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娘と年少1学期

本当は夏休み明けすぐに書こうとしていたのだが、なんだかバタバタしているうちに気が付けば10月。
2学期のことはまた記述するとして、トラブルにも幾度か見舞われた気もする年少さんの1学期……私も娘も初めてのこと尽くしだった怒涛の日々を振り返ってみたい。

4月

コロナ禍真っ只中の4月。
昨年は6月に延期されたという入園式が果たして本当に行われるか不安だったが、厳戒態勢の中無事開催される運びとなった。
いわゆる入園式コーデを持っていなかった私は久しぶりに気張ったフォーマルワンピースを購入してびっくりするほど似合わなかったわけだがまぁそんなことはどうでもいい。主役は娘だ。気張った格好をしている両親に挟まれ彼女はウキウキと幼稚園への道を歩く。真新しい園服に身を包みピカピカの帽子を被る娘はとても誇らしげで、愛しかった。
入園式は滞りなく済み、娘は無事赤組(仮)さんの一員となった。プレでの仲良しの子や支援センターで赤ちゃんの頃から顔見知りの子も同じクラスにいたのでそこら辺は安心だったが、それでも初めての集団生活に不安は尽きない。
特に娘は自分なりの正義感を強く振りかざす傾向にあるので、強めの子とは衝突必至だろうと確信に近い予感を感じてはいたが、それも修行だ。喧嘩したりぶつかったり泣いちゃったりするだろう。先生に叱られたりもするだろう。が、なんとかそこを成長に繋げていってほしいものだ。

さぁ、いざ行かん幼稚園へ!!!!

…と思ったら、登園初日の前日、「年少のクラスに濃厚接触者が出たので明日は臨時休園にします」とお知らせが来た。心の底からズコーである。
散々これから幼稚園に通うんだよ、毎日行くんだよと脅されていたむすめは「えっ?ようちえんいかなくていいの?」と喜んでいたが、母親のガッカリ感…というより拍子抜け感が半端ない。
仕方ないこととはいえ、これがコロナ禍の現実。ちょっぴりこれからの園生活が不安になった。

丁度金曜が休園になったため、土日月を挟み初登園は火曜日になった。半日保育だったので行ったと思ったらすぐお迎えだったが、それでも娘の声が響かない家はとても静かで、なんだかちっとも落ち着かずソワソワしっぱなしだった。これは娘だけでなく私の修行でもあるんだなと気付き、心を落ち着けるためにひたすら猫を撫でていた。

半日保育を数日間し、ついに一日保育となり。
初日と翌日はさすがにお迎えに行くと泣いていたが(転んだとか小競り合いがあったとか色々言っていた)、3日目あたりからは「たのしかった!」という声も聞けるようになって、ああよかったこれでようやく娘の幼稚園生活が始まったんだ、と胸をなでおろしたのも束の間。

幼稚園から、「年少組の担任・副担任・園長に陽性が出て明日から一週間休園です(そしてちょっと半日保育したあとすぐGWです)」というメールが来て私が絶望するのはこの日の晩のことである。

5月


GW明け。5月も10日を過ぎようという頃、再び日常が始まった。半日保育ばかりだったので、恐ろしいことにこの時点で娘が2時まで幼稚園にいたのはたった一日である。とてつもなく長い慣らし保育期間だった。
ここからちゃんと通ってくれるだろうかと若干不安だったが、結論から言えばそれは杞憂に終わった。登園を重ねる毎に娘が目に見えて幼稚園に馴染んでいくのが分かったからだ。
登園を嫌がることも退園時に泣いていることもなくなったし、プリキュアの目覚まし時計で親よりも早く起きるようになった。仲良しになったという子の名前が毎日増えた。私は慣れないお弁当作りも少しずつ手際よくできるようになったし、平日の午前中に歯医者だって行けるようになった。朝になるとどうやら小さいのはどこかに行くらしいと猫も少しずつ理解するようになった。思うようにいかずフラストレーションが溜まり続けた4月とは明らかに違う日々だった。
ああ、これが年少児のいる生活…!
たくさん制約はあるものの、私も娘もようやく訪れた新たな日々を楽しんでいたように思う。

6月


新たな日々をエンジョイしていた6月、園生活の洗礼を受けることになる。
娘、胃腸炎感染。
そうだった。幼児が団体行動をしていればそういったものを貰ってくること必定。順調すぎた5月のおかげですっかり忘れていた。
娘は頑丈な子だったのであまり病気をしたことがなく、乳の吐き戻し以来ではないか?という嘔吐に私も夫もアワアワ過ごした。そして当然のことながらではあるが。
私、胃腸炎感染。
だよね~~~~~~~~げろ手で受け止めちゃったもんね~~~~~
娘も辛そうだったが2,3日もすればケロっとしていた。しかし三十路も半ばを超えてからの胃腸炎はしつこい。そしてつらい。免疫が仕事をしていないのではないかと思うくらい治らず、結局完治まで1週間くらいかかったのではないだろうか。
正直6月の後半は娘の園生活云々よりも自分の胃腸炎でいっぱいいっぱいであんまり記憶がない。ギリギリのところで感染を回避し介抱してくれた夫には感謝である。

7月

体操服で通っていた時期を過ぎ、少しずつ自分でお着替えをするようになってきた7月。幼稚園でのプールは中止されたものの、代替策としていくつかビニールプールを出してその中で水遊びをさせてくれた。前世は魚らしい娘はそれも大喜びだった。
そして7月は、娘の誕生月である。自宅はもちろん幼稚園でもお誕生会があり、娘も特別な月だと自覚しているらしく1日になった瞬間から「きょう娘のたんじょうび?」と聞いてきた。おまえの誕生日は月末ですと口が酸っぱくなるほど答えた気がする。
園でのお誕生日会は親も見に行くことが出来た。普段は全く見ることのできない園での様子を垣間見ることが出来るとあって、非常にウキウキハラハラしながら参観に赴いた。
娘は自分の普段の空間に母が来たことが大層嬉しかったらしく、非常にテンションが高かった。行って気づいたことだが、娘は誰かと楽しく遊びはするものの、気が乗らなくなると一人で本を読みに行ったりすることもある。どうやらマイペースな性格らしかった。家にいるとおかーさんおかーさんおかーさんとまとわりついて常に私に遊びを仕掛けてくるので意外だった。
どちらかといえば私は友達がいないと不安なタイプの子どもだったため、むすめが気ままに絵本を読んでいる様子がちょっと格好よく見えた。
ははぁあの子が仲良しのMちゃんだなとか、あいつが一回むすめをひっかいて泣かせたNくんだな顔覚えたぞこのやろうとか、悲喜こもごもな感想を喉元で抑えつつ、お誕生日会開始。
7月生まれは娘を含めて3人いて、クラスの皆からお誕生日おめでとうの歌を贈られた。先生に好きな食べ物や大きくなったら何になりたいかをインタビューされ、一丁前にそれに答えつつ、娘ははにかみながらもちょっと誇らしげにみんなの前に立っていた。
ああ大きくなったんだなぁ、ちゃんとこうして娘の居場所が出来たんだなぁと涙腺がうるっとしたが、なんとか堪える。せっかく笑顔の娘に泣いてる顔を見せては心配させてしまうかもしれないから。最後は娘と2人の写真を撮ってもらい、お誕生日会は無事終了。娘が楽しく園児をしていることを確認できて、私も大満足な体験だった。

そして、4月の休園期間分の延長があり、他の幼稚園から遅れること1週間後の7月末に、無事一学期が終了した。


以上が娘年少一学期の振り返りである。
色々なことがはじめて尽くしで私も娘も激流に身を任せている内に終わってしまったが、ようやくリズムが掴めた気がする。二学期は運動会、芋堀り、遠足、お遊戯会とイベントが盛りだくさん。
娘と共に、私も1度しかない年少さんの二学期を楽しもうと思う。


(ちなみにトップ画像は私のBPB(ベストパフォーマンス弁当)。
キャラ弁など作れなくても「ピックとキャラもの惣菜で可愛いは作れる」というのが3ヶ月かけて得た弁当作りの真理である)

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