第18回⑤ 門間 美佳先生 日本初ユースクリニックを開業した産婦人科医の挫折と夢
幼いころの夢やインドへの訪問、子育てを通じて、「困ったときに気軽に相談できる居場所になりたい」と、婦人科クリニックを開業した門間美佳先生。子育てしながらいきいきと働く様子が輝いて見える一方で、その始まりには一つの挫折体験もあったという。さまざまな活動に取り組むにいたった背景を取材した。
マザーテレサや
シュバイツァー博士への憧れ
「マングローブを増やす人になりたい。」
門間先生は小学生のころ、そのような夢を描いていた。国語の教科書で知った、砂漠化を減らす活動に興味を持っていた。幼い当時から、マザーテレサや、シュバイツァー博士といった、貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞した先人の活躍に心を動かされる少女だった。「人のためになることをしたい」という気持ちと、高校時代の周囲の友人らに感化されて、医師を目指すようになった。
高校生の当時から先生の周りには、「オタクっぽい」生徒が多かったという。小説やアニメ、合唱団に熱狂し、周囲からの目線を気にすることなく自分の好きなことにのめりこみ、将来もそれらの道に進む人が少なくなかった。
現在に至るまで当時と変わらず熱をもって、興味あることに取り組む友人たちとは、今でも親交が続いている。そのような友人に囲まれる門間先生も、昔からの変わらぬ思いにつけては負けていない。
バレー部や茶道部などの部活動、海外医学研究会、バンド活動、バックパッカーと、学生時代からさまざまなことに打ち込んできた。その原点は、初めての海外であったインドでの体験にある。
インドで夢をかなえて実感した
「やらないでする後悔はない」
小学生のころ、マザーテレサが来日するという機会があったものの、講演会へは参加することができなかった。「マザーテレサに会いたい」という念願を果たすべく、ついに大学一年生の夏、カルカッタ(現在はコルカタに改称)へ出かけた。
現地のミサで、マザーテレサを見つけようとしていた門間先生は衝撃を受ける。出入り口に一番近く、1番寒い最後のほうの床。そこで小さくなってお祈りしていた人こそマザーテレサだったのである。
さらに門間先生は、インドでは路上で生活をしている人がいること、食べ物を手で食べること、小さな子が働いていること、何かをあげたり買ったりすると多くの子どもたちが寄ってくること。そういった光景も目の当たりにした。
「裕福なインド人は路上生活者が目に入らないかのように生活していることにも衝撃を受けました。」
こうして、これまででは想像もしなかった世界を知ることでいっそう「人のためになることをしよう」という思いを強くした。
また、当時は決して流ちょうな英語が話せるわけでも、自信があったわけでもなかったが、見ず知らずの土地で知見を積む中で、「行ってみればなんとかなるのだ」ということも実感したという。
さらには、翌年のマザーテレサの訃報を受けて、まさにそのタイミングでインドへ赴かなければ夢を果たすことはできなかったと感じた。そして、「その時しかチャンスはない。やりたいことはいつかではなく、思い立ったときにやろう」ということを決意した。それ以来、たとえ無謀であっても、まずはやりたいことを実現するために挑戦してきた。
「やらないで後悔する選択肢はない」
それが先生のモットーだ。
日本初のユースクリニック開業
「困っている人の居場所に」
現在、神奈川県藤沢市でユースクリニックを併設した婦人科を経営する門間先生だが、その選択肢もまた、先生にとって初めは「無謀かもしれない」と思いながらの挑戦だった。
開業を決心した当時、周囲は、その多くが大学病院や総合病院に所属して研究したり、手術や内視鏡をしたりしていた。門間先生の選択は決してメインストリートではないが、それでもこの道を選んだのは、一つの挫折体験がきっかけになっている。
もともと門間先生は、産婦人科のお産やオペ、当直といった緊張感あふれる仕事の数々にひかれて産婦人科医を志した。ところが、三人目の子どもを産んでから子育てと仕事との両立に悩んだという。
育児をする傍ら非常勤として外来を担う日々の中で、それまで自分が誇りをもって取り組んできたお産や手術、当直に入ることはかなわなくなった。産婦人科のメインともいわれていたそれらの仕事とは異なり、外来という一見「地味な」仕事を、「やらざるを得ない」という気持ちになっていたのだという。
ところが、地道に外来に取り組む中で、更年期や思春期といった患者層の幅広さに気づきがあった。死ぬほどの病ではなくとも、体の不調で困っている人がいる。そんな彼女らの話に、ゆっくりと耳を傾けられる場所はなかなか存在していなかったのだ。
さらに、そういった病気は特に、決して通り一遍の治療で解決する問題ではなかった。漢方やホルモン、さまざまな方法を織り交ぜながら、エビデンスだけでは語れないそれぞれの病に向き合っていく。「それはうちの科ではないです」という返答や、「これは病気ではありません」と大病院であしらわれた患者らが、門間先生との治療を積み重ねてだんだん良くなっていく姿を見るにつけ、先生自身喜びを覚えるようになっていた。
患者らの精神状態や栄養状態を含め、総合的にみるこの視点こそ、病気ではなく人を診るということであり、そこにやりがいを見出したのだと話す。
「最初は、外来患者に向き合うのは地味な役割で、自分は必要とされていないんだと感じてしまうこともありました。」
ところが、さまざまな患者らと出会い、一人一人の話を聞きながらそれぞれに応じた困りごとを解決していく中で、「これを自分の専門として生きていきたい」という気持ちが芽生えた。
「困っている人がいつでも訪れられる居場所になりたい」という思いから、門間先生は日本初のユースクリニックを開業した。
患者のアイデアでネイル体験を企画
医師と患者を超えた関係から始まる医療
性別問わず、長いライフスパンの中で、仕事に対して継続的に第一線で活躍し続けるということは決して容易ではない。
しかしながら、門間先生はこう語る。
「いっときその環境を離れたからこそ、感じられる多様性というのがあります。」
子育てを契機に、メインストリートとは別の道を選んだからこそ、その世界だけでは見えなかった幅広い視点を新たに治療へ還元できるのだ。医師と患者の間ではどうしても、感覚の違いが存在する。しかしながら、医師としてではなく、例えば一人のママ友としてだからこそ、「産婦人科の内診でいやなことを言われた」といった個人の経験や感覚を聞くことができた。
また、医療職にとらわれない人々と友人になれたことも、一つの貴重な経験だったという。開業に関しては何一つ知識や経験をもたない中で、幅広い出会いを通じていろいろなアイデアを生み出し、取り入れ、試行錯誤しながらクリニックの活動に取り組んでいる。
その一つが、月に一度開催しているオープンユースクリニックだ。ユースを対象としてクリニックを無料開放し、勉強会や相談会を実施している。また、そこではネイルの無料体験コーナーも行っている。
この企画は、もともとクリニックの患者の一人からもらったアドバイスをきっかけに開いたものだ。クリニックを開業した当初、本当に医療を届けたい層に対してなかなかアプローチするのが難しかった。そこで、「爪心理士」であるという患者の力を借り、若い層に興味をもってもらうためのアイデアが実現することになった。
こういった取り組みを通じて間口を広げながら、少しずつ、悩み事を抱える若い層へ医療を届けられるようになってきた。門間先生には、医師と患者を超えた関わりがある。時には、先生自身の悩みもフラットに話すという。
「友だちから始まるからやりやすいし、楽しいんです。」
模索する日々で実感するのは、「世の中には面白い人がいっぱいいる」ということだ。そうしてそれぞれの特技を生かし合うことで、困りごとを解決し、ともにより健康な暮らしを目指している。
次なる道は「トー横キッズ」の学術的分析
幅広い取り組みを模索しながら、エネルギーあふれる門間先生に次なる夢を伺った。
「実はまちなかの美容師さんに健康教育をやったらすごくいいと思っているのよね。あとは、公衆衛生の視点で『トー横キッズ』の性感染症の問題も学術的に分析して解決に導きたいし、難しいけれどなんとか取り組みたいかな。」
朗らかに語る先生のネクストステップは、医師としての視点で実現がかなうものから、医療という枠にとらわれない豊かなアイデアまでさまざまだ。ユースをはじめ、広い世代の人々との健康に寄与する門間先生の活動が、まちの人を笑顔にしていく。
「日々の出会いに、世界は広いなと感じますよ。」
小学生のあこがれから始まり、大学生の夏、カルカッタで感じた素直な気持ちとともに、門間先生はこれまでもこれからも、幅広い出会いの中で困っている誰かのためにとワクワクしながら道を進み続ける。
取材・文:島根大学医学部4年大井礼美
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