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毎日書くnoteへの態度

サカエコウさんがnoteはいい場所だし、居心地の良さを感じているんだけど、毎日書くために精神的な縛りを感じなくなってきた、といった内容の記事を書いていた。

これについて、僕も毎日書くようになってから1年2ヶ月ほど経過したし、これから毎日更新をしようと思い、はじめてみようと一歩を踏み出す人もいるかも知れないので、僕なりの継続してきた内容を共有してみたいと思う。

更新のタイミング

更新のタイミングは重要だ。いや、完全に自分目線での話になるのだけれど、他の人にとっても重要だと思われる。むしろ重要なはずだ。

なぜなら、日々の更新をしようと思うのであれば、必然的にnoteへの更新作業と記事を書く時間を確保しなければならない。

毎日でなくとも、定期的に書いている人であれば、時として気分が乗らないがために内容を書き進めるのが明らかにスピードダウンする時期があるのを理解できる人もいると思う。

そう、明らかに気分が乗らずに更新できないときがくる。

なんともいえない遅々として筆が進まず、時間ばかりが過ぎていってしまう、まるで路上にあるエスカレーターのように、その気はなくても時間が勝手に進んでいくときがくるのだ。

更新のタイミングを夜にでもしていようものならば、それはまるで地獄になる。楽しいはずのnoteへ向き合う時間が、明らかに苦痛に変わる。

だから僕は更新を朝にする。

もちろん、朝だって決して楽かと言われればそうでもない。僕は生活習慣が朝型であるから、その時間帯を使って記事を書いたり、更新したりしている。

その中では共に生活をする子どもが体調を崩したり、起きてきて共に遊ぶ機会になってしまった場合には、記事を書いたり、更新する時間にはならない。

だが、そうだったとしても、まだ昼もあれば夜もある。そう、更新のタイミングを朝に設定しておけば、更新のタイミングに余白を残せる。

僕はプレミアムユーザーではなく、ごくごく一般ユーザーだから更新のタイミングはすべて手動。プレミアムだと更新時間を設定できる。

別に月額をケチっているわけではいのだけれど、僕みたいな雑記系noteブロガーは、もっと多くの人に読まれているのであればプレミアムでもいいかと思うものの、月間でも13,000~15,000を推移している程度なので、もうちょっと先にする。

とにかく、自分に余裕を出すためにも、僕は朝更新をおすすめする。

ルーティン化する障害

記事を毎日更新するのは、生活のルーティン化につながるのだけれど、逆にその更新に気持ちが縛られてしまう機会も生まれる。

冒頭で紹介しているサカエコウさんも、以前にはnoteの更新を優先させたいがために、他の事柄に対しての優先順位を下げていた旨を書いているが、実際に抱く感情だ。

自分が望んで書いている分、別にこだわらなければイイのだけれど、毎日の更新をしている自分にとっては、それをなくしてしまうのは大きな痛手なのではないかと実感してしまう。

別にいいのに。

更新が止まったところで、別に命の危険性があるわけでも、カラダに傷を負ってしまうわけでもない。

ただただ、10日継続したのであれば11日が消え、100日継続していれば101日目が消え、365日継続していれば366日目が消える。それだけだ。

僕は丸々1年、noteを継続してみた気持ちを率直に書いたのだけれど、実際に365日目の投稿をした際に抱いたのは、「やっとか」という安堵感と開放感が入り混じったような不思議な感情だった。

本当に毎日書き続けるのは簡単ではない。

けど、だからといって、世の中に何かを与えられるわけでも、自分が偉くなるわけでも、組織で裁量を得るわけでもない。

つまり、対外的な影響力は大して変わらない。

だが、確かに継続した事実は残る。そして、その継続をした自分がいるのを、その事実から実感できる。

過去の自分が何を考え、どんな状況で書いたのか。どんな反応を得て、それに対してどんな感情を抱いたのか。

思い返す機会が生じる。だが、思い返す機会は目一杯少ない。

でも、自分の言葉を書き連ねていい場所だし、そんな風に書いてる人たちが集まってる場所でもある。だから、それでいいと思えるし、それがいいのだと思える。

ルーティン化している人が多くいて、その中で特別におもしろい内容を書ける人もいる。自分の内容はどんだけつまらないのか...と自暴自棄にもなる。

なんなら、そのせいで気分が落ち込む危険性すら。

けど、そんな感情を抱いてるってことは、自分の言葉を書きたいからだろうし、自分の考えを整理したいからなんだろうし、大切に思っているからなんだろうと思う。

それが許されている場所がnoteだから。

とにかくつくるのを楽しむ

許されている場所の意味をもう少しだけ掘り下げてみると、noteは創作を身近にしてくれた場所で、それを楽しむために用意された場所だ。

他にも文章を書ける場所はあるし、動画を載せられる場所はあるし、漫画や写真を掲載できる場所はいくらでもある。だが、それらの場所には不思議な敷居があり、その敷居を越えるために少なからずとも心理的な労力を犠牲にしなければならない。

その心理的な敷居を下げるためにnoteが生まれたし、noteの運営会社であるpiece of cakeもヘルプページに以下の記載をしている。

・創作を楽しみ続けること
・ずっと発表し続けること

楽しめる場所を用意しているし、その場所を常に楽しめる場所であり続けるための改善も行なっている。別の場所がしていないわけではない。だけど、noteで書く心地よさはある。

楽しむこと、楽しみ続けること。

継続する上で大切なのは、そんな言葉で集約できる。ぜひ、はじめてみてはどうだろう。


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#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中。現在は会社員をしているものの...


今回の文章に関連するオススメ書籍

嫌われる勇気』の共著者である古賀史健さんの文章講義。毎日書くようになってから、改めて本を書いてる人たちの言葉の使い方や選び方、構成に至るまで、本当に能力の高さを感じるようになりました。この本は、それを丁寧に解説してくれますし、何よりも読みやすい構成になってます。




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