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影響を受けとってもらうと同時に結果を見せること

新潟に在住・在勤の身でありながら、政治家でも、創業社長でも、新進気鋭のスーパーな若手ビジネスマン、というわけでもない平々凡々の34歳の僕のTwitterアカウントに1,300名を超えるフォローをいただいてます。

以前にも1,000を越えるフォロワーを抱えることができたことを綴ったのですが、その続きみたいな話です。


目次
・昨年から900増加
・僕の年齢になって今更感が強い人たちが始めると...
・発信する内容と目指すクラスタ

昨年から900増加

2018年の年始時点で僕のアカウントをフォロワー数は480で、1月5日現在のフォロワー数が1,430ですので、約1,000増えたことになります。

「少ないでしょ」とか、「そんなの何もしなくたって増えるわ!」みたいに思われる方もいらっしゃるでしょうし、実際におりました。

僕なんかよりも内容のある投稿をされて、フォロワーがたくさんついてらっしゃる方がいるのは承知しております。

ただ、1,000のアカウントからフォローしていただける、という現状を数勘定で片付けていいのか、といえば、違うような気がするんですよね。

なぜなら、僕の学生時代にはSNSなんて存在しませんでした。

僕が学生を終える頃、世界に打って出れる日本発のSNSとしてmixiがローンチされ、一斉を風靡していましたが、いまのFacebookになっていてもおかしくなかったと当時は言われていましたし、僕は今でもそう思っています。

特筆すべきは「コミュニティ運営」で、ユーザーの趣味嗜好に即したコミュニティへの導線があり、中では各トピックごとにスレッドを立てることも可能で、オンラインサロンのような仕組みを先駆けてできたハズでした。

もう、後の祭り感が半端ないので、やめますが、本当にステキなSNSだったんだよねぇ。

Twitterの話に戻れば、日本でサービス開始されたのは2009年10月で、Webブラウザと携帯電話用サイト向けのサービスとして、というのが始まりです。

公式のアプリとなったのは2010年の9月で、それまではWebブラウザでやるものでした。

その頃から時代の先を見て考えて行動しておけば、何者かになれたのでしょうか。いや、無理だったように思います。当時の僕のTweet、クソよりつまらないから。

いま、振り返ってみても、絶対ダメだもん。笑

学びのない自己満足ツイートのみ。

新潟県で僕の年代でもTwitterやってて、1,000以上のフォロワーを抱えている人は、「それなりに著名なビジネスマン」だったり、「それなりに強固なメンバーに支えられているクラスタに属す」でなければ無理。

僕の年齢になって今更感が強い人たちが始めると...

僕の地元仲間がTwitterやってるようでやってないんだけど、泣けてくるんですよ、これが...泣

ただ、学生時代にはスマートフォンとSNSがアプリとして標準装備されている人たちがしてるtweetと、そう大差があるのかといえば、SNSをしっかりやろうと思ってない人たち基準でいえば、それほど差を感じません。

つまり母数の違いでしかない、ともいえるのですが、そして、悲しいかな、僕の地元で悲しい興じ方をしている人たちは、年齢を重ねてしまったために、誰にもわからない身内ネタをオープンにしている状態なわけです。

僕は割とそういう面では救われる方にいたのかもしれません。

ただ、好きだったというだけなのですが、色々と気付くのもそうだし、何かを行動として起こすのもそうだし、それをひっくるめて2018年だったんでしょうね。

発信する内容と目指すクラスタ

そして、いま、新潟の中にだって、1,000や2,000を超えるフォロワーを抱えているアカウントもあれば、それ以上のフォロワーがついているアカウントも存在しています。

その方々が投稿している内容や、属するクラスタがきちんと確立していることを目にしてきたので、スゴく納得できますし、そこは大きいな...とも思うわけです。

そんな際立つだけの魅力を発信できるわけでも、強固な組織的なクラスタに属しているわけでもない僕が、ありがたいことにフォローをして頂いてるのを考えてみると、活動が認知されてきていることの証左だと思うわけです。

それと同時に、僕が発信し続けてる『新潟を #失敗カッコいい エリアにする』ということが、本当に少しずつではあるでしょうけど、浸透してきているのかな、と。

また、それを実際に達成するための活動自体も同時に行なっていることが、現実的なものとして捉えていただいているのだと考えます。

これらからいえることは、当たり前のことですが『発信』+『行動(結果)』がわかりやすい信用の指標だということです。しかも、内部だけにとどまらない、というのが特にポイント大きいです。

例えば、自社内だけで完結してしまうような、もしくはA社とB社の間でのみ取引される内容について。

(守秘義務もあるから容易にはいえない中で)いえる部分だけを発信し続けていて、結果も外からはわからないようなことを投稿する人はいないでしょう。

それこそ「勝手にやってろよ」です。

各種メディアも、個人で発信が可能になってきたことから「選ばれる」対象になってきたことで、ユーザーは自分ごとにならないと反応しない、ということが顕著になってるんですね。

この自分ごとをどこで発揮するのかをGoogleやyahooではなくTwitterやInstagram、TikTokで調べている、ともいえるわけで、どこでなら本気出せるのか、みたいな話です。

人を本気にさせるのに、自分が本気でないのなら、すぐに見透かされるでしょうし、口だけなのもバレます。

何を持って本気なのか、というのは本人次第ではありますが、僕の中で確定したことがあります。人が本気だって認めたら、本気です。ただ、それは本人が認識することができません。

できない、というよりもしづらい、といったほうがいいかもしれません。何が言いたいのかといえば、本気と受け取ってくれる人を探す必要がある、ということです。

もっと言ってしまえば、翻訳対象は誰ですか?と。

自分が伝えたいことと、まだ知らないけど伝わってほしいと思う人を繋ぐのが自分であり、やるべきことは、その間に入って翻訳をすること

そこに対して懸命になることが醍醐味なのかもしれませんね。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!