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入院生活30日目(10/15)の記録

入院してから経過した時間は720時間

ぼくは、自分が入院生活なんかとは縁のない生活を送るはずで「あぁ、入院をしたいとは思わないけど、してみたいなぁ」なんて方言するぐらいに、とぼけた人間だと思ってました。

いまでもその態度というか姿勢は変わらないんですけどね。

いまは、それがただの願望でしかなくて、できることならばかなって欲しくはないと考えていたものだったのは、ここ1ヶ月を経て実感しているわけです。

4週間って、過ごしてみるとあっという間なのだけど、過ごし方によっては何にもあっという間ではなくて、「過ごすこと」自体がストレッサーとして襲いかかってくることを身を以て体験することになったのは、生まれてから34年と9ヶ月目のぼくでした。

原因が特定できず、結局、脳に重大な欠陥というか、問題になるような所見も得られず、ただただ、時間ばかりがいたずらに通り過ぎていく、なんとも言えない虚空感を味わうことになるだなんて想像もしてなかったのですが、想像をしていたところで防げたのかと言われたら、そんなのは分かるわけがないわけで。

ただ一つ、はっきりとわかっているのは、事実としてぼくは生きていて、帰ってくることを待ってくれている人が少なからずいるってこと。

まさか、この「 #はじめての入院 」が、結果的にここまで長いシリーズものになるだなんて、4週間前のぼくは想像もしてないだろうな。

過去の自分に何か伝えたいことは?って聞かれて、その通りに行動できるのだとしたら、ぼくは何をするかなぁ、と平凡な思考実験をしてみるのだけど、大したことは思いつかないから、何も言わないのだろうな。

言ったところで、過去のぼくがたどる道に変化はないわけだから。


身体機能の回復が順調のため…

あんまり勿体ぶっても仕方ないのだけど、退院が決まりそう。

ついに、長い時間をかけて原因を特定するためにいろいろな検査を受けたり、低下している機能を回復させるためのリハビリテーションを行ったり、妻を子どもたちとだけの生活にしてしまい大きなストレッサーを与えてしまったり。

顔を見せに来てくれる人や、気を使ってくださり、声をかけてくださる方々はもちろん、各種SNSでの投稿に対して反応をしてくれるみなさん。

なんとか、遠藤、退院ができそうです。

「退院ができる」と言っても、結論として入院の理由は特定できていないわけで、その特定というか、せめて原因として考えられそうな検査はさらに受けていかなければならないわけで、現在入院している病院では精神的な疾患についての検査や知見を有していないため、他の病院施設に通わなければならないんですよね。

だから、「退院=回復を祝うイベント」ではなくて、「病理の原因を探るための開始点」になってしまうのです。

もしかしたら、特定には至らないかもしれないし、特定をしたところで対処のしようがないかもしれない。

そんなのは、いまの段階でぼくはおろか、誰も知らないし、わからない。

わからないからと言って、放っておくのも気持ちが悪いから、何かしらの理由をもらいにいくようなイメージになってしまいますが、とにかくできることはなんでもしないと、気が済みません。

気が済まないのですが、一つの区切りとして退院をできるのはうれしい。だから、いまは退院ができるって事実に対して、素直に喜んでいたいと思います。

今後について

すでに上でも書いたのですが、まず、隊員の具体的な日程を決め、そこに向けてリハビリも最終調整に入ることになりますが、継続するか否かは、Drとの面談を経てからになりますので、兎にも角にもDrと話をして決めます。

退院の日程が決まり次第、次なる診察を受ける場所へ連絡し…

なんていう風に、冷静に、沈着に次の行動について書いていますが、やっぱり内心はドキドキしてます。しかも、そのドキドキは決して前向きなワクワクしたものではなくて、焦燥感みたいなもので、動悸に近いかもしれません。

もっと心理的にダメージを負ってしまうのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

結局、わからないことが嫌だからと言って調べを受けるのであれば、それはつまり、覚悟を持って受け止めなければならないことも意味するわけで、その覚悟もない奴は知ろうとしてはいけないんだな、と今頃になって自覚してるところなわけです。

それでも前に進み続けるためには、知る覚悟を持って、知るための行動をしなければなりません。

ただ、やっぱり日常生活の場へ戻れるのはうれしいです。

その気持ちを抱けているだけでも、入院した甲斐があったのかもしれません。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。 お読みいただき、それについてコメントつきで各SNSへ投稿していただけたら即座に反応の上でお礼を申し上げます!