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やりたいことのためにお金を集めること、というお話

『お金=信用』。そんな認識が当然のような社会になっていることは、素晴らしく健全であると僕は思うわけですが、それと同時に「信用」ということはあくまでも前提条件の一つでしかなく、目的にはなり得ないということもよくわかります。

どういうことか。

「ある人(仮にAとする人)と繋がりたい」というのは、あくまでも目的があるはずで、例えば、繋がることで自分の考えをぶつけて意見交換したいだとか、力を貸して欲しいだとか、何かしらの目的があってAという人物に近づくはずで、そのAと仲良くなることが目的ではないはず。


「人数は少なくてもいいからサッカーがしたい」といった場合、ルール上は11対11だから選手22人と、レフェリーが必要になるけれど、そんな人数も場所もない上に、それを求めていない場合には、例えば3人同士でチームを組み、それなりに動けるスペースとゴールを設けたらおしまい。

つまり「目的に応じて必要となる前提条件を揃える」ことがあらゆる場面で必要で、社会活動を行う上での前提条件になるのが「お金」だけど、その「お金自体」が目的化することはないですよね。

Aという人物と仲良くすることは、その先にある目的のための前提であり、仲良くすること自体が目的化することは、いわゆる「大人」になればなるほど、いわゆる「生活」があればあるほどになくなっていくのではないでしょうか。

お金もそう。

いわゆる「大人」になって「生活」を送ることが自分自身から求められてきたときに、その前提条件の大きさに戸惑い、思わずそれを溜め込むことを目的化してしまいかねません。

その気持は痛いほどにわかるし、ぼくもそうしてきた過去があります。

けど、お金はあくまでも「何かしたい」と思ったときにはじめて価値が生じるもので、それ単体だけを見ても価値はなくて、そもそも紙ペラに1,000円と書かれていただけでは、なんのことかさっぱりわからないし、その価値を認めることができるのは、そこに内在する「信用」を認識している人だけ。

それは日本という「国」が概念的に存在していることを認識し、「他の国」が同じ様に存在している前提を理解し、国と国との間でやりとりが行われていることを認識している人がその価値を認めることができるんです。

「国と国」だろうが根本的には「人と人」のやり取りが行われる以上、その「人同士の間にある信用」が前提になります。

どんな形であれ「論理構造然した信用」と「情緒的な信用」とが重なり合った上でやり取りをされるのが相互に欲しいと願う「モノ」であり、モノ同士でのやり取りを簡略化するための「お金」なわけです。

信用という目に見えない価値を数値化して見えるようにしているのが「お金」だともいえます。


信用が2つあり、それが重なり合うという話をしましたが、論理構造然した信用というのをイメージしやすいものにすると、銀行での融資相談がわかりやすいでしょうか。

情緒的な信用というのは、単純に嗜好的な、好き嫌いで決めてしまうようなある意味では簡易的で、考えようによっては最も複雑なものです。

そう考えると、お金が動いているというのは何だか不思議な感じがしますが、それで何年も何十年も過ごしてきたことを考えると、効率的なモノとして整備された強固なシステムだということが痛いほどにわかります。


僕はつい先日、クラウドファンディングで資金調達を苦しみながらも目標金額の約140%でフィニッシュすることができ、クラウドファンディングを達成することができました。

同時に3つのサービスサイトで募集をしていたこともあり、周知や告知における力は分散してしまいましたが、支援を申し出るクライアント側が好きな場所から事由に選択できるものにすべきだと思い、その決断をしました。

すべてのサービスサイトにて目標額を上回ることができましたので、結果的ではありますが、3サイトでの達成実績を作ることができました。

クラウドファンディングを利用したのはイベントを開催するという名目があったからで、やりたいことをやる上での前提条件にお金が必要だった、ということです。

ここで、上で説明してきたことが理解しやすくなるのではないかと思うのですが、僕はイベントをやる上で資金が必要なので(理由は他にもありますが)お金を集めることにした、と。

もちろん、お金が潤沢にあるに越したことはありませんが、個人で生きている以上、僕のような普通の生活を送るサラリーマンは個人でお金を出せる範囲は決まっています。

そこで、自分以外の人に対してもきっと価値を感じてもらいやすいことをやることで「自分事に思ってもらえる内容」として共感を得てもらい、上で書いた「論理構造然とした信用」と「情緒的な信用」を勝ち得ていくための泥臭い努力が必要

僕のように名もない個人が、それこそ名も顔も知らない人たちから支援をしていただこうと思うのならば、キーとなるのはオープンであることです。

「お金=信用」なのであれば、僕に対して信用できると思えば、資金が集まるでしょうし、そうでなければ集まりません。

個人でやる場合、そこが非常に難しく、壁が高いものだったというのが今回のクラウドファンディングを終えてみての率直な感想です。

個人が一定以上のお金を集めるためには、その個人の信用を担保する少なくない個人が必要で、僕は今回、その人達のおかげで目標を上回る金額を達成できることができました。

そして、集まったお金以上に、その人達の気持ちこそが何よりも価値があり、やりたいことをやる上での大切な前提条件となることを学びました。

やりたいことがあるのであれば、お金を集める前に、確かめることが3つ。

まずはその「想い」が自分以外の人にも刺さるものなのか。

想いをもとにした「行動」が想いからブレてはいないか。

その行動に「共感してくれるフォロワー」がいるか。

ということが前提になります。つまり、その3つが「お金」という信用を数値化したものの額を高める上での前提条件ということです。

という僕の素朴な体験談からでした。

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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