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さすがにラーケーション(Learcation)はどうかと思う理由と懸念

愛知県の大村知事が2023年3月16日の記者会見で「ラーケーションの日」を2024年度から導入することを発表した。ラーケーションの説明としては以下を引っ張ってきているので、参照いただきたい。

「ラーケーション」は、英語で学習を意味する「learning」と休暇の「vacation」を組み合わせた造語で、子どもが休暇中の保護者とともに校外での学習活動を楽しむという意味が込められています。

【NHK】年間3日まで学校を休める「ラーケーションの日」導入へ 愛知

大村知事といえば、平成初期に若手国会議員としてTVタックルなどに、現在の群馬県知事である山本一太議員と共に出演していた印象が残っており、そこから考えると両名ともに民主主義制の中でも個性を発揮できる場所として首長の座を選び、勝ち取っている点を踏まえると国会議員として個性を発揮することの難しさを痛感する次第。

今回、大村愛知県知事が打ち出した学びと休みを組み合わせてラーケーションとしているが、大人にもWorkとVacationを組み合わせてワーケーションとして、仕事をしながら各地へ出向く動きもコロナ禍を機に活発になった印象で、かくいう、ボクもそうである。

そんな世俗の動きに合わせて発表された今回のラーケーションだが、わざわざラーケーションと名称づける必要があったのかとは思いつつ、学校現場からすると「標語的なものがあれば」要望があったのかもしれない。

いずれにしても、ボクはラーケーションと名付けられている点については同意しかねるのだが、その理由と懸念について考えてみようと思う。

あ、どうも、ゑんどうです。

旅行は学びの機会である

ボクの根本的な思想として、旅行は根本的に学びの機会である。いや、自宅以外の出向き先は大人であろうと子どもであろうと関係なく、学びの宝庫であり、学べるのか学べないのかは当人の態度と姿勢次第だろう。

たとえば、車で30分ほど走れば普段の生活圏とは離れた場所にいくことができる。そこには見慣れない古びた飲食店があるかもしれないし、営業しているらしい衣服店や、いわゆる街の電気屋さんが出てくるかもしれない。

下手したら田んぼばかりな地域や林ばかりの地域になるかもしれないし、家がずらりと並ぶ住宅街かもしれない。

住宅街だって、窓の向きや洗濯物を干す方向などを見ながら太陽のあたり方を見ることによって、なぜ、その位置に窓が設置してあるのか。どうして洗濯物はその方向に向けて干すのかがわかる。

普段の住環境を離れてみるだけで街並みは変わる。見慣れない街並みを注意深くみてみることによって普段なら考えもしない違和感のようなものが湧いてくる。その違和感に向き合い、思考を巡らせることによって学べることなんてたくさんあるのだ。

旅行はその延長である。

国内であろうと国外であろうと、住環境からさらに遠くの土地へ出向くことは、異なる文化圏への挑戦だ。

食べ物ひとつとっても異なる食事慣習に晒され、パニックに陥ることなんて大人でもあるのだから、子どもからしたら衝撃的な場面として記憶される可能性だってある。

異なる文化圏への挑戦は、出向くだけで多くの学びを得られるのだから、そもそもが旅行自体が学びなのであって、わざわざ、そこに名称付けをするだけの意義があるとは到底思えない。

大人に向けた"休み方改革"の一環である

では、なぜ、愛知県は名称をつけなければならなかったのか。
大人の事情である。

冒頭で引用しているNHKの記事から、同じく引用すると大村知事は「休み方改革」と説明している。

大村知事は「ラーケーションの日」は休みの満足度を高めることで仕事の効率を上げる「休み方改革」の一環だとしたうえで、「保護者は『ラーケーションの日』に合わせて休暇を取得し、子どもと一緒に楽しむことで保護者の休み方改革につながる」と述べました。

【NHK】年間3日まで学校を休める「ラーケーションの日」導入へ 愛知

結局は大人が休むための口実をつくるためなのだ。

しかし、それ自体はわからないでもない。

ボクの実家は自営業でそば屋を営んでいた(2019年末に事業譲渡)のだが、飲食店の経営には土日祝日は書き入れ時なのだから、休みなどとっている暇はない。

世間的に大型連休と呼ばれる日程は、店舗が忙しくなることと同義であり、家族でどこかに出かけることなどできるはずがなかった。そのため、その暇な時間をどうやって過ごすのかは子どもながらに常に頭を悩ませていた。

現在、大人たちは有給休暇を取得することが義務化されており、その取得率を引き上げることも目標に掲げてのラーケーションなのだろうと推察するが、特にサービス業を手掛ける人たちは平日休みが中心になるため、これをうまく活用することによって子どもとの時間を増やしてもらい、休みの質を高めてもらおうということだろう。

ただ、実際に導入したとて、懸念すべき点は子どもの学習面や、その支援体制にあるとボクはみている。

授業の欠落を補完するのは教員

子どもが小学校の1、2年生などは学習の速度感もそれほど早くはないため、複数日休んだとて授業進捗に欠落感を得ることは少ないだろうが、高学年や中学生などになるとそうはいかない。

複数日、体調不良で休んでしまった場合でも、数学の因数分解などでxが出てきた際の衝撃を今でも忘れない。()はギリギリ理解できるのだが、急に出てきたxよ、お前は何の役割を与えられているのだ。

周りに聞いてみると、「いや、ちょっと…」と頼りない返事をしてくる級友に舌打ちをしながら「聞いた相手が悪かったぜ」と悪態をつき、他のわかっていそうな級友へと相談する。

この欠落を当人が埋めるようにするのではなく、本来的に見れば現場の教員が補完すべきだろうが、当時も今も、現場教員には余裕などない。

時間外勤務は45時間を超え、下手したら80時間、100時間に及ぶ教員もいたりするでーても出ていたりするが、80時間~100時間は過労死ラインであり、そんな環境で就労している現場教員たちにラーケーションの日を使って学校以外の場で学びを得てきた児童生徒に慮れというのは、あまりにも意地悪ではないか。

そうなると、もしかしたらモンスター的な保護者からクレームを入れられ、その対応に追われることになるかもしれないし、まさに踏んだり蹴ったりな状況になってしまう。

ぜひ、そんな状況に陥らないことを願うばかりだが、不登校児童のいる我が家の場合、ラーケーションとやらには該当しないし、愛知県にも在住していないので関係のない話であったことを、ここまで書いてきて思い出した。

おわりに

ここまでで所要時間は40分ほど、文字数にして2770を超えた。

毎日、こうやって何かしらを書いているのだが、改めて思うのは「なぜ、書くのか」である。いや、もう日常化している趣味なので、やめるにしても理由から探す必要が出てくるので、それを考えるのが面倒なこともあり継続している。

もしかしたら、ちょっと考えどきなのかも知れないな、とも思う今日この頃である。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo


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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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