父親の経営していた『そば処上州屋』の経営権譲渡に対する、ぼくの『蓋をした想い』を書きます。 #クレイジータンク
何度かnoteでも書いているのだけど、ぼくの実家である両親が営んでいた『そば処上州屋』が経営権の譲渡を行いました。前オーナーだった、ぼくの父親の経営権は12/31までとなり、すでに新しいオーナーの元、新体制にて運営されています。
ここに至るまでの過程で、いろいろと思うところはありましたし、外野からとやかく言われて来ながらも、懸命にお店の経営と運営を頑張ってきた両親が34年間守り続けてきた店舗兼自宅が他者の手に渡ったのは、後継者としての立場を取得しなかったぼくにも一因があるのかもしれません。
ただ、上の記事内でも触れていますが、「長男だから」と理由でもなんでもない理由で創業者の後継を務めることなどできようハズがありません。
中途半端な感情と、いい加減な覚悟を持って、父親が必死になって取り組んできた事業を「なんとなく」できるなんてことは絶対にあり得ないのです。
また、店舗兼自宅からの引っ越しを行う際には、率直に「遺品整理などでなく、引越しとして共に作業できてよかった。」と思いました。
父と母の「生活」を感じられながらの作業でもあったので、うれしい気持ちと安心感を抱くことができました。おかげさまで引越しも無事に完了し、新たな住居にて両親の生活は始まったのです。
元オーナー店主であるぼくの父、そして母も3月いっぱいまでは店に顔を出し続けるそうで、まだもう少しだけ自分たちが立ち上げた事業に関与する時間があるみたいです。
ただ、一点、後悔というか、やりたいと思いながらも現在進行形で蓋をしていることがあります。
オーナーおよび店主交代のレセプションパーティー
この経営権の譲渡話が立ち上がったのは昨年の5月か6月ごろだったと記憶していますが、牛歩以上に時間のかかるアリの行進のように、少しずつではありながらも話が進む中、ぼくは「地元の足を運んでくださったお客さんへ店主とオーナー交代のパーティーを行いたい」と思うようになりました。
父と母がどうにかこうにかしてきた店である『そば処上州屋』の味を楽しんでくださった地元の方々はもちろん、新潟県内外から丼の評判を聞きつけては足を運んでくださった方々もいらっしゃいます。
すべての方に、とは言いませんが、せめて地元でご愛顧いただき、足繁く通ってくださった常連のみなさんに父親から「経営権の譲渡に関する正直な事情や感情を、丁寧に、気持ちを込めて伝え、挨拶する機会」を設けられないものか。
新しくオーナーになる方や、これから店主として店の看板を背負っていく新たな店主からのコメントももらいながら、きちんと「これまで」と「これから」の切り替える機会を作りたいなぁ、と素朴に思いながらも二の足を踏み続けている次第です。
これまでもいくつか課外活動的にイベントを手掛けてきたのもあり、決して企画をするのは無理ではありません。むしろ、手順がわかっている分、当事者である父親や新たなオーナーや店主の方が考えるよりはスムーズに進行ができるとも思っています。
できるとは思っているものの、手と足と、何よりも頭がそれを動かそうとするのを阻んでいます。理由は簡単で、「差し出がましいのではないか」と思ってしまっているから。
ぼくはどこまで何をできる立場なのか
言い訳は挙げればキリがありません。
話が進展するのかどうかが見えない中で父親を含めてスケジュールがまったく見えなかったのもありますし、突如、ぼく自身が長期間にわたる入院をしなければならなくなったのもあります。(そうはいいながら、#お金のあつめ方 を入院期間中に周囲の助け(ぼくはほぼ何もしてません)を借りながらではありましたが、開催に向けて準備をしていましたが......)
また、前経営者の息子であり、個人的な活動として企画みたいなことをやっている人間ではあるものの、どこまで何をできる立場なのか、を考えると自信が持てないのもあります。
いくら過去にイベントをやったところで、これまでに積み重ねてきた34年間営業をしてきた重みに比べたら屁のカッパだし、何よりも現時点での新オーナーの意向も組まなければなりません。
そして、ぼく自身がそこに力を注いでいいのかどうかを迷っています。立場もそうだし、気持ちも曖昧な状態でもあるため、その想いに『蓋』をし、今日に至ります。
それでも......
正直なところ、新オーナーや新しい店主の方がどのように考えているのかを尊重しなければなりませんし、それが第一優先ではあるものの、手放す要因の一つでもあるぼくが企画を立て、進めなければ『誰も』やる人はいません。
noteでは繰り返し書いていますが、親の事業を引き継いでいる方は本当に尊敬します。ぼくは創業者以上の気概と覚悟を持って事業を継承するだけの気概や覚悟は持てませんでした。
また、飲食店経営の大変さを子ども心にたくさん身に染みて感じてきてしまっているのもあり、ぼく自身が子どもたちに対して向き合う時間の確保が難しくなるのであれば、それは「ぼくの幸福をぼく自身で奪う行為」になってしまうかもしれない、と考えてしまうのです。
「家族」、特に(いろいろと紆余曲折しながらも大きくぼくを支えてくれている)「妻」の幸福に対し、ぼくが飲食店の経営を継承する姿勢がどれだけいい影響を与えられるのかを考えると、現実的ではないのは目に見えていましたし、誰よりもぼくがそれを望んでいません。
無責任な大人たちが幼少時から青年期にかけて、「倅(せがれ)であるぼくに対して投げかけてきたように、感傷的な態度で「継承すればいい」ものではなく、きちんと事業として成立させ、家族の生活まで担保しなければならないのが自分の立場でもあるのも自覚しているのです。
だからこそ、ぼくは自分のできることで今回の父親の事業譲渡に関与したいと考えていますし、それでしか関与できないとも痛感しています。
飲食店を経営するだけの気概もなければ、覚悟もない。
それでも、ぼくは父親が自ら立ち上げた事業って舞台から降りる機会を企画し、実行したい。
それは長い人生って時間の中では、ほんの一瞬の時間なのかもしれないけれど、たしかに"記憶"には残したい。また、記憶に残せるうちに残してあげたい。
ただ、ウジウジと現在進行形で蓋をしてしまっている状態なため、進めきれずにいる......そんな情けないぼくなのです。