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娘の反抗期とちょっとした事件

2才のイヤイヤ期は出産前から何となく知っていたが、3才で訪れる反抗期についてはノーマークだったという人は意外と多いのではないだろうか。何を隠そう私がそうだった。
自我が芽生え、自分の意見を周りに主張し始めるものの上手に出来ず怒ってしまうイヤイヤ期を経て訪れる反抗期。「魔の3才」という不吉すぎるラベリングがされたこの年代は、親の言っていることを理解したうえで聞かない、やらない、そして反抗するという三重苦を持って立ち向かってくる。

2歳半頃にようやくイヤイヤが落ち着いた我が家の娘も、只今絶賛反抗期である。
勿論それまでも多少の小競り合いはあったが、酷くなり始めたのは年末年始、夫が長めの冬休みに入った頃からだ。
・やりたいことがうまくいかない→怒る。やらない。
・やりたいことをやらせてもらえない→怒る。わめく。
・やりたくないことをやれと言われる→怒る。やらない。
・望まない絡み方をされる→怒る。癇癪を起こす。
・猫が抱っこさせてくれない→怒る。尻尾をつかんで引っ張ろうとする。
・お友達と上手に遊べない→怒る。もういいとどっかに行く。
…などなど、とりあえず怒る。その際奇声…というか心臓に悪い甲高い音を発することが多かった。
だいぶ物事を理解し始めたとはいえまだ3才半、彼女の繊細な心の機微を受け止めてあげなくてはならないということは重々理解していたが、毎日毎日奇声を聞くのは心臓に堪える。だから、無駄かもしれないと思いつつ、毎日毎日同じことを言って聞かせた。

「大きな声は出さない」「すぐに怒らない」「気持ちは言葉で伝える」。

まだ小さいんだから出来なくても当たり前。でも、大きな声を出したり怒ったりするのは皆がびっくりするからダメ。思っていることがあるなら落ち着いて言葉にして。うまくできなくてもお母さん手伝ってあげるから…

ウーンこれ3才児に言い聞かせるの絶対無理だね???

自分でも分かっていたが、それ以外どう働きかけてよいか分からなかった。
家の中で暴れている分にはまだいいが、外でお友達と喧嘩ばかりしているのは困る。4月から幼稚園に通うのだから怒って大声を出して、自分の気持ちばかり押し付けていてはだめだというのはどうしても分かってほしかった。

そもそも娘は自分なりの正義感というものが非常に強い子で、例えば1イタズラされると10意地悪されたと捉える傾向があった。例えば通っているスイミングでやんちゃな男の子にちょっぴり水を掛けられたとすると、すぐに全力でキレる。やり返す。大声を出す。悪即斬である。
勿論ひどいことをされて黙って許せとは言わない。嫌なことをされたら「やめて」と毅然と言っていいし、度を過ぎたイタズラをされた場合はモンペ上等私が出張るつもりである。だが、家ではお姫様になりがちな娘に、自分の思う通りに世界は動かないということもある程度分かってもらわなければならなかった。

そのために、上記の3箇条をひたすらに言って聞かせた。
娘との戦争が勃発してしまった夜には夫婦で話し合いをして、「娘は今こういう時期だからこういう対応をしよう」「あれは逆効果だった」「我々は猫に構いすぎなのではないか」など、ああでもないこうでもないと対策も練った。
毎日のように娘を叱り諭し宥め、娘の成長も一進一退を繰り返しつつも2月に突入した矢先、ある事件が起こった。
それは娘と一緒に市販のワークをやっている最中、何度やっても上手に迷路の運筆が出来なかった娘が癇癪を起こし始め、わにゃわにゃ泣き出した末、鉛筆をぶん投げたのだ。
1才の頃から娘とのしているお約束のひとつに、「ものを投げない」というものがある。手に持っていたものがハサミだったりしたらどうなるか、投げた先に友達が居たらどうなるか…と口を酸っぱくして教えそれはそれは固く約束をさせていたのだが、癇癪がメーターを振り切ってしまったのか、投げた鉛筆は宙を舞いテレビにぶち当たった。
私も連日の疲労が重なっていた。部署を異動した夫の帰りが遅くなって平日のワンオペが増えていて、更には娘の不機嫌を毎日毎日食らって、もう仏の顔は限界だった。鈍い音を立てて跳ね返りカーペットに転がった鉛筆を見た時、プツンと糸が切れてしまったのだ。
鉛筆を投げたことを叱っても聞こうとしない娘を抱き上げ、リビングから続き間になっている和室に入れて、そのままぴしゃりと戸を閉めた。
「しばらく頭を冷やしなさい」
何が起きたか分からなかったのだろう、娘は一瞬黙った。
そして、一気にこの世の終わりが来たみたいに泣き叫んだ。
「おかーさん!!おかーさんだして、だしてよ!!おかーさんおかーさんおかーさん!!」
日中だったし部屋は明るかったが、母に部屋に閉じ込められたという事実に娘は絶望し、今まで聞いたことがないくらいの悲鳴を上げていた。
一方、私はと言えば。
「落ち着きなさい、お話を聞いて、暴れないで、落ち着いて」
…いや、3才児が閉じ込められて落ち着けるわけがない。
今ならそう思えるが、この時は私もかなりテンパっていたので、馬鹿みたいにそればかりを繰り返していた。閉じ込めた割にノープランで嫌になる。
だしてと落ち着けを言い合って、娘が息を整えて自分のお名前がギリギリ言えるようになった頃、私は引戸を開けた。娘は走って和室から出てきて、そして真っ先に私に抱きついた。怖かったろうに、そして怖いことをしたのはおかーさんだと分かっていただろうに。それでも彼女は私にぎゅうっとしがみついてわんわん泣いて、「ごめんなさい」と小さな声で呟いた。私も罪悪感で潰されそうになりながらごめんねと泣いた。
時間にすればおそらく3分程度のことだったが、私にも娘にもとてつもなく長い時間に感じられる出来事だった。

結果から言えば、娘の反抗期はここを境に少し落ち着いた。
癇癪を起して奇声を上げることはなくなり、出来ないことに対しては「おかーさんてつだって」と言えるようになった。お友達と遊ぶのはまだまだ上手ではないが、それでもおもちゃの貸し借りやケンカをした後のごめんねが少しずつ出来るようになってきた。娘が泣き叫ぶことや私が叱り飛ばすことも目に見えて減った。
あの事件がブレイクスルーのきっかけになったのは間違いない。…しかし、だからと言って己の叱り方を正当化するのは違う気がするし、そもそもそんなことをしなくても娘のアップデートの時期だったのかもしれない。親の顔色を窺う子が聞き分けのいい子だと勘違いする…あれは、そういう危険性を孕んだ叱り方だった。
いわゆる『叱らない子育て』は確かに一種の理想だと思う。理論通り出来れば素晴らしいだろう。しかし、現実はそううまくはいかない。きつく叱らなければならない瞬間だってあるし、根気強く諭したくても親の我慢の限界が来てしまう時だってある。
けれど一つだけ実感できたことは、けっして親の権力を振りかざした怒り方をしてはいけないということだ。たった数年しか生きていない子供に対して30年以上生きている大人が力尽くで叱って泣かせる。そんなことで留飲を下げるような叱り方をしては絶対にいけない。
幼稚園の入園を目前に、親もアップデートをしなくてはいけないのだと実感できた事件となった。

ちなみにその後の和室の様子だが、だしてだしてと泣き叫んでいた娘は想像以上に暴れていたらしい。襖には裂けたような傷があり、障子には激しい破れがあった。おそらく手で叩いても開かないので近くにあった絵本で殴りつけたのだろうと思われる。
必要な犠牲であったが、その惨状を見た夫が悲しそうに修理をしていたので娘と二人でごめんなさいをしたことを付け加えておく。

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