第7回① 小川 晋平先生 「臨床どっぷり」の医師が一転、起業に踏み切った転機
医療系ベンチャー企業 AMI株式会社の代表取締役CEOとして、通常の聴診器の機能を超えた“超聴診器”の研究開発と遠隔医療の社会実装を目指す小川晋平先生。
超聴診器の開発を軸に医療革新を目指す医師としての取り組みを伺いながら、研究開発への原動力やアイデアの根源など、今に至るまでを、小川先生の過去から一つずつひもといていく。
起業医師の原点となった、強い想い
幼稚園から大学まで、地元である熊本県熊本市で過ごしてきた小川先生。親戚に医師が多かったこともあり、幼少期から漠然と「医師になってたくさんの人を助けたい」と思っていたと語る。
熊本大学医学部医学科へ進学後も、具体的にやりたいことがあったわけではない。
「今取り組んでいるような、医療機器を作りたいとか会社を作りたいといった想いは全くありませんでした。ただ、視野を広げたいという思いは強く、ずっと旅をしていました。特に離島やへき地が好きで、利尻島・礼文島・屋久島・種子島・甑島・奄美大島・宮古島・八重山諸島など、長いときは1カ月くらい安宿に泊まりながら、日本全国、一人旅をしていました。」
熊本大学を卒業後、人生のほとんどを過ごした熊本から一度遠く離れようと考えた小川先生は、北海道の富良野にある富良野協会病院にて初期研修を行う。
「診療科など今後の進路を考えるうえで、同級生や親戚など身近な人達の影響を受けない、全く知らない環境に飛び込みたかったんです。この考え方は昔から変わっていないのですが、自分の道はできる限り自分で決めたいと考えています。だからこそ、熊本から思いっきり離れた北海道で初期研修を行うことにしました。」
多忙な初期研修期間を送りながら自分の専門科を考える中で、父親や叔父と同じ循環器内科の道をたどることとなった。
「『たくさんの人を助けたい』という考え方が変わらずあって、命に直結する疾患の多い科に進みたかったんです。特に当時の指導医のイキイキとした姿が印象的で、循環器内科を専攻することを決めました。周囲の影響を遮断して自分の道を究めようと思っていましたが、少なからず影響を受けていたのかもしれません。」
専攻を決めて地元熊本に戻り、熊本大学病院や済生会熊本病院にて勤務された小川先生。3年目以降も、ドクターヘリやドクターカーの要請にも一番に手を挙げるほど臨床への想いは熱く、自身の医師像の実現に向け臨床現場に立ち続けていく。その中で、現在の活動につながる転機が訪れる。
「臨床どっぷり」だった医師の転機
「熊本大学の循環器内科は、国際的な学会でも数多く報告をあげており、その理由の一つとして、大学院進学から指導までの体制が整っている点があると思います。私自身、臨床現場にどっぷり浸かっていましたから、そのまま臨床現場に立ち続けたいとも思いましたが、せっかく大学院進学の機会が設けられている中で、何を学びたいかを真剣に考えるようになりました。」
次のステップに進むのであれば、学びたいものを学びたい――学びへの貪欲な姿勢から見えてきたものは、臨床現場で感じた課題であった。
2013年当時、ドクターカーなどで患者情報をやり取りする際、その媒体は紙であった。また高額な医療費がかかるが、患者への侵襲は少なくてすむ経カテーテル大動脈弁留置術(TAVI)による治療が普及していくのか、高齢者に適応するべきなのかなど、今後の医療の動向に目を向けるためには、経営学や医療経済の目線が必要だと考えるようになる。そこで、京都大学大学院医学研究科の研究生になる決断をする。
誰よりも臨床現場に浸かりきっていた小川先生のこの大きな決断が、人生の大きな転機になったことは言うまでもない。
「学びたいことを学ぼうと考えた中での決断で、熊本に戻ってきましたが、また飛び出していきました。研究生として、知財や医療統計学、医療経営、アントレプレナーシップといったものを、一番前の席で、誰よりも必死に受け、学び取っていきました。」
京都大学大学院医学研究科に研究生として在籍しながらも、臨床への想いが消えることはなかった。たくさんの人を助けるには、より良い医療現場を作るためには――循環器領域において、開胸手術しか方法がなかった治療から、カテーテルでの治療へと変化していったように、新たな治療法が数多く発見されていく中で、小川先生はこう考えたという。
「さまざまな治療が発見されていく中で、その治療を用いて助かる患者さんが増えることは本当に素晴らしいことだと思っています。しかしそれが適切なタイミングで用いられなければ意味がありません。例えば、大動脈弁狭窄症は軽症では自覚症状が出にくいのですが、重症では心不全や突然死のリスクが非常に高くなります。
全員に心エコーやカテーテル検査をするわけにはいかないので、スクリーニングのためには聴診が重要になります。ただ聴診には経験や聴力などの個人差があります。同じ医師でも当直明けや診察時間が限られていると難しいですし、診察室の騒がしさにも左右されます。」
小川先生自身も、医師や状況の違いによる難しさを実感したことがあるという。
「大学院時代に内科外来へお手伝いに行った時、聴診器をあてた瞬間に中等度以上の大動脈弁狭窄症と分かる心雑音を聴取したことが2回あります。しかし、患者さんはお二人とも初めて指摘されたとのことでした。自覚症状はなかったのですが、心エコー検査したところ中等度と高度でした。
どんなに素晴らしい治療の選択肢が増えても、診断されなければ助かる命も助かりません。早期発見して最適な治療に繋げたい、これが起業のキッカケになりました。」
地元の震災を経て…起業し取り組んだのは
小川先生の根底にある「たくさんの人を助けたい」という想いが、「たくさんの人を助けるために最適な治療を届けたい」、そして「最適な治療を届けるためには病気の早期発見が重要」、さらに「早期発見のためには聴診がキーである」とつながっていった。この想いから、2015年11月に医療系ベンチャーのAMI株式会社をたった1人で創業。医師に加え、経営者という新たなキャリアを歩いていく。
神経診察や婦人科内診と同様、定量化されていない聴診所見を、医療従事者の経験や環境に左右されず所見が取れる聴診器があれば、最先端治療をよりスムーズに受けられる橋渡しになる――そこでAMI株式会社として開発しているのが「超聴診器(心疾患診断アシスト機能付遠隔医療対応聴診器)」である。
心電図と心音を同時に計測し、そのデータを独自のアルゴリズムによって情報処理する。医師の聴診をサポートするだけでなく、取得したデータを用いて遠隔医療も可能にする画期的なデバイスだ。
遠隔医療に注目した原体験に、地元熊本の震災がある。
「2016年の熊本地震の時、医療ボランティアとして被災地に入りました。ここで実感したのが、遠隔医療の重要性です。ドクターカーが到達できていない避難所を走り回っていると、全国各地の医師から『現場には行けないけど手伝えることがあればなんでも言ってくれ』と連絡がありました。現場の医師のマンパワーには限りがあるからこそ、質の高い遠隔医療が実現すれば、より災害時医療が守られるのではないかと感じたんです。」
臨床現場に立ち続けたからこそ見えてきた課題が間違いなく存在し、助けになりたいという想いと、学び続ける貪欲な姿勢が産んだ解決策であろう。
臨床に浸ったからこそ見えた景色
最後に、読者へのメッセージを伺った。
「私は、臨床一本と思っていた中で、この現在地にいます。近年は起業される先生も多いですが、どう起業しようとかの目線ではなく、どっぷり臨床を見てみたほうが良い気づきが得られると確信しています。臨床現場にはさまざまな気付きの場があるからこそ、医師人生において、24時間患者のことを考える期間があってもいいと思います。」
AMI株式会社を経営する経営者として、未来に救える患者へのやりがいがある反面、目の前の医療が見えない弊害もある。だからこそ、今でも臨床現場に週1日だけでも立ち続けることにしているという。
「今後忙しくなったとしても、方向性を見失わないように、臨床現場には立ち続けたいです。」という言葉が印象的であった。
幼少期から変わらぬ、「たくさんの人を助けたい」という想いの強さ。冷静にインタビューに答えていただく中で、垣間見えた熱い想いによって、今後の医療革新が現実のものとなるであろうと確信した時間であった。
取材・文:関西医科大学6年 千手 孝太郎