メシア 【7】
けっこう間が空きましたが、書きました。
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虫の声が朝の空気に乗って耳に響いている。それ以外の音はまだ発してないような空気が漂っている朝だった。たった今ぼんやりしていた意識から覚めたように、今、砂利道を歩いていることに気づく。どうやら起きてすぐに散歩に出かけていたようだ。上を見上げる。表現は難しいけれど、雨粒を落とさないような、白い雲が薄く広がっている。ところどころ、すこしねずみ色がかった、飛散したかのような雲もある。それら一体の雲はまるで止まっているかのようだ。おそらく、まだ朝方すぎるからだろうか。風もほとんど吹いていない。朝のにおいがすこしずつ薄れていくのを感じた。
散歩の終着場所はここ。少し森に入ったところで、緑色の生え茂る木々のなかでちょっとした空間の中に、ひっそりとその建物があり、白い煙を一筋ほど、空へ空へ伸ばしている。
「もう帰ってきたのか」白いひげを右手で撫でつけながら老人はいった。といっても、その老人の両手は太く、血管が浮き出ているのが遠目からでも分かる。朝から一つのパンを横に置いて、ずっと炉を時折目を配りながら、僕の方を見ている。僕も近くの小さな木の椅子に静かに腰掛ける。「はい、目が覚めたみたいです」横に置かれた、木でくり抜かれた容器に入ったミルクに口をつける。「寝不足だとええ仕事はできんぞ」その老人ドールさんはガハハと笑いながら机を叩き、その一瞬でもやはり炉を視界に置いているようだ。炉の熱さは、ここまで伝わってこないようだ。この建物が独特なつくりをしているためか、たった数メートル先にある炉の熱を上手く外に逃がしているためか、今朝食を食べているテーブルは逆にひんやりとしているようだ。それを少し前にドールさんに聞くと、「それは水の精霊ウィンディーネ様がそこかしこにいらっしゃるからだよ」と高笑いされた。
「よっこいしょ」と老人がおもむらにどかっと座り込んでいた椅子から立ち上がり、炉の方にゆっくりと向かう。歩いているはずで、この建物の中は床はなく、そのまま大地であるため、つまり地面なのだが、その老人が地面を踏む音が一切聴こえない。所作の違いというものか、身のこなしが、ただ何年もこの森に居座って、炉との生活をし、この「鉄」というものに朝昼晩向き合っていただけで身につくものではないと断言できる。過去は聞かなかったが、不意に発せられる老人の覇気に鳥肌が立つことがあった。
窓から通して見える雲の色が褐色色に薄く色づく。まもなく夜を迎えるところであるが、老人の手元からは火花が踊るように散っている。短い時間に思えるものだが、高い熱を帯び、色が赤色に変わっている金属をまるで鞭のように、カツン、カツンと打ち鳴らす。音が、しずかな空間に、まるで風をきるように鳴る。打ち鳴る。この光景を見ていると、無心に心が、感情が磨かれているような心地がする。手伝いに来たとはいえ、この老人は金属との会話までは任せてくれないようだった。この年になっていても、流ちょうに会話ができるとのことを酒を飲みながら豪快に話していたのを不意に思い出す。ゆっくりと椅子に深く体を預け、力を抜く。窓越しに、徐々に藍色に変わっていく雲と、透き通って見える糸、数分の間に貼っただろう蜘蛛の糸が透明に光を帯びていた。
7部 了
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