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11/22はいい夫婦の日だったそうですが、いい夫婦ってなんですか。

はじめに

いい夫婦の日に公式Webサイトがあることをご存知の方はどれだけいるのだろう。
少なくともぼくは知らなかった。

運営は『「いい夫婦の日」をすすめる会』が行っているそうで、協賛企業にはビールの会社や日本発のECモール企業、保険会社が名を連ねており、後援には経済産業省や日本生産性本部が記載されている。

いったい、いい夫婦の日とは何なのか。〇〇の日とやらが年がら年中あるので、毎日が何かしらの日であるが、いい夫婦の日は語呂合わせからなっているのは間違いないが、サイト内には以下のように記載されている。

「いい夫婦の日」は、“ふたりの時間”を大切にする日です。

さらに、続けてこう書いてあるのだ。

「二人の時間を深めるさまざまな企画を今年もご用意しています。全国で行われる夫婦ボウリング大会など、さまざまなイベントにあなたも参加してみませんか。

二人の時間を大切にする日なのに、他の夫婦とボウリング??ちょっとぼくには理解できないのだが、そうやって他の夫婦と一緒になっていい夫婦の日にいい夫婦っぽいことをするのが経済産業的にも生産性的にも良いことなのだろうってことなのか。

よくわからないのだが、いい夫婦の日が終わったので、いい夫婦についてかんがてみる。

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。
どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。

他よりも正しく、まさった状態にある夫婦?

結婚し、結婚生活がはじまると相手のことが色々と見えてくる。たとえば恋愛結婚なのだとしたら、相手の醜い姿まで見なければならないし、自らの醜い姿すらも受け入れてもらう必要がある。

とにかく、結婚をする前に思い描いていた理想の結婚生活などは見るも無惨に散っていき、残るのは無情と呼べるほどの感情だけになるはずだ。

「いや、結婚生活は楽しいよ」

そんな意見も聞こえてきそうなものだが、ぼくはそれを否定しているのではない。「いい夫婦」なんて聞こえのいい文言に引っ張られて無思考的に目指そうとしたり、幻想であることを受け入れずに相手に求めるばかりになってしまっているのだとしたら関係が破綻してしまうことを警鐘しているだけだ。

いい夫婦。

何がいいのだろう。冷静に考えてみてほしい。何が「いい」のか。
そもそも「いい」ってなんだ。

夫婦はわかる。
夫と妻だ。読んで字の如し。「おっと」と「つま」以外にない。

では、「いい」とは何だ。
「良(よ)い」だろうな。良いのことなんだろう。良いとは「正しい」とか「他よりまさった状態にある」ことをいうと小学生の長男くんが保有する国語辞典を開いてみると、そんな記載がある。

一体なんだ。他よりもまさった状態にある夫婦とは何者なのだ。

いい夫婦とは何者なのか

一言でいえば幻想だろう。それ以外に何者でもない。誰が決められるわけでもない「いい」だなんてことを決めること自体がナンセンスであり、できないことだろう。

…え?できるの?できないでしょ。

たとえば、隣近所の人たちが「あの夫婦はいい夫婦だ」とか言ってたとして、本当にいい夫婦なのかどうかなんて誰にわかるのか。

上記の通り、「他よりもまさった状態にある、正しい夫婦」なんてものは、どんな基準に照らし合わせて決めるのか。そもそも決められるのか。決められるわけがないだろう。

他人のことを「いい夫婦だ」なんて言い出した奴がいたら、それはとっても失礼な態度である。何を大上段から見下ろしながら他人のことを評価しているのか。到底信じられない。

こうやって考えていても、やっぱりいい夫婦なんてものが誰にとっての幻想なのかもわからないぐらいに困った言葉であることがわかってくる。

いい夫婦とは何者なのか。
再び公式Webサイトに目を移そう。ここには何かしらのヒントがありそうだ。

いい夫婦の日公式Webサイトには「パートナー・オブ・ザ・イヤー」の歴代受賞者たちが列挙されている。この受賞者たちを見れば、いい夫婦とやらの何かしらを知ることができそうだ。

…まったく参考にならない。芸能人はイメージが大事だからなのか、あまりにもキラキラした世界線で目移りしてしまうほどに和かな笑顔ばかりで、ぼくのような日陰ものには眩しすぎる。

しかも、ぼくは見つけてはならないものを見つけてしまった。
下のスクリーンショットにある赤枠内をご覧いただきたい。

中山秀征が、あの夜もひっぱれでイケイケのダンスを踊りながら若き日の安室奈美恵の隣を飾っていた、あの中山秀征が2年連続で受賞していることになっている

しかし、写真に写っているのは宇崎竜童と…杉浦太陽である。隣にいるのは元モーニング娘。の辻希美だ。明らかに間違ってしまっている。2017年と2016年だからニアミスなのかもしれないが、杉浦太陽と辻希美の「いい夫婦」は認められていないとでも言いたげな状態である。

やっぱり、何をどうしたらいい夫婦になれるのかがわからないではないか。公式Webサイトの中でも存外な扱いを受けなければならないだけでなく、根本的にいえばいい夫婦とは誰に決められるものでもないはずだ。

誰かから表彰されるものでもないし、それを期待して夫婦になるものでもない。一体、何がどうなってこういった表彰をしはじめたのかがわからないが、芸能人は歯が命なのだろう。

生産性の先にあるもの、それがいい夫婦。

歴史年表を見てみると意外なことがわかった。

1985年
政府が経済対策会議で、11月を「ゆとりの創造月間」として提唱

こう記載がある。時の政府は阪神タイガースが日本一になったからといって何を言い出しているのか。よほど、11月はゆとりがなかったとでもいうのか。

ぼくが気になったのは以下である。なんと、現在の財団法人日本生産性本部は余暇開発センターという名称で、2022年現在使われている労働における効率的で合理的な労働活動を示す生産性とは異なる(いや、延長上にはあるだろうが…)立場であるような名称である。

1988年
・財団法人余暇開発センター〈現(財)日本生産性本部〉が、夫婦で余暇を楽しむゆとりあるライフスタイルを提案

余暇開発センターが「夫婦で余暇を楽しむゆとりのあるライフスタイルを提案」とあり、次には11月22日を「いい夫婦の日」と提唱したと記載があるため、どうやら余暇開発センター、現在の日本生産性本部が根源的な原因がありそうだ。

いい夫婦の日とは、日本の生産性を高めるために提唱されている言葉だったのだ。

つまり、日本における労働生産性などをはじめとした生産性を高めることによって生活にゆとりを得よう、と。そのためにはゆとりの先に何かしらの提示が必要となる。

別にいい家族でもいいパートナーでも彼氏彼女でも友人でも何でもいい。とにかく、生産性を高めることによってゆとりのある生活を得た先に、よき人物に囲まれていることを想起してもらう必要があったのだ。

そこで担ぎ出されたのが「夫婦」だ。

おまけに11月22日には語呂がいい。「22」で「ふうふ」。到底、常人では読むことなどできそうもないところだが、生産性を高められるようなデキる人たちは違う。

二十二(にじゅうに)を「ふうふ」と読めるのだ。頭のデキが違いすぎる。ぼくには到底及びつかない思考の深さである。

しかし、ここまでみてきてようやくわかった。いい夫婦とは、豊かな生活を送れる人物たちにだけ与えられた特権で、誰もが目指すべき理想像ではない。

誰が決められるわけでもない偶像を目指すぐらいなら、1mmでも自身の生活を豊かにする努力をした方がいい。

おわりに

いい夫婦。響きがいい。そう、非常に聞こえのいい言葉だ。いい夫婦。何がいいのかさっぱりわからないが、どうやらいい夫婦と呼称されることは喜ばしいことなのかもしれない。

しかし、いい夫婦と他人が規定したところで当人たちが納得できていないのだとしたら全くどうしようもない話である。

さて、今回のnoteが誰のためになるものではないことは明白であるが、どこかの誰かがいい夫婦を目指すためのきっかけになれれば嬉しい。

ではでは。

ゑんどう

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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