雨の日の子ども
昼のあいだ子どもたちに占拠されている建物。
学校。
心の病だかなんだか知らないけれど、とくに理由もなく通う気がなくなってしまった。
ありがたいことに手紙も電話も家庭訪問もこない。
この部屋は無人島だ。
イカダを作って脱出できるくらいのペットボトルに埋もれてほとんどの時間を過ごしている。
刺激に飢えているから、コーラしか飲まないんだ。
雨が降るとゲーム機を持って外に出る。
この国ではみんな同じ傘の差し方をするから、誰にも見つからないよ。
傘の柄にすがっていれば濡れずにすむ。
そういうルールが流通している。
透明の雨が白のまだらを滑り落ちていく。
白壁を白で塗り重ねたのはエコロジストだ。
校舎建て替え案は磔にされた。
問題は財政じゃない。
土を掘るよりもペンキを塗る方が楽だろう?
古い建物にはたいてい秘密の部屋があるから、雨の日はそこに忍び込む。
錆び付いた門を開けるには軍手が必要だ。
通る人のない裏門をゆっくり動かしてなかに入る。
波止場のように濡れた校庭。
鉄棒、金網、陸上トラック。
ソフトフォーカスで蠢いている。
世界と言うよりも映像。
チャイムが鳴り、総員が配置に付くと廊下には誰もいなくなった。
たちこめる何百もの子どもたちの気配と湿気が混じり合い空気を圧迫する。
人間の醸す緊張感。
涼しい顔をして歩き回る僕は幽鬼。
空き教室の扉をでたらめに開け放ち、使われない部屋の使われない準備室に転がり込んだらゲームをプレイするんだ。
学校に侵入して無差別に銃を乱射する、とかじゃなくて、ただのパズルゲームだよ。
誰も恨んじゃいないし。
こんな感じに雨の日は過ごしている。
人様の授業中に好き勝手をするのは気持ちが晴れ晴れするよ。
薄暗い部屋に差し込む光。
跳ねる雨音。
遠くで響く子どもの足音や声に耳を澄ますんだ。
ある日、いつものように部屋に入ると、椅子の上に本が置かれていた。
すべてが思い通りになる引き合わせの法則。
奥付の貸出カードには女生徒の名前があった。
僕と同じ学年だけれど姿は記憶にない。
挑発されているようで、少し苛立ちを覚えながら、その本を読む。
人生を変える呼吸の方法。
願いが叶う日記のつけ方。
潜在意識を開放するテクニック。
不可能を可能にするスピリチュアルブック。
宇宙に身を委ねればアナタは変わる。
訪れる度に本は替わっていた。
どれもくだらない自己啓発書のたぐいだ。
貸出カードには同じ女生徒の名前。
いったい何のためにこんなことをするのだろう。
無人島で考える。
今さら僕の人生に誰かが介入してくるとは思わなかった。
理由は分からない。
救いの手を差し伸べているつもり?
神様ならCore i7-5000Uのなかにいるのに。
いつの間にか洋上にいて、溺れかけている気分だ。
溺れた僕が掴んだのはやっぱりペットボトルだった。
何かしらリアクションを返そうと思い、本の横にコーラを置いてみた。
ちょっとした悪戯心であると同時に、気にかけてくれたことに対する感謝の意を表したつもりだ。
それが間違いだった。
しばらく天気が続いたので学校から遠ざかっていた。
だから、偶然ニュースサイトで記事を見なければ、女生徒が自殺したのを知らずに済んだかもしれない。
何度も確認したけれど貸出カードと同じ名前だった。
翌日、久しぶりの雨。
誰もいない。
人間の気配がしない。
足音が響いては雨音に吸い込まれていくだけ。
すべての電灯が消され薄暗く音のない校内は、あの居心地の良い部屋と同質化しているように思えた。
それなのに空気が重い。
そう感じ出すと急に呼吸が荒くなり、息が乱れていった。
胸が苦しい。
よろめきながらいつもの部屋に向かう。
たどり着くと僕は膝をついてへたり込んだ。
ドアはベニア板で十字に塞がれ、立ち入り禁止の貼り紙がなされていた。
もしかして、ここで?
遠くでマイクがハウリングするまで僕は呆然としていた。
渡り廊下に出ると、人のいない理由が分かった。
体育館で全校集会が行われている。
自室で独り考える。
きっと僕は女生徒の逃げ場所を奪ってしまったのだ、と。
イジメにでも遭っていたのかもしれない。
とにかく僕は勘違いをしていた。
誰も救いの手など差し伸べてなかったわけだ。
結論が出たところで、コーラを一気にあおった。
もうすぐ梅雨が来て毎日のように雨が降る。
その時僕はどこにいるのだろう。
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