父になれたから分かること。
自らのステータスが「父親」になるだなんて、想定していた人もいれば、想定してなかった人もいるとは思います。
望んでる人もいるでしょうし、望まない人もいるでしょう。望んでいたとしても期待通りには行かなかったり、その逆に期待した以上のタイミングで訪れたり、と人それぞれ、家族それぞれにおいて様々な機会が生じるものだと思います。
僕の小さく狭い経験の中から言えるのは、子どもとの生活は自分の人生に対しての責任感を強く抱かせてくれるのと同時に、期間限定ながらも大きな幸福感を与えてくれる時間になるものであるため、本当にオススメしたいと考えています。
ただ、今でこそオススメしていますし、子どもとの時間が大好きで、どうにかして時間を確保したいと思いながら生活をしている僕ですが、この姿勢や態度になるまでには色々と変遷をしてきたのを自覚していまして、おそらく、特にTwitter界隈なんかで目にするような「ダメな父親」をやってきた自負があります。
どんな変遷を経て、今に至ったのか、なぜに途中で軌道修正を行ったのか、を共有したいなぁ、と思ったのと同時に、僕が父親になる以前に、そんな文章に出会っていたかったなぁ、と思ったところから書いてます。
僕の書くnoteでは珍しく、想定対象を記載しますね。
・これから父親になる人
・すでに父親になって幾年か経過している人
・父親になるのに興味や関心がある人
・上記の人たちのパートナー
・その子ども
意外と多くなってしまった...。読み終えた人たちの間で、これを機会にパートナー間で話ができたり、親と子の間に話ができたりするような、一つの話題提供になれたなら幸いです。
父親の自覚なんて
まず初めに書いておきたいのは、僕はすでに3名の子どもと生活をする父親ですが、父親の自覚ってやつを認識するに至っておりません。むしろ、どうやったら手に入るのかを教えてもらいたいと思っています。(この辺りは過去にnoteで書いてきましたので、お時間許せば一読ください。)
『いい父親ではないけれど』 #えんどうnote #414日目
"父親の自覚"というお話|遠藤 涼介/ Endo-san|note
根本的に「父親の自覚」って誰が求めるのものなのか、求めるべきなのかを考えなきゃいけないと思ってます。
重要なのは本人が自身に対して求めるものでもない気がしているのと、それであれば他人(第三者)が求めるものでもない気がするんですね。だって「自覚」ですもん。
他人(第三者)が「父親の自覚を持て」なんていったところで、本人がその有用性だったり、必要性を感じていなければ何にもなりません。
しかし、です。
「父親の自覚」を使用するのがさも当然だと思っている人は、いわゆる世間一般的な「常識」や「普通」みたいに、定義も基準もきちんと定まっていないものを想定しながら使用しているような印象があります。(もし、きちんと定義づけされている方がいらっしゃったらごめんなさい!)
僕が考えるに、父親の自覚ってのは、子どもがその役割を求めて来るのに対して応えようとする感情や姿勢なのだと考えています。それが俗にいう父親の自覚なのだとしたら、僕はそれを持ちたいと思っていますし、持ち得ているように自覚しています。
だから、子どもと触れる機会が生じなければできませんし、生じるわけもありません。
そして、最も重要なことは、子どもと自分との間にだけ生じる感情だということであり、他人がとやかくいえるものではない関係性の話だということです。
一人目との生活は怖いことだらけ
これは父親になりたての方や、一人目の子どもと生活をしている人たちが陥りがちな感情じゃないかなぁ、なんて思ってます。
というのも、一人目の子どもと生活をするのって初めてづくしのために大きなストレスを毎日抱えてするものなんですよね。
それはそれは常に怖いですし、正解なんてあると思えないし、自分が放つ言葉や行動が適正であるかどうかの判断がつかないから、何でもかんでもストレスに感じてしまう。
もちろん、子どもの存在自体は可愛いですし、ないがしろにしようとは思っていないんだけど、授乳をする母親の姿を目のあたりにするたびに、はたまた泣いた子どもが求めるのは常に母なのを見ていたりすると、自分の必要性を疑ってしまいかねません。
実際、僕も子どもが一人目だけの生活を妻と送っている際には、自分の必要性を感じられない機会を多々味わいましたし、実際に必要がないと本気で思っていました。
だから「仕事を優先させて何が悪いのか」と思いましたし、仕事のために生活をするのが、結果的に家族のためになるのだと真剣に考えていました。
今から考えると、ホントに情けない男だなぁ、と思う次第なのです。(仕事ができない人間の負け惜しみであるのは言うまでもありませんが!)
もし、「父親なんていなくても...」とか「子どもは母親がいれば十分だ」なんて思ってしまっている父親がいるのだとしたら、それは大きな思い違いをしているといえます。
あなたが必要のない時間なんてない
なぜなら、あなたが考えなければならないのは、子どもにとって必要かどうかではなく、子どもの母親、つまりはあなたのパートナーにとって必要かどうかだからです。
子どもとの生活は思う通りに行きません。当然です。人格が一人分増えるわけですから。自分以外の人格が増えるってのは、家族とはいえ他人が増えるって事です。
仕事以外でも自分で完結できない時間を過ごすって、字面にしただけでも大きなストレスだと思いますよね。それが実生活に現れるわけです。自分以外の人間のための帰る時間を考えなければならないし、自分以外の人間のために食事時間を考えなければならない。
自分以外の人間が寝る時間や起きる時間から逆算して生活を組み立てなければならないし、その時間をどうやって確保するのかを真剣に、そして本気で考えなければなりません。
子どもとの生活は、常に待ったなしのリアルタイムで進行されていますので、状況が変容し続ける中で対応をし続けなければなりませんし、思い描いた通りになんて行くわけがありません。
常に時間との勝負ですし、時間は常に足りていません。
そのためには複数人で対処するのが最も容易な解決策になるのですが、それを「仕事だから」って言い訳を持ってくる人間をどうやって許せましょう。
そう、許せないんですよ。
正確に言えば、理解はできるけど、感情的にはあなたが「優先順位」を間違えているのだと考えてしまいます。
それはそうでしょう、としか僕にはいえませんし、僕がそれに気づくいたのは二人目の子どもと生活をしはじめてからですので、僕もそれを強く言える立場にはありません。
それでも、もし現状できていない、もしく経験がないとか、どうしたらいいのかって考えている人は、少しでも頭に入れてもらえたら幸いです。
父親ってイイもんですよ
カッコいい親父かどうかって聞かれれば、自信はありません。
僕が模範的な父親なのかどうかってのは、そもそも模範が何かを決めなければならないので面倒だと感じてしまうので、模範的な父親ではないでしょう。
それでも僕は、子どもと生活をはじめてから、勇気や希望といった少年漫画に出てくるようなワードを、身に染みすぎるほどに感じる時間を過ごせています。
そして、家族ってグループが居心地のいい関係で構築されるステキな環境なのだと理解できるようにもなりました。それを感じ始めて以降、自分の人生が豊かになっている実感を得てもいますし、いくつかの失敗をフォローしてくれる存在のありがたさも痛感しています。
これから父親になる、なりたいと考えている人へ
とてもいいものですよ。心配事も増えるし、自分の力不足を痛感する機会が増えるのだけれど、それ以上に幸福感を味わうきっかけになりますよ。
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#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中。現在は会社員をしているものの...
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