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光は常に正しく在り その⑩:ただ、美しく

ぼくは今、空想の海を300ノットでバタフライしている。真っ黒な波濤の中を、小さくてボロボロのコンパスで軌道を確認しながら。心のリミッターは解除して。思い出を再生する装置をオンにして。

物心ついた頃から、自分の価値や能力はとても低いものだ、と決めつけてしまうクセがあってね。誰か他人と比べてるわけじゃなく、自分の理想に対して、今の自分とは圧倒的に距離があると思ってそうなっているから、余計性質が悪い。

ぼくには何もない。だから、誰にも気にされなくて当然だし、いつかは誰からも忘れられちゃっても仕方がない。かれこれ何十年もそんな風に自分自身を捉えている。

そして、それは別に哀しいことでも悪いことでもないと思っている。そういう風に感じるからこそ、昨日の自分より少しでも、今日の自分をよくしたいって思いながら、この海を泳ぎ続けられているんだって信じているから。"better everyday with smile"の精神で。

だけど、その道すがら、「泳ぎ方」に迷う瞬間が、少なからずあるわけで。

ややもすれば、ぼくは「諦め」の島へと進もうとしていた。誰もぼくを見てくれないのなら、こちらから歩み寄らないと。みんなが幸せになるような、ただただ楽しいだけの音楽をやらないと。そんな風に考えていた。まぁ、それ自体はある意味で正しい(特に、頑固者のぼくにとっては、ある程度そういう感覚でいるくらいがちょうど良いはず)。ただ、その背景には「自分の本当の意思を捨ててでも」という羅針盤があったとも思う。

そんなぼくを正気に戻したのは、「そのやり方を勉強しよう」と思っていた場所での、望外の出会いだった。

出会ったそのひとたちの表現やスタンスは、何かのコピーや写し絵じゃなく、軽やかで、それでいて強い意志があって、どこにも属していない。そう強く感じた。

そのやり方はどこまでも自由で、自分で作ったルールに縛られているぼくとは真逆だな、と思った。自分を信じているから無敵、無敵だから自由、自由だから何の真似もしなくても良い。好きなこと、思ったことをやれば、それが美しい表現になる。

合わせに行くとか、外しに行くとか、そんなことが選択の理由の範疇に初めから入っていない。自分の美学に基づいた行動原理。言い換えればそれは「自律性」。

「みんなを笑顔にしなくちゃいけない」っていう考え方と「みんなを笑顔にしたいな」って気持ちは、結果自体は似ていても、宿る精神性はむしろ真逆なんだよな。自分じゃなく他人を理由にすると義務になる。義務になった途端、生まれるものはつまんなくなってしまう。だから、大切なことは自分の心で決めるんだよね。

ぼくの敬愛する宮沢賢治は、「生活は芸術だ」と考えていた。なにも大袈裟なことではなく、生きることそのものが奏でるリズムが音楽だと。こういう向き合い方、選び方なら、そこに近づけるかもしれない。そんな風にも思った。

「農民芸術概論綱要」から引用

自分の好きなものを、自分よりも鮮やかな鮮度で、もっと深い深度で愛しているひとが、いままで出会った友達以外にもいたんだ。そう思うと胸が震えるほど嬉しくて、襟を正されたような気持ちになった。初対面で教えてもらった音楽が、パズルのピースのように自分の理想にハマることなんて、人生の中で片手で数えるくらいもないでしょう?

それはまるで、ぼくが選んできたもの、愛してきたものは「間違いじゃない」と言ってくれているようだった。思い込みかな?いいや、そんなことないさ。

淡水魚は海水では生きていけないし、海水魚は淡水では生きていけない。あぁ、ぼくの生きる水は、やっぱりこっちなんだ。そう思うと、久しぶりに呼吸ができたような気分になった。

タバコの吸いすぎと、それよりももっと性質の悪い何かで真っ黒になった肺めがけて、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込むと、ヴィジョンが見えた。ははは。「この目がいまでも、ギリギリで見えていて良かった」って思うよ。

6月初め、ぼくはあるライブ配信アプリの審査に受かった。何の後ろ盾も実績もないぼくだけど、「最低限お前の歌は人様に聞かせる価値がある」と認めてもらえたようで、嬉しかった。夏が本格的にやって来たら、ここで歌をうたう。

心から自由であるために、たくさんの決め事は必要ない。少なくとも、いまのぼくにとっては。

そう。ルールはたったひとつで良い。
「ただ、美しく。何もないなら、なお美しく」

もうすぐぼくのことを知らないみんなに会いに行くよ。この選択はぼくにとってはかなり大きな一歩。あの時、背中を押してもらえたこと、こんな場所があるって教えてもらえたこと。そのすべてに心から感謝している。教えてもらわなけりゃ知ることもなかっただろうし、知らなかったらまだ間違えていたかもしれない。

ここまでだって、何度も何百回も、何万回も迷ってきた。その度に、誰かの助けを借りながら、進む先を選んでこれた。だからぼくは、迷うことを迷わない。どんなちっぽけな自分だろうと、絶対に乗り越えられるって信じているから。ノラネコたちが軽やかに町中の塀を飛び越えていくように、迷うことを楽しんで行くよ。ノラネコだから、目的地は要らないんだ。

もうすぐ夏が来るね。遠くの夜空から、花火の音が聞こえるような気がする。みんな、それぞれの場所で咲き誇っていようよ。指切りなんてしなくても良い約束さ。

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