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産後うつは甘えじゃない

どうも、ゑんどうです。

妻さんと一緒に、3名の男児に毎日生きながらえてもらうよう必死に生活をしている。

子どもと生活をする中で、新生児期や乳幼児期なんて生きながらえてもらうために緊張感を抱えながら生活をしていたし、初めての子どもである長男くんの時に抱いていた緊張感は思い出しただけで背筋がゾクゾクしてくる。

男性の育児休業が推進される世界線

2021年6月に育児・介護休業法が改正され、2022年4月1日から段階的に施行され出した。さらに2022年10月1日には、育児休業とは別に産後パパ育休と呼称される枠組みが創設され、男性の育児参加を促す意図が明確だ

出典)厚生労働省「リーフレット「育児・介護休業法改正ポイントのご案内」より

政府目標として男性の育児休業取得率を2025年には30%まで引き上げていくことが示されていることから、制度は今後も拡充していく可能性があるといえ、男性の育児参加が必然化していくことが期待されるところだ。

出典)厚生労働省「(事業主向け)説明資料「育児・介護休業法の改正について~男性の育児休業取得促進等~」」より

制度を拡充し、当事者となる父親が自覚を持って育児に参加する人が増えること自体は望ましいことだが、この制度を承認するための上長や経営者が理解をしていない場合、男性は居場所を失ってしまう可能性が高い。

男性の育児参加を是認することに上司や同僚の理解は不可欠だが、子どもとの生活を優先するために少しでも時間を節約しようと直行・直帰を希望しても叶えられなかったり、いわゆる飲みニケーションを断っていると疎外されるような状況になりかねない。

そのような状況が続こうものなら精神的に疲弊してしまうのは目に見えているが、これまでに女性はそういった冷遇を受け入れざるを得ない状況に追いやられていたことを理解する必要な世界線に突入していると言える。

男女ともに産後うつは約10人に1人が発症するもの

男性の8.4%、つまり約11人に1人は産後うつを発症してしまうとする研究結果もあるが、これは女性でも同様の結果があり、性別に関係なく育児休業が決して休業状態ではないことを認識できる

上記の研究から明確に読み取れるのは、男性に限らず、女性の中にも産後うつはホルモンバランスの影響で発症するものだけではなく、心理社会的な要因、すなわちストレスが大きく影響することが明らかだってこと

男性の場合、あらねばならぬ父親像に自分の現状を照らし合わせ、そのギャップに苦しむこともあれば、パートナーが先に産後うつを発症したことから自身も発症してしまうパターンなどがあるという。

子どもとの生活がはじまることは価値観が大きく変容する時期だ。

ぼくのことで恐縮だが、子どもとの生活を体験するまでは子どもの存在が苦手だった。なんなら嫌いだった。何をしだすのかわからないし、会話も成り立っているようで成り立たない。すぐに泣くうえに主張だけは一丁前にしてくる…

幼児期や児童期の子どもと接するのが本当に苦手で、接しようものならすぐにイライラしていたし、接する機会を可能な限り減らそうとしていたのを思い出す。

今では子どものことが大好きだし、街中でホゲホゲとした顔をの乳幼児や地面に這いつくばって希望する商品をねだるカラダごとの交渉を重ねる幼児などを見ようものなら自然と笑顔になってくる。

ただ、それは産後期や乳幼児期を経ているからだ。産後期から離乳するまでの期間は夫婦揃って明らかに疲弊していた。

夜泣きによって寝れないこともそうだが、子どもの命を守ることを優先するため、家事などは後回しにするしかないため自宅内は汚くなってしまう。

自宅の荒んでいる様子を見て夫婦揃って苛立っていたし、仕事で遅くなろうものなら感情的に接せられるなど、いま振り返っても明らかに余裕のない生活を送っていた。

育児休業というが、実際には休業しているのは業務や仕事といった面だけで、自宅内では常に緊張感を抱き続けなければならない状況に追いやられている。

それのどこが休業なものか。しかし、これを理解していない同僚や上司に囲まれていると少なくとも職場での居場所はなくなっていく。自宅ではどうかと言えば、待ったなしの状況で子どもと向き合う必要がある。

この状況に「〇〇ができていない」と言った些細なことができないことを気にかけてしまった結果、心理的に追い詰められ、産後うつになっていくことは想像に難くないだろう。

男女関係なく、育児とは決してキラキラしたものではなく、小さな命を生きながらえさせるために必死な生活を送らなければならない緊張した生活を送ることなのだ。

おわりに

仕事と育児、優先すべきは育児だ。これはぼくの価値観だと思われるかもしれないが、小さな命を守ることは保護養育の責任を負う者として当然の責務である。

ただ、責務を果たすためには身銭を稼ぐ必要がある。つまり仕事をして対価を得ることから生活費を賄うために仕事をしなければならない。

両軸で大事なことだと言えるが、最悪、日本では健康的で文化的な最低限度の生活は憲法によって保障されているのだから、仕事を投げ打って育児に全振りすることも可能だ。

育児とは、決して子どもと遊んで楽しい時間などで埋め尽くされるものではない。

言葉も通じない小さな相手を必死になだめつつ、生きながらえてもらうために必死になり続ける、いわば消耗戦である。

これを理解する上司や同僚は増えているとは思う。しかし、これが過半数を超える世界線に突入しない限りは、男性の育児参加だとかってのは絵空事なのだろうとも思う。

子どもがいなくなっている世界線で、子どもを育む環境を阻害するような人間がいることは、果たして社会的に必要なのだろうか。好きでいる必要はないが、理解と納得をする大人が増えることは必要だろう。

そんなことを考える、地方在住のおっさんでございます。

ではでは。

ゑんどう(@ryosuke_endo


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