光は常に正しく在り その②:偽物の光、その共鳴
誰かに対して共感するとき、ぼくのリアクションは、とっても安っぽいものだと感じてしまう。
先日、とてもイヤなことがあったので、プラネタリウムを見に行った。モヤモヤした気持ちになった時、何か美しいもので上書きをしたくなる。
それが音楽でも、映画でも、小説でも、お花畑でも、好きなひとの仕草や笑顔でも、なんでも良いんだけれど。今回選ばれたのはプラネタリウムだった。
愛媛県には新居浜に世界最大級のプラネタリウムがある。ぼくの調べ方が甘くて、嘘だったら申し訳ないんだけど、2009年まではギネスにも載っていた本当に世界最大のプラネタリウムだったようだ(今は名古屋のブラザーアースがギネスに載っている模様)。
星を見ていると、美しいと感じるのはどうしてなんだろう。無粋な言い方をすれば、ただの光の点々。しかも、ぼくが今見ているのは、作られた偽物の光。世界一じゃなくなった建造物が人工的に放っている光。なのに、どうして、涙が出るくらい綺麗だと感じるんだろう。
きっと、心が動くことに理由なんていらない。でも、その後のことに理由をつけることはできる。放たれている光が持っている眩しさ。それを愛したなら、その構成も、由来すらも、美しいと思えるから。偽物かどうかなんて、世界一じゃなくなったとかって、どうだって良いんだ。あなたが今いる場所があなたに相応しいかじゃなく、伝えてくれるメッセージが正しいかじゃなく。あなたがいま放っている光、それを見つめていたい。そんなことを考えていた。
翻って、冒頭の話。誰かの話にリアクションをする時、とても薄っぺらいものになってしまうんだけれど、それは本当は共感なんてしたくないからなんだ。
ぼくは共鳴していたい。
「ひとは独り。これは哀しいことでもなんでもなく、ただの事実。だから、ぼくとあなたは絶対に同じ考えなんてしていない。でも、わかる!って思う。あなたのその言葉に影響されて、同じように心に光が灯った気がしたんだ。それがとっても嬉しいことなんだよ。絶対に同じことなんて思っていないのにさ。それってすごく素敵じゃない?」そんな感覚を、ぼくは共鳴と名づけた。
でも、実世界のコミュニケーションで、「ぼくは共鳴をしたい!」なんて喚いて、こんなことを1から10まで説明していたら、ただの激キモおじさんになるから、「わかる〜〜〜!」って普段は言っている。そうすると、なんとなく自分のリアクションが薄っぺらいものだと感じてしまう。ぼくが誰かに放っている光も、きっと偽物の光なんだろう。おそらく、鈍い、鉛色みたいな光。もしかしたら、光ってすらないかもしれないけれど、、、。
だから、思ったことは音楽にする。星を閉じ込めたプラネタリウムのように、ぼくの気持ちをメロディーに閉じ込める。ぼくがこんなことを考えているなんて、あなたには知らないままで、忘れたままでいてほしい。ぼくの音楽が、ぼくの想いを知らないままのあなたと共鳴してくれるように。
あなたから受け取った光、それがどんな風に放たれたものであれ、とても美しいと思う。ぼくは好きなひとたちみんなに、そう思っているんだ。そんな気持ちを音楽にしていくから。願わくば、ぼくが放つ光も、いつか未来でそう思ってもらえるように。
ねぇ、みんな。この先も、それぞれの場所で、キラキラしていようね。
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