から起こる対策と施策に対して、具体的な行動を起こす。
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#何気ないツイートから始まる物語
地方に住む「普通の人」であるぼくが、ある業界の大物に何気ないツイートで絡んだところから、イベントを企画・実施するところまでを追ったちょっと…
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