新潟では市長選挙が...
僕が住む新潟市では現市長の任期満了に伴う市長選が行われます。既に期日前投票が行われているということも報道され、徐々に選挙ムードが高まってくるのでしょうか。
関係者各位には大変申し訳ないのですが、恐らく大した盛り上がりもみせずに投開票が行われ、興味関心が決して高まることなく、市長が決まるのだと予想しています。
新潟市内に住む、一般的な会社員の目線で今回の新潟市長選に対する気持ちをツラツラと書いて行きますので、特に新潟市内にお住いの方はお読みいただいたらご意見くださると嬉しいです。
投票に行く理由がない
今回の新潟市長選挙、前任の篠田 昭氏が任期満了に伴う退任が決まっており、元新潟県知事のように辞任をしたからということではなく、時期が明確になっている、いわば健全な交代を行うことになります。
次なる市長を4名の有志が虎視眈々と狙っており、それぞれに思うことがあるがために立候補し、選挙活動を開始しているのだと思います。
しかし、我々有権者側からすると、そもそも新潟市長というポジションに期待すらしていませんし、できません。
下記リンクは新潟市の予算編成に関する公表データを掲載しているページリンクですが、ページ内にある[持続可能な行財政運営に向けた見通し]というページの基金の推移をご覧いただくと、これまでの行政運営について疑いたくなるような数字が上がっています。
2007年(平成19年度)には300億を超える積み立てられていた基金が2016年(平成28年度)には約10分の1となる33億円にまで減っています。逆に市債残高は増えてしまっているという絵に描いたような火の車状態での運営がなされていたことを意味します。
そして、現状、4名の方々の出馬表明に伴う意見を見ていても、根本的に【これまでと何が違うのかを探すのが大変】なのです。
地下鉄がなく、公共交通機関として新潟市ではBRTという日本ではバス高速輸送システムというものを導入し、自動車での移動が叶わない層に向けての施策を打っています。
無人バスをバンバン走らせることによってコストが浮く可能性もありますし、車の台数も減る、というのが僕個人の考えでもあるので、基本的には公共交通機関としてのバスの本数が増えること自体は否定しません。
しかし、現状の様子を見ていると、あまりビジョンが見えないこともあり、闇雲に走らせているだけのようにも映りますし、何より、効果としてなにが良かったのかがわからない状況にある、というのが非常に辛い。
この様な施策が目についてしまうこともありますが、それに輪をかけて上で触れている様に、新潟市の財政状況が決して良好な状態でないことは誰の目に見ても明らかで、これまでの市長を当選させてきた僕をはじめとした有権者の責任は重いのだと思わざるを得ません。
しかし、その期待を裏切ってまで基金を減らし、債務を膨らませてきた市長をはじめ、市議会議員の責任は重いといえ、それをきちんと監視できなかったメディアの責任も重く、繰り返しになりますが、当選させてきた有権者の責任が重いと言わざるを得ません。
そこで、今回の選挙に行くためには、これまでと明らかに路線が変わる、毛色が異なるであろうことをハッキリと発信し、今までのやり方を全否定できる人材が立っていないのであれば、投票に行ったとしても変わることはないでしょう。
イチ一般市民の目線で見て、今回の選挙に立っている方々の発信内容を確認しても、これまでと何が大きく変わるのか、変えることができるのかが見えませんし、もしかして、発信することができないのではないかと勘ぐってしまいます。
そういう意味では投票に行く意味が見出せない、というのが今の正直な気持ちではありますし、僕の年齢よりもさらに若い人たちは投票への意欲を持つことは難しいのではないでしょうか。
期待を高められない。けど...
上に書いたような理由から、正直、僕は今回の新潟市長選挙に微塵の期待感も持てていません。大きなグランドデザインを掲げている人もいなければ、これまでのやり方を全否定してまで異なる未来を掲げる人もいないということが理由です。
それでも僕は有権者として、彼らの趨勢を決める一人の市民として、投票には行きますし、行かなければなりません。
それは僕と生活を共にする子どもたちに対する責任があるからで、彼らにとって有利な状況をどうにかして作りたいと考えていることが最も大きな理由となります。
行政の執行者としての責務、その抱えるストレスというのは想像することもできませんが、割りに合わないのだろう、ということは想像できます。何をしたとしても良いところはクローズアップされず、ダメなところだけ槍玉に挙げられるような存在となるからです。
ただ、未来を担う子どもたちにとって有利な状況を作って行くことは不可欠で必要なことだと考えています。
もちろん、新潟市では子どもに対する支援は出ていますし、我々の世帯では非常に助けられている部分もあります。
ただ、市の財政状況から鑑みて、高齢者に対する支援と、子どもたちに対する支援を重ねた結果、火の車になっているのであれば「選択と集中」すべきです。
つまり、どちらかを残し、どちらかを切るという選択をすべきだということ。
納税者という立場ではなく、同じ扶養という条件が付帯される存在に対する支援として、どちらを残すのか、というのは行政判断になります。そこで、高齢者を残す、ということであればそれはそれで執行者の判断ですし、子どもに対する支援を残すというのであれば、それも判断です。
けど、その判断をするという点において、あまりにも杜撰だったし、その状況はこれからも変わらないのではないか、というのが市の財政状況を見た率直な感想であり、立候補者の発信内容を見た僕の率直な意見です。
僕の投票する動機は子どもですが、そうではない人たちもいるのは理解できますし、しているつもりです。
しかし、誰に対しても公平で平等といいながら八方美人を繰り返し、ない袖を振り続けるのは愚者の行動としか言いようがなく、決して褒められたものではありません。
2011年から新潟市に住む僕として、2013年から子どもと生活を共にし始めた養育者として、今回の選挙はもう少し見定める時間が必要なのだとは思いますが、果たして新潟市のためになる選択があるのかどうかを含め、よく吟味する必要がありそうです。