古き良きもの〜幻想〜

冒頭からいきなり動画を貼るような記事はどうかと思ったが、論より証拠。まずはこの動画を見てからだ。

最近フリースタイルダンジョンとかnews rap battleとかをyoutubeで見るようになってラップに興味を持ってからitunesでhip-hop系の音楽を色々買ったり戦極mcバトルのアプリを入れてmcバトルの動画を見始めた。

そんな中日本のhiphopを語る上でどうしても外せない人物がkrevaだ。

クレバのベスト盤を買ったし、普通に気に入っている。H.A.P.P.Yなんかはヘビロテしたくなる。

それでも上記の動画を見て思ったのは、やっぱ今から見るとすごくダサいということだ。

今あまり見かけない小西真奈美がすげぇ可愛くて、むしろそっち見たさに何回か再生してしまうことを差し置いても、このラップはダサい。

でもkrevaのイカれた表情、自信満々な様といい言葉では言い表せない存在感でこの動画は溢れている。何か得体の知れないものが脳にhookしてくる。そこは流石と言わざるを得ないが。

似たようなことが身近にある。古典のミステリが大したことないと感じるように、昔の名作映画が退屈なように。

そもそも古典というものは踏襲されて来たことに価値があるとする評価の仕方もあるが、この動画のおかげで自分の中で再びモヤモヤとしたものが再浮上した。

「古典を読め」

という人が言う。高邁なる精神の下、啓蒙していただくのは結構だが

明らかに人の受け売りで古典の神聖視をしているような人も散見される。

古典だからって無条件にひれ伏すべきなのか?その古典がなければ誕生し得なかった表現だったのか?その古典でなければならないのか?

そもそも過去の作品を踏襲することが前提なので

現代の作品の土台>過去の作品の土台

となるわけで、そうなると古典を悪戯に賞賛する意味というのは歴史的価値以外あまり見出せないのではないか?作品の面白さに関してまで古典を賞賛する必要はないのではないか?本当に面白くない限り。

面白い表現は真似されやすいので、その古典ならではの面白さというものは正直後世まで保持されない。真似された時点でその古典ならではの面白さでなくなるわけで、むしろ陳腐化されたと逆に思われがちである。

再度確認するが古典がオリジナルだということは分かっている。

時系列がサラダみたいにグチャった人ならともかく、それは誰だって分かること。その上で古典に歴史的価値以上のものを、必要以上に求めることはないと言いたい。古典の神聖視は認知の歪みを引き起こす。貴方の正しい審美眼は汚される。


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