見出し画像

保育士の目線でみた子どもたちの様子を見たいち保護者の感想

機会があったのと長男に請われたのもあり、我が家の息子たちが通う保育園で行われている保育士体験に足を運んだ際に感じた内容について書いていきます。

むずかしい話を考えた訳ではなくて、自宅での顔と保育園などの社会的な環境では、子どもたちの“立ち振舞い”が変わるし、それを認めた上で大人たちの立ち振る舞いも正さないとね、なんて内容です。

子どもたちは自宅と保育園などの社会的な場所での表情は当然ながら異なります。

下手したら親に見せてない表情なんかを保育園では見せるのも当然といえば当然で、ケンカをしたり、仲良くしたり、はたまた他人思いな面を見せたかと思えば、逆に天涯孤独な様子を見せたり、と、子どもたちは大人顔負けなぐらいに色んな顔を持ち合わせています

それってつまり、社会的な環境と閉鎖的な環境(自宅)とでは、役割や立場が異なるため、表情や立ち振舞いが異なるのを意味するのですが、これって別に珍しい事でもなんでもなくて、僕たちだって平然とやってのけている態度や姿勢であり、それぞれが近いのか遠いのか…その点による違いでしかないものだと僕は考えています。

では、世の中で見聞されるような保育園と保護者間でのトラブルや認識の齟齬みたいなものが生じるのは何故か。

わかりません。

僕なんかにわかるわけがない。そう、わかりません。

もちろん、数ある保育施設の中には糾弾されるべきって態度をとるような保育士さんも存在するのかもしれませんし、求めすぎな養育者(保護者)の態度の問題かもしれません。

僕が今回の保育士体験を経て感じた、最も大きな点は一つ。

容易なものではないけど、(自らの)命の危険性を伴うようなものではないって感情的な理解です。

色んな背景を抱えている園児がいて、それを見守りたいと志した所から数多ある職業の中で保育士を選択している人たちが交わる場所としての保育園があり、僕たち夫婦をはじめとした子どもを預けて仕事をする人間たちからしたら、必須な“場所”なわけで。

(ちょっと言い方が悪くなりますが)子どもが遊ぶのだったり怪我をしないように見ているだけなのであれば、誰にだって出来るものです。

無論、専門的な知識や最新の見識を学び続け、それをアウトプットして保育業務の質を高める努力は必要だとは思いますし、子どもたちを惹きつけるだけの魅力を備えないことには舐められてしまいますから、人間的な深みや魅力を備えるための活動や行動を取っていく必要はあります。

自らが専門的な技術や知識をフル活用し、眼前にいる患者の命を救うための医療従事者とは“生命の”という意味での重さが異なります。

もちろん、未来を担う命を預かり、触れるため、まったくもって軽んじるつもりは一切ありません。そういう意味では、クレームという名の指摘を加えたくなる人の心情もわからないでもありません。

『なんで怪我をさせるようなことを自分はやらないのに、あなた(保育士)はしたんですか?』

『なんで私(保護者)は自分の子どもを一番に考えているのに、あなた(保育士)は同じ態度や姿勢で接してくれないんですか?』

そんな態度が根底にあるような気もしますし、その気持ちを理解できないこともありません。

ただね、子どもたちだったバカじゃないし、彼らの立ち振る舞いは、親のみならずに関わる他人の上に成り立っている成果と言えるわけですから、少しでも触れる機会のある人たちに“無関係な人”など存在しえるわけもありません。

保育士の立場(もちろん体験なので、その通りとは言いませんが、同じ目線)で見た生々しい子どもたちの様子は、なんだかそれぞれの過程(家庭)を踏まえてきた(現時点での)結果なのだと思うと、自らの態度や振る舞いについて背筋を伸ばしたくなるような心持ちでした。

筆者のSNS

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中。現在は会社員をしているものの...

今回の文章に関連するオススメ書籍


いいなと思ったら応援しよう!

ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!