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アングラ世界を脅かすのは常にそこに留まる住人だ。

いわゆるフェティッシュであるとかヱロティックであるとかを含むアンダーグラウンドの世界は微妙なバランスでなんとか成立しているところがある。

センシティブといったような生易しい話ではなく「法の向こう側とこちら側との境界線の手前」をウロウロしている危うさの中でかろうじて留まっている、そんなところがある。
法の向こう側に行ってしまう行為は考える必要もなく確実に悪いのだが、境界線を踏み越えなくてもそこに足を掛けようという行為がそもそもまずい。

「違法じゃないから悪くない」という発想自体を捨てるべきだ。

例えば、欲求/好奇心を満たすために公共の場で公然とすべきではない/必要以上に過激/好ましくないことをしてしまう。
それは「やってやった!」という達成ではない。
たしかにそれをすれば目立つだろうし承認欲求は満たされるのかも知れない。

ただし、残念ながらそれでヒーローになれたと思うのは間違いだし、それをヒーローだと視線を注ぐのも間違いだ。単なる「最低」の行為だ。
それで得られるものは終焉を早めるリスクであってポジティブな要素はなにひとつない。
最悪の未来を憂いて先人があえて踏みとどまった一線を、なにも考えずにいともたやすく越えたというだけの「卑劣」な行為だ。
それを黙認するのも、もてはやすのも「罪」だ。
危うく脆いその世界は「それ」でいともたやすく瓦解してしまうことを、まず知らなくてはならない。

―悪しき脚光を浴びる。
一部の人が悪目立ちするだけで想像以上の大きなダメージになったりする。そして、昨日まで許容されていたものが許されなくなる。
行動がもたらす結果をよく考えるべきだろう。

制約が厳しくなる、生きづらくなる、社会から許容されなくなる。
アンダーグラウンドワールドの存続を危うくするのは外因より、常にその内側の住人の行動…内因である。

アンダーグラウンドを扱うからこそ高い倫理性(倫理観)が必要になる。

密室で合意のもと起こることはどうでもいいしそんなことは問題としないが、まったく関係のない第三者の目に触れる場所では倫理的であり理性的に振る舞わなければいけない。
わけのわからない理由で騒ぎ立てられて事態が無駄に大きくなる、それも誤った方向に進みながら苛烈に叩かれる状況に追い込まれる。
そうなってしまう原因を作ることがリスクそのものなのである。
単純に自分と、その周囲にいる人々の首を絞めるだけだ。

あえて歪(いびつ)な世界に身を置くなら、倫理的に生きられるふりをする努力ぐらいは必要でしょう、そういう話です。

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