光は常に正しく在り その⑬:アンドロイドも音楽を聴いて泣いたりするのかな?
もしも、人間の感情を完璧に再現したAIが搭載されたアンドロイドが存在するならば、彼らもメンタル不全に陥ることがあるのだろうか。
病のメカニズムとして、脳の伝達物質の働きが抑制されるというのが正しければ、機械でできたアンドロイドが精神を病むということは、おそらく起こり得ないだろう。
それなら、ぼくらがどこかの風景を見たり、誰かと会話したり、音楽を聴いて涙を流す瞬間のような、理由のない美しさと出会った時の感覚については、どうなるんだろう。アンドロイドも涙を流すのかな。
今日で配信を始めてから丸1か月が経った。確認してみると、1ヶ月のうち、全く歌わなかったのは4日。単純計算で1週間に1回休息を取っていることになる。これが多いのか少ないのかはよくわからない。
ぼくは次の冬にアルバムを作りたいと考えている。だけれど、今のままでは、アルバムができたとしても、絶対に誰も聴いてくれない。だからこそ、たくさんの人に出会えるように踏み出していきたい。そして、誰もぼくを知らないところで、1から自分の実力がどれくらいなのか確認してみたい。そんな思いで配信を始めてみたけれど、やっぱり、なかなかたくさんのひとには届かないっていうのが現実だ。
3時間くらい歌っても誰も来ない。来たとしても一言も会話をしてくれない。始めたばかりの頃はそういう日もたくさんあって、自分の実力というものを嫌というほど痛感した。バンドを始めた時、お客さんが誰もいないステージもよくあったけど、その頃のことを思い出したよ。
じゃあ、もっといろんなひとに響かせるためにはどうすれば良いか。ぼくは企画やアイデアを出すのが好きだから、そういうこともたくさん考えてみた。
例えば、「グレイティスト・アシカショウ」っていう名前の企画。7人の架空のキャラクターを考えて、曜日ごとにその人たちを自分に憑依させて歌ったり喋ったりする。アイドルだったり、ロックンローラーだったり、バーの店員だったり、パリピだったり。そんな配役を選んで奏でていく、ある架空の街を舞台にした群像劇。色んな人がいて良いんだって、だから世の中は素敵なんだって、この企画なら、そういうことも含めて表現できるんじゃないかなって思ったりしていた。
でも、それって本当にやりたいことなのかしら?よくよく考えてみたら、ぼくは大衆に向けて音楽を作りたいと思っているのかしら?
そもそも、ぼくが音楽を好きになったのは、なんでなんだったっけ?
......うん、そうだね。
誰にも理解されるわけがないって思い込んでしまうようなバカでかい孤独を抱えていた10代前半のぼくにとって、どんな厚い心の壁も超えて、ふっと寄り添ってくれた音楽たちは、きっと魔法だった。死ぬことばかり考えていたぼくに、ほんの少しだとしても、その先の眩しさや生きる希望をくれたのは、あのメロディーたちだった。
ぼくが音楽をやりたいと思ったのは、同じように孤独を抱えている誰かに寄り添いたいと思ったからなんだ。 BUMP OF CHICKENが、BURGER NUDSやGood Dog Happy Menが、ART-SCHOOLやSyrup16gが、ぼくにそうしてくれたように。
じゃあ、歌もそんなに上手くない、楽器もろくに弾けない、音楽制作をパッケージまで持っていくスキルも不足している「いまのぼく」が、音楽を通して、誰かに何を提示できるとしたら「生き方」しかない。
何を選択するか、何を見るか、どんな言葉を使うか、そしてそうする理由。それを示していくしかない。
一緒にいるだけで、あなたの悲しみが癒えるなんて、あなたの悩みが解決するなんて、残念だけどこれっぽっちも思わない。それはあなたの問題だから、手伝ってあげたいけど、あなたが答えを選ばなくてはいけないこと。だけど、「あぁ、こんなひともいるんだな」って思ってくれることで、少しでもあなたの気持ちがフッと楽になるのなら、ぼくはたくさん笑っていたいし、あなたが望むのならピエロにでもバカにでもなるよ。
とてもおこがましくて、大袈裟なことかもしれないけれど、クラスにうまく馴染めないような誰かがいるのなら、そんなきみがひとりで孤独を抱えてしまっているのなら、そんな感情を受け止めるシェルターになりたいと思っているんだ。ぼくはそんな音楽を作りたいんだ。
だからこそ、アルバムに掲げるテーマは「全肯定」。
ただただ、全てに寛容になって、「弱くても良いよ、傷ついていても良いよ」と言ってあげることだけが「肯定」じゃないと思っている。「バカじゃん、お前はそんなに弱くないぜ」って、背中を押すことも肯定。
機械で出来たアンドロイドだって、綺麗な風景を見て、好きな誰かの仕草に触れて、眩いばかりの音楽を聴いて、涙を流すはずだって信じる。ぼくらの周りには、ささやかかもしれないけど、圧倒的に絶対的な美しさがある。そんな名前のない感情を音楽や生き方で翻訳していけるように。
だから、良かったらぼくのとこに遊びに来てね。近くに来たなら話をしようよ、話す気にならなかったら、なんとなくでも同じ空気を吸っていようよ。いつまでだって待ってるからさ。生きることは大変なことのほうが多いのは事実だとしても、ぼくらにとって大事な美しさを、見逃してしまわないで気づいていけるように。一緒にがんばろう。
そして、いま配信に遊びに来てくれているひとたち。あなたたちには本当に感謝しています。ほんの少しだろうけれど、楽しませたり、気持ちを受け止めたりできているのかなって、誰かの役に立っていられてるのかなって思えています。また今日も会えたら嬉しいな。
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