武装少女とステップ気候

Α:ピースメイカーは奏でない

 いちめんの眩しい砂漠に響くのは一続きのピアノの音でした。
 それはたったの六秒間だけ、すぱぱぱぱぱという乾いた甲高い音を立てながら、人間の叫び声と一緒に奏でるひとつの和音(ハーモニー)でした。
 そして銃声が止みました。
 米軍補給部隊所属のジェーン・C・サンダース中尉は、予断を許さぬように、小隊にいったん待機命令を出しました。
「な、何が起きてるんだ……?」
ウィリアム・ギルバート・ハント三等軍曹は、困惑した表情を浮かべながら、一方で凛々しい表情をしたままの中尉に尋ねました。
「私にもわからない。だが向こうからの銃撃が止んだのは確かだ」
「罠ですか?」
「どうともいえない。見に行くしかないな……軍曹、分隊を連れて、付いて来てくれ」
「本気ですか?」
「輸送物資を守らなくてはならない。敵が迫撃砲かロケット弾(RPG)でも用意しているのなら、厄介だ。あそこはちょうど砂の丘になっていて、ここからでは状況が分からないしな……」
中尉は言いながら、彼女の銃――ドイツのH&K社製416アサルトライフルの弾倉を新しいものに交換し、軍曹に顎で合図しました。ギルバートは、この人には敵わねぇ、といった歪んだ表情をさせて、
「了解(アファーマティヴ)。おい伍長、分隊を集めて来い、ただし選抜射手(マークスマン)はここから援護させておけ」
と、命令しました。部下はすばやく命令に従いました。
「準備は出来たようだな。行くぞ、第三分隊。――周囲への警戒を怠るな。発砲は私の後に続け。敵影を見かけたらまず、報告しろ」
中尉がそう命令しました。

 砂漠の丘に生い茂る草はどれも乾いていました。柔らかい砂に足跡を残しながら、九人の部隊は、それぞれの方向を警戒しました。
「いやに静かだ」
ギルバート軍曹が言いました。彼は空に向かって伸びるナツメヤシの木を遮蔽物代わりに使いながら、心底不快そうな顔をしました。
「そう言うな。私だって嫌さ」
「そうですか? てっきり中尉はもっと命知らずなのかと」
「そうじゃないよ軍曹。接近戦で敵を殺すのが厭なんだ。何も考えずに遠くから撃つよりも、生々しいだろ」
ああ、と軍曹が生返事で答えました。それから、この人は、自分の命よりも敵を近くで殺さなくてはならない事を心配している、とも思いました。ギルバートはちいさく溜息を吐きました。
「聞こえているよ、軍曹」
言われてギルバートはドキリとしました。
 丘の目の前に着きました。やはりそこは死んだように静かでした。水を打ったように静かなら、まだ風情のひとつやふたつもあるのですが、残念ながらそこは砂の海でした。
「あの、中尉」
「なんだい、軍曹」
ギルバートは、不安からか少し顔を歪めて、――ひょっとすると、ウィンクをしたつもりだったのかもしれません――言いました。
「中尉のミドルネームのCって、あれは何の頭文字なんです?」
「それは今答えなくてはならない質問か?」
いえ、とギルバートがすこし怖気づいて、
「ただ、ちょっと気になったもので」
と、言いました。
「君も変わっているな、軍曹。自分の命より人の名前の心配か?」
すると、中尉は初めて笑って、
「クローディアだよ。ジェーン=クローディア・サンダース。大戦の英雄だった爺さんが付けてくれた、私などには似つかわしくない立派な名前だ」
「良い名前ですね」
「おいおい、そこで口説き始めるのはよしてくれ。そういう感じのラブロマンスは、むかしから苦手なんだ」
クローディアは笑って言いました。が、すぐに笑いを堪え切れないように口元を歪めたまま、
「行くぞ!」
と自分と部下たちに命令をしました。
 そうして軍曹と中尉は二人一組のツーマンセルになって、砂の丘の上へと駆けのぼりました。

 九人の子供たちが、その大きな眼を剥いてこちらを睨んでおりました。その傍には、七十年前に起きた世界でいちばん大きな戦争の、様々な国々の銃器が転がっておりました。ナチスドイツ製シュマイザー短機関銃、ソヴィエト連邦製モシンナガン小銃、チェッコ機銃、フランス製シャテルロー軽機関銃、大日本帝国製三八式歩兵銃……。
傍に転がっている、というのは、それは子供たちみんなが、体中に空けられた小さな穴々から、赤黒い血を流して、死んでいたからでした。
 その様子はすこしばかり魚屋の商品の陳列に似ていました。そして死してもなお、幾人かの子供たちは縋るようにその銃を固く、握りしめているのでした。
「動くな!」
軍曹が、彼の銃――ベルギーのFN社製ミニミ軽機関銃を構えながら叫びました。そこに居たのは、横たわる死体達の上にただひとり立ち尽くしている、浅黒い肌で深碧色の眼をした黒く長い髪の少女、でした。頭に巻いた赤いバンダナと軍用ポンチョの緑色とが相まって、それは砂漠に咲く一輪の薔薇のようでした。
「武器を捨てろ!」
軍曹は続けて叫びました。少女は武装を解除する――というよりも自ら進んで手放すように、五十連発のドラム弾倉の装着されたアメリカ製トンプソン短機関銃『シカゴピアノ』を、ガチャリと五キログラムの金属音をさせながら、砂の上に棄てました。
「撃つな!」
そう命令したのは中尉でした。少女が両の手のひらを空に向けて、既に降伏していたからです。中尉は、砂丘の下の分隊員に待機命令を出しました。
 シュメールの風の女神ニンリルが、南から強い風が吹かせ、足元の砂を舞い上げました。それはギルバート軍曹の眼に入って、彼がその眼を擦るとすこしだけ涙が出ました。
 少女は、ぼろぼろになって砂と垢に塗れた、元々は白かったであろうカミースの裾を、風にひらひらさせながらただぢっと、押し黙ってどこを見るでもなく、地面の血溜まりを眺めていました。
 中尉は銃を下ろし、銃の安全装置をかけました。そして少女に近付き柔らかな砂の上ににじりと膝をついて、
「お前は、」
と、見上げながら言いかけましたが、思い直して、
「お前が、こいつらを片付けたのか?」
と、尋ねました。少女は黙ったままでした。軍曹が冷やかすようにひゅうと口笛を吹いて、
「すげぇもんだ。味方殺しか」
と言いますと、中尉は「止めないか」と諭しました。
「英語、分かるか?」
少女は口をへの字に結んだままでした。
「アラビア語は(ハル・タタカラム・アルハ・アル=アラビア)?」
すると少女は中尉を睨みつけながら、
「お前が話しやすい、――お前の国の言葉で話せばいい。英語だろうと、フランス語だろうと、ロシア語だろうと、日本語だろうと。ずっとそうしてきただろう、お前たちアメリカ人(アメリーキヤ)は」
と、答えました。すると中尉は少し笑って、
「私はカナダ人だ(ジュ・スイ・ド・カナダ)。もともとはな」
と、答えました。どちらでも同じことだ、と少女は言いました。
「お前の名前は?」
「人に名前を訊く前に、まず自分から名乗ったらどうだ」
その態度に軍曹が思わず拳を振り上げそうになりましたが、やはりそれを中尉が制しました。
「ああ、そうだな……。私は、ジェーン・C・サンダース中尉だ。補給部隊の小隊長をしている。こっちの少し気の短いのは、ギルバート・ハント三等軍曹。彼は臨時で分隊長をしている」
「こいつらがさっき、一人殺したからだろう」
少女は子供たちの死体を顎で指しながら言いました。中尉は少し眉をひそめて答えました。
「ああ、そうだ。死んだのは、イシュメル・ヘンリー一等軍曹。第三分隊の分隊長だった。国ではテキサス・レンジャーだったそうでな。誇り高い、良い兵隊だった」
「死ねば関係無い。みんな平等だ」
そうかもしれないな、と中尉が呟きました。
「お前の所属する、いや、所属していた部隊はなんという?」
「……新日本赤軍」
中尉の質問に、少女は苦々しい顔で答えました。
「新日本赤軍(NJRA)? 日本赤軍は八年前に解体されたテロ組織だが……後継組織の、ムーブメント連帯の事か?」
「それは違う。奴は――リーダーのアポロは、そいつらとは袂を分かつ。と言っていた」
「アポロ?」
「アポロ・ヒムカイ。NJRAのリーダーだ。私も顔を見たことはない――いつもマスクを被っていて、決して肌を見せないからな」
まるでコミックだな、と軍曹が横槍を入れました。
「中尉。そいつが全くの出鱈目を言っている、てのはどうです?」
「そのメリットが無いだろう。私も新日本赤軍やアポロというのは聞いた事が無いが……まぁいいさ」
 中尉はすっと立ち上がり、少女を見ながら明るい声で言いました。
「お前に礼がしたい、カウガール。経緯は知らんが、結果的に見れば、お前が私たちを助けてくれたことは確かだ」
それを聞いた軍曹は慌てた様子で、
「中尉、本気で言ってるんですか? こいつらは分隊長を殺したじゃありませんか!」
と、言いました。すると中尉は目をキョトンとさせて、
「こいつとこいつらの責任の所在は別だろう。現にこの少女は自分の部隊を自ら全滅させたわけだし……それに、もう既に武装解除しているだろう。交戦規定的には、あやふやなところだ」
と、答えました。
「分かりません、即席爆発装置(IED)か、人間爆弾か……なにかの罠かも」
 軍曹が疑うので、中尉が少女の身体をあちこち確かめました。その間じゅう、くすぐったいでしょうに少女は笑いもしませんでした。
「軍曹、やはり何も無いよ。この子はシロだ」
もう手を下ろしてもいいか? と少女が聞いて、ああ、と軍曹が答えました。それでもあまり納得できないように、不貞腐れたようにしながら、
「でも、それじゃあ、どうして味方殺しなんか」
と、軍曹がぼやきますと、少女はほんとうに哀れなものを見るような顔をして、
「ほんとうにわからないのか?」
と、呟きました。軍曹には分からないようでした。
 少女は小さく溜息を吐いて、中尉に向き直って言いました。
「おい、カナダ人。私に礼をしたいと言ったよな」
ああ、と中尉が頷きました。
「それなら、お前に出来る事がひとつある」
なんだ? と中尉が聞きました。少女はすう、と息を吸い込んで、
「ほうっておいてくれ。私をどこにも連れていくな。私に何かを強制するな。――ただ、ここに置いていってくれ」
と、一息に言いました。中尉はすこし考え事をしたようでしたが、
「ああ、分かった。――軍曹、部下を引き上げさせろ。我々の任務に戻ろう」
と、残念そうに言いました。
 中尉は少女に背を向けて、数歩離れたとき、ふと思いついた様子で、笑顔で振り向いて、
「そうだ。何にせよ、物騒な地域だ、御守りがいるだろう」
そう言って、ダンプポーチからホルスターごと、一丁の拳銃を取り出しました。
「……銃は要らない」
「何故だ?」
聞かれた少女は、答えられませんでした。
 それは銀色に鈍く輝く回転弾倉式拳銃でした。5・5インチの銃身にはおよそ9ミリの小さな銃口が空いており、半月型のイジェクター・ロッドを備え、黒のグリップには大きく羽根を広げた鳥の意匠がされていて――少女はそれを孔雀だと思いました。
「その銃は、」
軍曹が口を挟みました。
「『平和製造機(ピースメイカー)』と呼ばれる。むかし、西部開拓時代の保安官たちが、無法者どもをこの銃で撃ち殺して平和を保っていた事から、そういう名前が付いている」
「随分と野蛮な事だ」
少女は呟いて、受け取った『ピースメイカー』の弾倉を回転させて確認し、また手に馴染ませるように銃自体もくるくると回してみたりして、それから腰のベルトに差しました。
「テキサス・レンジャーの誇り、だそうだ。こいつをカウガール、お前にやるよ」
「――弾は無いのか?」
「ガンベルトに入れてある」
それから中尉は少し笑って、
「案外、甘え上手なんだな」
と言いました。少女は少し眉を寄せて、
「お前に何が分かる」
と、言いました。
「分からないさ。何せ、私はお前の名前すら知らないんだから」

 輸送トラックは砂煙を撒きあげながら去ってゆきました。独りになった少女は、あかく傾く夕陽を眺めながら、ぼうっと死体の間でただ座っていました。
 遠くに、鳥たちが群れを成して空を飛んでいるのが見えました。翼を操って、太陽に向かい、自由に世界を旅する様を見て少女は、人間はイカロスのように墜ちるほかないのかな、と思いました。
 乾いた砂が舞い上がり、少女の軍用ポンチョの裾を踊らせました。
(西に行けば――西の国には、涸れる事の無い水たまりがあるらしい)
千キロメートルの彼方に、少女はまだ見たことのない海のある事を夢想しました。腰のベルトの水筒を取り出して、ぬるく汚れた水をひとくち飲みました。
 それをベルトに戻すと、少女は腿のホルスターから『ピースメイカー』を抜きました。そのグリップの孔雀王マラク・ターウースは、少女を睨んでいるように思えました。
 弾薬の入っていないことを確認すると、後部の装弾ゲートを開け、回転式弾倉に一発だけ弾丸を入れました。それから弾倉を無為に回転させてみて、撃鉄を起こし、銃口をこめかみに当てました。
 息を短く吸いました。そして止めました。
 それから、ゆっくりと引き金を絞ってみました。


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