健常者のみなさんに知ってほしい「ミライロID」のこと
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
2024年8月、川崎市で障がい者を巡る悲しい出来事がありました。
概要はこうです。
8月26日、川崎駅前で53歳の男性が市バスへの乗車を拒否されるという事態が発生。男性は身体障害者手帳(1級)を所持していますが、スマートフォンの障害者手帳アプリ「ミライロID」の利用を断られます。
「ミライロID」自体は市が使用を認めているにもかかわらず、運転手は「現物の手帳でないと割引できない」と主張。結果、男性は乗車できませんでした。 男性は外見からは分かりにくい「内部障害」の状態にあり、手帳を保持していたことからアプリを使用していました。
市は「運転手の認識不足だった」と謝罪するに至ります。
一見、日本中でありそうであはある些細な出来事です。
でも、デジタル技術の進歩は多くの人々の生活を便利にする一方で、新たな形の排除や差別を生み出す可能性があるってことを知らしめる出来事なんじゃなかろうかと思い、カタカタしはじめました。
技術が進歩しても人の認識が遅れたら意味がない
まず、ミライロIDを知らない方のために説明が必要でしょう。
ミライロIDは、マイナンバーカードと紐づけることで現物を持ち歩かなくてもいいように設計されている障害者手帳アプリです。
2022年度グッドデザイン賞を受賞したこのアプリは、障害者手帳の情報をスマートフォンに表示し、窓口での確認をスムーズにすることを目指し開発されました。
しかし、川崎市で起こった事例は、デジタル化が進む現代社会において、新しい技術やシステムの導入だけでは解決できない問題があることを示唆しているといえます。
デジタル技術による障がい者支援の可能性は伸長、拡大していくことは大いに期待できるところ。
今回の事例で見られるように公共交通機関で利用できることで、障がいのある人たちにとって移動の自由が拡大されます。
アプリとして携帯端末にある情報とマイナンバーとの連結によってプッシュ型で情報へのアクセスを可能にしますから、利便性を向上させることができます。
一方、社会参加の機会増加新たに生じる課題もあります。
たとえば、今回の川崎市での事例からもわかるとおり、デジタルデバイド(情報格差)の深刻化は大きく懸念されるところでしょう。情報にアクセスできる人とできない人との間で、損得が発生してしまう可能性がたかくなります。
また、従来から利用しているシステムとの齟齬も起こるでしょう。
だいたいの組織では、それまでのやり方を捨てることができず、前例踏襲型のシステム改修を行ったりします。それだといつまでもツギハギだらけで、将来的には誰が改修しても上手く以下ないようなシステムに成ってしまいかねません。
我々は、それをみずほ銀行のシステム障がいが起こる度に実感しているはずです。
重要なのは、テクノロジーの導入と並行して、社会全体の理解と受容を進めることです。最新のアプリや制度があっても、それを受け入れる側の準備が整っていなければ、かえって新たな障壁を生み出してしまう可能性があることを、川崎市の事例から学ぶ必要があります。
「見えない障がい」への理解
川崎市の事例でもう一つ注目すべき点は、男性が「内部障害」を持っていたことです。外見からは分かりにくい障がいの存在は、しばしば社会の理解を得ることが困難です。
今回の事例で登場した内部障害とは、主に心臓、腎臓、呼吸器、膀胱・直腸、小腸、肝臓、HIVによる免疫機能の障害といったものもあれば、精神障害や発達障害など、内面的心理的な面にあるもの。
これらの障がいは、外見からは判断が難しいため、周囲の理解を得られにくく、当事者は日常生活で多くの困難に直面することがあります。
精神障がいを患っている人たちは、外見的には判別しづらいことから隠している可能性があります。その人たちは隠れ手帳持ちとして、一般社会に「健常者」として振る舞い、苦しみながらもそれを表出できずに過ごしています。
その問題については以下のような記事を書いていますので、興味があればお読みくださいませ。
話は戻って、ミライロIDのような技術は、こうした「見えない障がい」を持つ人々にとって、自身の状況を簡単に説明し、必要なサポートを受けやすくするため、非常に有益なものなのです。
ですが、それはあくまでもツールに過ぎません。
本当に気をつけなければならないのは、そもそも障がいに対する社会全体の理解と受容を深めることのハズで、それを大前提にしなければならないことは強く主張しておきたいと思います。
我々がすべきこと
今回の川崎市で起こった喜べない事例から学ぶこと、カッコいい言い方をすれば包摂的な社会を築くためにできることは何かを考えてみましょう
まずは、日常生活での小さな気づきを得るために何かしらのアラートを受信できるように敏感にしておくこと。
つまり、周囲への配慮を意識的に行っていくことです。
自分以外の人に意識を向けることは決して容易ではありません。みんな、忙しいですからね。意識を外に向けることができるのは、一定、余裕を持っている人以外は他人を気にすることなどできないのです。
それでも、あらゆる人たちが「普通」とか「常識」とかって「当たり前」を疑う姿勢は持っておくべきだと主張します。
また、自分の中に抱いている「当然」が万人に共通していることなのかというと、まったくそうではないことのほうが多いのです。
たとえば、ミライロIDのような新しい技術やサービスを目にしたとき、それがどのような人々にとって有用なのか、また誰かを排除してしまう可能性はないか、考えてみることから始めてみるのはどうでしょう。
導入すればいいのではなく、導入後にどんな事が起こるのか。丁寧に運用レベルまで落とし込んで理解することが必要。
そんなこと、言うまでもないと思われるかもしれませんが、ミライロIDを利用していない人からすると、その利便性をまったく理解できないわけで、当事者性を持った運用を理解することはできないはず。
これも配慮です。
障がいとは、その人が持っている何かしらの特性ではなく、それを見つめる社会の側、つまり、我々、一般生活を送る側に課せられる課題なのです。
おわりに
今回、ここまで読んでいただけた方に、ぜひ考えていただきたいことがあります。
それは、「自分の周りにある『見えない壁』は何か」なんてカッコいいことw考えてみること。
もし、壁を認識する事ができたのであれば、それを取り除くために、今日からできることは何でしょうか。小さな気づきと行動が、より幅広く生きやすくなる社会が実現できるのだと思うのですよ。
どうかどうか。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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