無理にゴムの服を着たり着せたりしなくてもいいですよ、という見方
「MET GALAでゴムの服を着るのは全然おしゃれでもかっこよくもないですよ。むしろ圧倒的にダサいです。
たぶん、それがわかってない人が圧倒的に多いと思いますけど。」
これはいわゆる「ラバーフェティッシュ」と日本では呼称されることが多いフェティシズムのジャンルに触れる話題です。
DOCTRINEが専門領域として撮影しているものでもあります。
そこで感じることについて「走り書き」として残します。
近年なんとかコレクションとかと冠された大きなファッションショウ、ショウビズ界の祭典のようなもの、舞台衣裳などでゴムの服を身に纏った著名人やスーパーモデルが目につくようになりました。
それに対してある一定の年齢以上の人は感慨深げに「ラバーもここまで広まったか…」みたいなことを言ってしまったりします。(わたしも同じように感じることはあります)
また、それを好機と捉え「一般にラバーを広めてやる!」とか変に使命感に狂ってやたらと情報発信したがることも含め、率直に間抜けだなと感じるようになりました。
結論からいえば、一般層に無理に広める必要もなければ、広まらなくたって誰も困らないだろう。たぶんゴムの服には(それを身に纏う/心身にフィットする)適性があるはず。ということです。
つまり、誰もが頑張って着る意味なんてないし着せるメリットもなく結局のところ着たい人が着ればよくて、それ以上でもそれ以下でもない。
だからこそ変にこれ見よがしに着てどこでも公然と振る舞ったり、変に他人に勧めるべきものじゃないという考えです。
そんな中でMET GALAはファッションをテーマとした資金調達のイベント(Galaの意味がわからない人は調べてください)なわけですが、仮装大会ではありません。
…のように、デザイナーのトム・フォードが言及していますが、そこにはゴムの服をわざわざ着てこなくてもいいよってことも含まれそうです。
そこで冒頭のわたしの一文に戻るわけです。
「私はわかっているのよ!」みたいな調子で何千、何万ドルとか法外な金額使ってまで用意した、大して格好良くもないゴムの服の扮装でMET GALAとかに来てしまう感覚は本当にみっともないです。
無能な承認欲求の表出のようにしか思えません。
ゴムの服はフェティシズムから生まれたものなので、本来の用途である性的目的、アンダーグラウンドパーティーのおしゃれ着、セックスワーカーのユニフォーム…その範囲で継続的に需要が生まれていればいいと思う。
無理に拡げても、それは「無理」があるので最終的に望まない結果を受け入れることになると思う。
メーカーからすればどんなかたちでも需要が拡大するのは助かると思うけど(メーカーやマーチャントが普及のために宣伝することは妥当だと思う)、単にユーザーであるならば「広めてやろう」なんてお節介考えなくていいんじゃないかと。
適性が合ってない人が無理して着たところでみっともないダサい格好にしかならないし、それ見て冷めちゃう(醒めちゃう)のもどうかと思うしね。
ずっと日陰にいればよいということではなく、やはり着る人と見る人を選ぶ服装なので、過剰な脚光を浴びるのは好ましくないだろうということ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?