第4回② 田中希宇人先生
呼吸器内科医として、日々診療に従事する傍ら、「キュート先生」の名前でTwitterやInstagram、ブログを通じて幅広いプラットフォームで発信を続ける田中先生。肺癌やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)などの呼吸器疾患の現状や、医療情報発信にかける思いについてお話していただいた。
自分ひとりで診られる患者さんの数には限りがある
「目の前の患者さんを診ることに一番のモチベーションがあります」と話す田中先生。医学部卒業後から、多くの時間を呼吸器内科疾患の診療に割き、淡々と目の前の患者さんの診療を続けてきた。あくまで「一番大事なのは、日常診療に全力を尽くすこと」と語る。しかし「目の前の患者さんを救いたい」と励む中で、もう一つの思いが芽生えてきたという。
「自分ひとりで診られる患者さんの数は限られている。」
日本における肺癌死亡者数は年間約7.5万人(男性5.3万人、女性2.2万人)にもなる。その数のギャップに次第に疑問を覚えるようになっていった。
そこから始まったのが、「キュート先生」の名で7年前に開設したブログ「肺癌勉強会」。名前の通り、主に医療従事者向けに肺がんに関するニュースや臨床研究の紹介を行うブログだが、その分かりやすい説明と正確な情報提供は、いつしか医療従事者の枠を超え、患者や家族にまで届くようになっていった。
「3つの顔」を使い分けて、様々なtargetに届ける
肺癌治療の歴史を振り返ってみると、近年の発展は目覚ましい。1983年に行われた日本で初めての肺癌治療薬の比較試験での治療効果指標は、「生存期間25週間 vs 32週間」。驚くことに、当時は生存期間がまた「週」単位で表記されていたのである。その後抗がん剤に加え、支持療法やプラチナ製剤が登場し、1995年の研究では、生存期間が「月」単位となった。続いて分子標的薬が承認されると、ようやく「年」単位の生存期間表示ができるようになった。最近では免疫治療も普及し、肺癌の5年生存率は16%ほどまで上昇したが、免疫治療が承認されたのは2015年とたったの8年前、ごく最近のことだと言える。
このような中、日々更新される最新の情報を学び、専門家と患者の双方に届いていく情報にすることは決して簡単ではない。
しかしその情報提供はもはや肺癌にとどまらず、幅広く呼吸器疾患に広まっている。
例えばCOPD。国内で20万人が診断されているが、病院にかかっていない潜在COPD患者は500万人以上と推計されている。肺癌以上に、病院でのアプローチには限界があり、「診断のついている20万人は”氷山の一角”にすぎません。」と危機感を示す。
2020年から流行した新型コロナウイルス感染症に関しても、同様に「正しい医療情報と笑顔をお届けしたい」という想いから、幅広く情報発信をしてきた。さらに疾患啓発の対象は、一般市民や患者さん向けだけでなく、専門医や研修医、学生など医療者の教育にも広がっている。
つまり、日々「田中希宇人先生」が診療にあたる患者さんは“Just NOW target”であり、今困っている人である。診療に加え、「キュート先生」として幅広く情報発信をすることで、”Near FUTURE target”ともいえる水面下の潜在患者さんにもアプローチすることができる。だからこそ、「キュート先生」の名で、水面下にかくれる潜在患者さんの掘り起こし・一般市民に対する疾患啓発をしていく意義があり、それが「目の前の患者を診る」ことにつながると、幅広い医療情報発信に対する想いを語る。
目の前の患者さんの診療にあたるのが医師「田中希宇人」であるならば、目の前で診ることのない幅広い患者さんや一般市民に対しては「キュート先生」として医療情報を届ける。またプライべートでは妻と4人の子どもをもつ「きゅーとパパ」でもあり、4人の子どもの父親であり育休を取った経験から「日本経済新聞」に掲載された経験も持つ。
様々な「顔」を使い分けながら、病院内外で様々な層にアプローチを続けている。
「キュート先生」としての活動を通じて出会った「いいこと」とは
「キュート先生」としての活動は、ただの情報発信にとどまらない。ブログ「肺癌勉強会」のほか、2年前にはTwitterを開設し内科全般・呼吸器疾患などの医療情報発信と、医師の日常についてツイートしている。また、InstagramやFacebookに加え、医療情報サイト「Medical Tribune」では、2年前から肺がんに関する論文の解説を続けている。さらに、医療情報やニュースをピックアップする医療情報サイト「ケアネット」の活動では、2020年上半期・下半期のベストピッカーに選出されたという実績も持つ。またこのような発信の重要性も認知され始め、「SNS医療のカタチ」というオンライン講演にも登壇した。
様々な活動をする中で、メディアに取り上げられることも増えたが、同時にその発現から動く世界も広がった。例えば、コロナの発生届に関する発信をTwitterで行ったところ、内閣府や河野太郎大臣から連絡を受け、国内のメディアに加えてニューヨークタイムズやCNNニュースなど海外のメディアからも取り上げられた。これが結果として、発生届のオペレーション解決のきっかけとなっていった。
「私の1つのツイートが、医療現場の業務改善につながるきっかけとなった」と、発信への手ごたえを感じているという。
目指すは「呼吸器疾患のない世界」
今後も、呼吸器内科部長として診療に没頭する傍ら、「“呼吸器疾患のない世界”を目指して、SNSを活用した医療情報発信をはじめとして幅広い活動に取り組んで予定です」と抱負を語る田中先生。最後に、最新の論文などの知見を日常診療に生かすだけでも苦労する医師がたくさんいる中で、社会に向けたアウトプットをも続けるモチベーションについて伺いうと、このように答えてくれた。
「一番のモチベーションは、やはり目の前の患者さんを診ることにあります。“この人を助けないといけない”、“自分が勉強しなくて誰がわかるんだ”という精神で、常に勉強を続けてきました。肺がんやCOPD、新型コロナウイルス感染症は、どれも情報が多い疾患ですが、エビデンスレベルの高い論文を中心に情報収集したり、m3やケアネットなどの医療情報サイトと協力したりすることで、日々間違った情報を発信することのないよう、細心の注意を払っています。」
誰もが、様々なエビデンスレベルの情報に簡単にアクセスすることのできる現代社会だからこそ、キュート先生のような活動が多くの人を救うのではないだろうか。
取材・文:伊庭知里(慶應義塾大学医学部3年)